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術士達は識を織る  作者: 下月 巴
3/9

世界はただ在るだけですよ

 やってやんぞ。




 人生とはつまらないもので、空から女の子が降ってきたとしても、その瞬間から世界が一変するということはない。

 屋上から降ってきた少女の下敷きになった久義も例外ではなく、次の日には普通に大学に行っていた。

 火曜日である。

 久義の授業は、午前中に二コマだけであった。

 なので彼は昼飯を食べることもなく、いつも通り箱内病院に向かおうとした

 背後から話しかけられたのは、正門から出る寸前のタイミングだった。


「こんにちは、伊国さん」


 やや低めの、それでも透き通るような声に振り返れば、空から降ってきた――正確には、八階建ての屋上から飛来し、久義の頭部に踵落としを見舞った――女の子が立っていた。

 確か名前は、日々木歌子。

 昨日と同じ亜麻色の髪、整った顔、明るいライムグーンのスプリングコートを纏って、真っ直ぐこちらに歩いてくる。

 久義は少しばかり警戒した。術士がどうたら術識がこうたら、現代科学では到底解き明かせないであろう謎単語を操っていた彼女の姿が忘れられなかった。結局のところ、吉田は日々木の啓蒙に成功したのだろうか。

 いつでも全速力で逃げられるよう脚に力を溜めていると、彼女は二メートル離れた位置で立ち止まり、冷めた無表情を向けてきた。

 そして、ぺこりと、頭を下げた。擬音が聞こえそうなほど、深々としたお辞儀だった。


「昨日はすみませんでした。突然、変なことを口走ってしまって」


 久義はポカンとした。昨日の奇天烈ぶりが嘘のようである。八階建てからの落下の衝撃が、一晩経って抜けたのだろうか。二日酔いよりも潔い症状だと思ったが、何にしても、吉田は上手くやったようだ。


「ま、まあ……無事だったみたいで、な、何より、です?」


 とりあえず会話しようと思ったが、予想以上に上擦った声が出た。仕方ないのだ。久義は小中高大一貫で友達が少ない。コミュニケーション能力など幼児と大差ない。異性相手となると赤子以下だ。日々木のような美少女を相手取るとなると、受精卵と勝負してギリギリ負けるレベルである。

 謂われのない負い目を感じていると、日々木が顔を上げた。言葉の割に、申し訳なさそうな感じの全く見受けられない無表情だった。無表情ですら美しいのだから、ずば抜けた美少女ぶりである。背が伸びると共に強面に拍車がかかった久義としては、笑顔を浮かべずともキツイ感じがしない日々木に対して、妬ましさを抱かないでもなかった。

 一方の日々木は、無表情のままで続けた。


「伊国さんは、今から帰るところですか?」


「え? ……あ、ああ。そ、うですね。……ちょっと、これから友達の見舞いに。……ひ、日々木さんは?」


「私も、これから帰るところです。今日は午後の講義が休みなので」


「……え、日々木さんって、大学生なんですか」


「そうですよ。今年入学したばかりです」


 久義は驚いていた。大学一年生ということは、飛び級でもしない限り、自分と二歳ぐらいしか違わないということだ。見た目年齢でいえば、十は離れていそうなのに。つまり彼女は高校生ぐらいに見えて、自分は倦んだ三十路野郎に見えるという話である。

 若干ショックを受ける久義に、日々木は続けた。


「友達の見舞いというのは、あの病院にですか?」


「あ、はい。は、箱内病院に……です」


「……なるほど」


 そう言うと、日々木はゆっくりと歩き出した。箱内病院の方角だった。会話を打ち切られたのかと思ったが、五メートルほど進んだところで、彼女はこちらに振り返った。


「見舞いに行くんですよね。病院まで、少しお話していきませんか」


「へ? ……あ、ああ。わ、分かりました」


 取りあえず彼女の斜め後方を歩く形で、ついていくことにした。何が目的か分からなくて怖くもあったが、しかし、普通の人間のコミュニケーションというのは、こういうものなのかもしれない。四捨五入でゼロになるぐらいしか友達のいない久義は、そう思った。


「入院されているお友達とは、どこで知り合われたんです? 大学? 高校?」


「いえ、結構昔です。えっと……俺が三歳ぐらいの頃だから、もう十七年前ですね」


「なるほど、幼馴染なんですね。……その方は、いつから入院されてるんです」


「そう、ですね。あいつが五歳の頃だったと思います。誕生日の翌日に、体調を崩しちゃったみたいで。それ以降、ずっと……」


「……そうですか」


 日々木は少しだけ黙った。長い間入院しているということから、何か暗いものを察したのかもしれなかった。


「……でも、久義さんは友達想いなんですね。それだけ長い間、一緒に遊ぶこともできない友達と、ずっと関係性を保っている訳ですから」


「……そんなことは、ないですよ」


 久義は少しだけ黙って、湿度の高いため息と共に言った。沈んだ声であった。


「俺は単純に……他に友達ができなかっただけです。それに……あいつが入院したのは、俺のせいみたいなところもありますから」


「……へぇ」


 日々木が少しだけ歩くスピードを緩め、やがて隣り合った。彼女の視線が、自分の横顔に刺さるのを感じた。


「それは一体、どういうことですか」


 言い淀む。

 黙る。

 迷う。

 自分から切り出したようなものだから文句は言えないが、しかしこの話題は久義自身、あまり触れたくないものだった。

 その罪悪感の内容が、他者が聞けば、ふざけていると思ってしまうようなものだったから。

 それでも、このまま箱内病院まで沈黙を貫く訳にもいくまい。コミュニケーションが苦手な久義にとって、あまり親しくない人間との間に発生する無言というのは、地震雷火事親父に並ぶぐらいに恐怖の対象だった。

 ぼそりと、喉から押し出すように言った。


「……あいつが入院する前に、俺……丑の刻参りをしたんですよ」


「丑の刻参り?」


 日々木の無表情のまま、尋ねた。


「それはつまり、幼馴染を呪ったということですか」


 久義は頷いた。石でも飲み込んだような、ばつの悪い表情で。

 日々木が「なるほど」と続けた。


「では、久義さんはこう考えているわけですね。幼馴染が体調を崩したのは、自分が丑の刻参りを通して、相手を呪ってしまったからだと」


 何でもないような顔で、日々木は言った。馬鹿にするでも、恐れるでもなく、淡々と話した。

 久義はやや俯いて歩きながら、ぼそぼそと言葉を溢した。


「……俺だって、現代人ですからね。……丑の刻参りみたいな、眉唾の儀式が、実際に効果を発揮するなんて、ほとんど信じてませんよ。……でも」


 久義は苦虫を噛み潰し、歯の隙間から押し出すような、モニョモニョした口調で続けた。


「……でもやっぱり、あいつが患者服を着てる姿を見たり、たまに咳きこんだりするのを見たり、……元気な頃のあいつが夢に出てきたりする度に……自分のせいなんじゃないかって、妙に不安になるんです」


 言い終えてから、久義は輪をかけて気まずくなった。どうして自分は、会って間もない後輩に、こんな非科学的な話をしているのだろう。幼子とか美少女であればまだしも、凶相極まる大男がこんな電波じみた発言をすれば、不気味なことこの上ないのに。


(いや、別にこの子にドン引きされても、これといって弊害はないけど……)


 そんな言い訳をしながらも、横目で日々木の様子を窺う。

 彼女はといえば、不気味がるでもドン引きするでもなく、甘倉の曇天を見上げていた。何かを考えているようだった。

 数秒の無言の後、日々木は言った。


「伊国さん。世界はただ在るだけですよ」


 キョトンとする。


「……どういう、意味です?」


「呪いが、自然現象や物理法則のように、幅を利かせることはないという意味です。貴方の丑の刻参りが、今日の曇り空のように、現実に作用するなんてありえませんよ」


 何だか一層チンプンカンプンの様相を呈す説明だったが、それでも、日々木なりの励ましが含まれているように感じた。

 つまるところが、「気にするな」ということなのだろう。

 シンプルであるが、全くもってその通りなのだった。


「あ、ありがとう……ございます?」


「何がですか?」


 日々木はどんな表情も浮かべることなく言った。心の底から、久義の礼の意味が分からない、という感じだった。もしかしたら、先ほどの言葉には励ましの意図なんて欠片も含まれていなかったのかもしれない。

 だとすれば、それはそれで日々木がどうして物理化学だの自然現象だの言い出したのか、全く分からないのだが、まあもしかしたら八階から落ちた衝撃が一割ぐらい残っているのかもしれないと、久義は思うことにした。

 そうこうしているうちに、箱内病院が見えてきた。田舎の甘倉で唯一大都会に対抗できる水準の大病院であるから、遠くから見てもはっきりそれと分かるぐらいに堂々とそびえている。周りのスーパーやらパン屋やら甘味処やらと比べても、頭一つどころか、四頭身ぐらい抜けている気がする。


(やっぱり、大きいよなあ。箱内病院)


 しみじみと、そう感じて。


(日々木さんは、あんな高い所から落ちても、無事だったんだよな)


 あの時のことを。

 日々木が天を突くような大病院の屋上から落ちて、空中でピタリと止まった瞬間のことを、久義は気のせいだと思っていた。

 だが、改めて箱内病院の実物を前にすると、そんなことでも起こらなければ絶対に助からないな、という気持ちになった。

 だから、ふと、尋ねたのである。


「日々木さん。……昨日の、ことなんですけど」


「……私が、屋上から落ちた理由ですか?」


「あ、いや、そうじゃなくて……」


 久義は指の腹で、頬をざりざりと掻いてから、言った。


「あの時の日々木さん、空中で一瞬、止まってませんでした?」


 自分でも分かるほど、率直すぎる質問だった。その上、みょうちきりんな質問である。こういう時に言葉を選べないのが、根暗の根暗たるゆえんなのだろうなと、ぼんやり思う。

 日々木は何も言わなかった。

 呆気に取られているのか、それとも単純に呆れているのか。無表情からは、何も読み取れない。

 しかし、否定の言葉を突き返されることはなかった。

 違います、とも、そうです、とも言わなかった。

 彼女は、ただ一言。


「見たんですね?」


 氷のような無表情で、そう言った。

 やってやんぞ。

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