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術士達は識を織る  作者: 下月 巴
2/9

煙草くさい見知った病院

 やってやんぞ。




 甘倉は場所によって時間の流れが違うようで、いわゆる市の中心部には学校だったり駅だったり、押しも押されもせぬ箱内病院などが立ち並ぶが、それ以外となると昔ながらの風景が広がる。

 つまり、田んぼだったり森だったり、木とイグサの匂いが滲む吉田診療所だったりだ。

 木造二階建て。一般住宅と大差ない体積を誇るこの建物は、築百年を超す老舗の薬屋を改装したものである。と言っても、大きく変わったのは便所が汲み取り式からウォシュレット式になったことぐらいで、あとはほぼ据え置きである。

 病院の顔たる受付は、畳の上にある。というか、受付も待合室も畳の上だ。フローリングが跋扈する現代日本のどこにこんな大量の畳があったのかと、見る人がびっくりするぐらいには、ぎっしりと敷き詰められている。椅子などというハイソなものはなく、あるのは座布団と、おそらくためにならないだろうコンビニ漫画が並ぶ本棚と、レジが載った文机ぐらいだ。

 唯一診察室だけは木張りの床で、そこに普通の椅子と上等な椅子がある。

 今日も今日とて上等な椅子のほうに、吉田よしだならわしは腰掛けているのであった。


「調べてみたけど、体の外にも中にも大事はなかったよ。久義くんにはクッションの才能があるようだね」


 気だるげな口調で吉田が言う。今にも溜息を吐きそうな声だ。しかし、実際に口から漏らしているのは煙である。吉田は久義を目の前にして、ぷかぷか煙草を吸っていた。

 職員証と白衣がなければ、即摘み出されるほど、ろくでなしが板についている。

 皺と涙袋の浮いた目元、やや生え際の後退した白髪交じりのスポーツ刈り、張りを失ってくすんだ肌。その全てが落ちぶれた中年男性の風体を醸していた。身長だけは百八十センチ後半であるから、くたびれた煙突のような印象を纏う。

 こんなのが開業医な訳だから、閑古鳥が鳴くのも大いに頷ける話である。


「……それって、褒めてます?」


「もちろん。もしも私が家具屋の店主だったら、今すぐにでも君に値札を付けたいぐらいだ」


 家具としての性能を褒められるとは思っていなかったが、とりあえずスルーすることにした。この男はこの世で最も「医は仁術なり」から離れた医療従事者なのだし。

 久義が少女を背負ってここに辿りつき、受付で漫画を読んでいる吉田に診断を頼んだのが、一時間前のことである。待合室で無事を祈っている久義に、彼が煙草を吹かしながら彼女の無事を伝えてきたのが五分前。そして、現在に至る。


「……何度も言ってますけど」


 久義はざりざりと指の腹を擦りながら、口を開いた。


「……あの子は、俺が下敷きになったから助かった訳じゃないと思います。だって」


「空中で一時停止したから? おいおい、久義くん。何度も言うが、ラピュタも飛行石も目玉焼きの載ったトーストも、全ては空想の産物だぜ? まさか君は、この科学万能の時代にいながらニュートン氏の発見を信じていないとでも言うのかい?」


「……吉田さんだって、オカルト雑誌沢山揃えてるじゃないですか」


 待合室に置いてあるコンビニ本は、九割が胡散臭いオカルト系だった。あれを最新の少年誌に変えるだけで、患者が増えるのではないかと提案したこともあるが、一向にこのろくでなしは聞く耳を持たない。


「あれは趣味だよ。私だって、現実と虚構との区別はついている。現に今まで、患者さんに河童のミイラとか処方したことないし」


「……患者さん、そもそも来ないでしょ。というか、禁煙はどうしたんですか。匡のお母さん……立方りほさんに、止められてるんでしょ」


「あれは箱内病院院長からの診断じゃなくて、元妻からの小言だし」


 すまなそうな素振りなど全く見せず、吉田は咥え煙草をピコピコ動かした。灰が落ちて白衣が焦げるから止めてほしい。たまに彼の洗濯の面倒を見る久義は、そんなことを思う。

 彼は箱内立方の元旦那である。つまるところが、匡の父親だ。当時三歳だった久義と匡が出会うきっかけを作ったのも彼だ。この男が晴れた日曜日、娘と一緒に森林浴などしていなければ、大木の近くでピクニックをしていた伊国家と出会うこともなかっただろう。

 吉田との関係は、彼が何やかんやで箱内家から叩き出された現在も続いている。というより、この男が吉田診療所を開いてからの方が、付き合いは深くなっているように思う。家が共働きだったから、幼かった頃は両親が帰ってくるまでここで時間を潰していたのだ。吉田が久義の父母と顔見知りであり、当時から接客態度が悪すぎて閑古鳥が鳴いていたからこそ、可能だったことである。

 そんな風に面倒を見てもらった恩もあるので、久義はよくここに来る。それは単に体調不良の時に来るというだけでなく、炊事家事の手伝い、果ては酔いつぶれた時の介抱もするということだ。いずれは介護も任せられるんじゃないかと、戦々恐々している今日この頃である。


「ま、私の真っ黒な肺と腹については良いんだ」


 あからさまに話を逸らして、吉田は続けた。


「そういえば、今日は匡さんとは会えたのかい」


「あ、いや……それが、どうにもお腹の調子が悪いみたいで。見舞いに行くのは、やめました」


「あらら。全く、だからあれほど拾い食いは止めろと言ってるのになぁ」


「……匡はずっと病室暮らしだから、昔みたく外に落ちてる木の実とか食べられないと思いますけど」


 久義は彼女との思い出を振り返る。今よりもっと少年っぽかった彼女は、久義の首根っこを掴んでウスグ森を走り回っては、虫を捕まえたり綺麗な石を拾ったりしていた。そのバイタリティ溢れる性格で、当時いじめられっ子だった久義を何度も助けてくれたりした。名前の通り救いだったのだ、彼女は。

 そんな彼女を自分は、サクサクフワフワのメロンパンで害してしまった。


「……吉田さん、すいません。ちょっと、丑の刻参りしていいですか」


「えー、また? それをされて参っちゃうのはこっちなんだけど」


「椅子……使わせてもらいますね」


「人と会話してる気がしないよ」


 久義は吉田の声を無視して、立ち上がった。ジャンパーから石板を取り出し、それまで座っていた椅子の上に置く。続けて釘を取り出すと、先端を石板に彫ってある『伊国久義』の字に当てた。


「いっつも思うんだけど、それ丑の刻参りじゃなくない? 釘は五寸じゃないし、藁人形も使わないし、そもそも今は丑の刻じゃないし。午後二時は草木もバリバリ光合成に精を出す未の刻だよ? それから」


 次の言葉を聞くよりも早く、久義は拳を振り上げた。傷だらけの、角質化の進んだ堅牢な拳。

 それを、釘の頭に叩き込んだ。


「……鉄鎚じゃなくて、拳骨でやる丑の刻参りって何さ」


 三度、四度と連続で打ち込む。ゴツン、ゴツンと石で石を打つような重い音がした。五度目で釘の先端が折れ曲がると、ようやく久義は腕を下ろし、石板を懐に閉まった。


「……落ち着きました」


「君さ。もっとスマートなクールダウンの方法考えたほうが良いよ?」


 それまで久義の奇行を呆れたように見つめていた吉田は、煙交じりのため息を吐いた。


「この前、卵焼きを焦がして丑の刻参りしてたじゃん。朝の七時にガツンガツン鳴るもんだから、討ち入りかと思って飛び起きちゃったよ。世間一般の中年男性は、休日は昼までぐっすり寝てないと頭がおかしくなって死ぬんだぜ?」


「……すみません。でも、やっぱり……何かやらかした後は、自分を痛めつけないと落ち着かなくて」

「古今東西、丑の刻参りを苦行目的でする人間は君だけだよ」


「まあ……もう釘を拳で叩いたぐらいじゃ痛みなんて感じないんですけど」


「素手の武器化に成功してるんじゃないよ。歴戦の空手家か君は」


 くたびれた視線が久義の手に刺さる。釘の頭を渾身の力で殴っていたにもかかわらず、拳は薄皮一枚剥けていなかった。白く濁った拳ダコが、今日も今日とて丸々としている。

 何だか居心地が悪かったので、話題を変えようと久義は尋ねた。


「ところで、あの女の子は……大体、どれぐらい入院するんです?」


 吉田診療所にも入院設備がある。来院してすぐに、久義が運び込んだ場所だ。箱内病院のように立派ではなく、畳の上にカーペットを敷き、ベッドを二台置いた簡素な病室である。粗末といってもいいかもしれない。そんな状態なので、開業以来そこを入院患者が使ったという話は聞いたことがない。

 それでも一応、ベッドメイクは週に一回ぐらいのペースで行っている。吉田ではなく、久義が。


「そうだねえ。別に骨折とかもしてないようだし、入院の必要もないとは思うけど。ま、でも本人の意思次第だね。……久義くんが言ったように、本当に彼女が屋上から飛び降りたのなら、何か事情もあると思うし」


「……そう、ですね。……俺、何か出来ることあります?」


「うーん、ないかな。君があの子の友達とかだったら、話し相手になってあげてと頼みたいけどね。まあ、これまで通りでいいよ。これまで通り、私の介護を頼む」


 四十過ぎた男が二十の青年に言う台詞ではないと思うが、小学校高学年の頃から吉田の世話をしてきた久義にとっては今更である。仕方がないのだ。吉田は駄目人間なので、離婚以降は面倒を見てくれる新しい恋人も、新しい友達も作れていないのだから。それどころか患者も作れていないので、どうやって生活できているのか誠に謎なのだが。

 とにかく。


「分かりました。じゃあ……俺、今日はもう帰りますね。晩ご飯は……昨日作った焼きおにぎりがあるから、大丈夫ですよね?」


「うん、大丈夫大丈夫。中年男性は小食なんだ。小腹がすいたら煙草で誤魔化せばいいし」


「……本当に、一度ちゃんと禁煙してくださいね? 父親の吉田さんが体調崩したら、匡も悲しみますし」


「はーい」


 煙と共に適当な返事をする吉田に、久義は「大丈夫かなコイツ」と不安を抱えながらも、席を立った。


(最後に、あの子に何か言っておいた方が良いだろうか)


 ふと、そんなことを思った時であった。

 診察室の襖が、開いた。


「……成る程、やはりそうでしたか」


 声がして、びっくりしてそちらを見ると、病室に寝かせたはずの亜麻色の髪の少女が立っていた。

 さっきまで、一人では立ち上がれないほど疲労していたはずなのに、もう歩けるのか。

 目を丸くする久義に、少女がスタスタと近づいてくる。そして、身に纏うライムグリーンのスプリングコートから細い指がにゅっと伸びて、むんずと肩を掴んだ。


「貴方ですね。甘倉の凄腕術士というのは」


「……へ?」


 一から十まで訳が分からない。久義は自分の高めの体温が、混乱のあまり更に上がるのを感じた。

 目の前の少女は、果たして何を言っているのか。彼女の言葉を頭の中でリピートするが、理解は一ミリも進まない。


「すみません、名乗るが遅くなりました。私、日々ひびき歌子かこといいます」


「……い、伊国久義です」


 流れるような自己紹介に、つい返答してしまう。こんな怪しい少女相手に、名前を知られるのは危険なのではないかと、一拍遅れて後悔が込み上げる。

 そんなこちらの心の内などお構いなく、少女は低い声を連ねた。


「しかし、伊国さん。あまり、感心しませんね。あんな街中で、非常時でもないのに術識じゅつしきを使うなんて」


「は、はぁ……。え、えっと……何がです?」


 思わず尋ねれば、少女は片眉を吊り上げた。いかにも心外だ、というように。


「しらばっくれないでください。先ほどの病院からここまで、ずっと炎熱系の術識を発動していたでしょう。分かりますから、それぐらい。私も術士なので」


 全く身に覚えがない。もしかして、自分の高めの体温を指して、術識などという妙な表現を使っているのか。だとすれば、かなりの電波である。久義は数分前の丑の刻参りを棚に上げて、しっかりと恐怖した。

 そんなこちらの一挙手一投足を、欠片も意に介すことなく少女は続けた。


「助けてもらった手前、あまり文句を言いたくはありませんが、少し術士としての自覚が足りないのでは? 吉田さん、本当に大丈夫ですかこの人」


 久義は咄嗟に、吉田の方を見た。煙草を吹かしながら、ぼんやりと天井を眺めている。まるで魂のように、口の端から煙が抜けていた。

 数秒の沈黙。


「……あー、えっと。どうやら彼女はまだ混乱しているらしい。久義くんの身体が存外に硬かったんで、頭をぶつけた衝撃で空想と現実がない交ぜになったんだろう。やっぱ君クッションに向いてないね」


「む、何をモガッ!?」


 喋ろうとする少女の口を、吉田が手で押さえた。むぐむぐと、不明瞭な声が診察室に漏れる。


「という訳なので、久義くんは早く帰りなさい。この重症患者は私が責任をもって此岸に戻す。明日には地球滅亡系の陰謀説を見て馬鹿笑いできるまで回復してるだろう」


「は、はぁ」


 危険人物と吉田を同じ部屋に残していくのは心配だったが、まあ体格差を考えれば著しい危害を加えられることもなかろう。久義はかかりつけ医のフィジカルに望みを託しつつ、診察室から出ていった。

 それが、その日に起こった最後の不思議なことだった。


 残念なことに、人生最後とはならなかった。



 やってやんぞ。

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