7・宇宙交差
西田紗枝が大きな花束を持ってマンションに帰ると、ちょうど毎朝会う隣人と出くわした。
「こんばんは。今日は早いんですね」
爽やかな笑顔を浮かべ、折原俊一は紗枝の持つ花束に目を細める。
「綺麗ですね、誰かからのプレゼントですか?」
それは明日、画家だった姉の命日に供える為に買った物だった。しかし仏には相応しくない派手な花ばかりで、折原が勘違いするのも無理はないと紗枝は思った。
紗枝はあえて営業スマイルで頷き、彼の言葉を肯定する。
折原が小さく舌打ちしたことには、全く気付かない。
いい気なもんだ、と折原は顔には出さずに毒づいた。
さり気なくエレベーターの扉を押さえてやりながら、憎い女の華奢な背中、握ったらポキンと折れてしまいそうな首筋を、憎悪の篭った目で睨み付ける。
(この女のせいで恥をかいた、この女のせいで、畜生畜生畜生畜生畜生)
エレベーターの外を眺める振りをしながら、紗枝はそっとガラスに映った彼の顔を盗み見る。
怒ったような、思い詰めたような顔。花束を贈った相手のことを勘繰っているのだろう、と紗枝は思った。よくあること。どうでもいい。
紗枝の頭の中は、明日のことで一杯だった。
姉の事件の謎を解いてから、ずっと待ち望んでいた日。姉がその若い命を散らした日、命日に仇を取ると硬く決意していたから。
「西田さんみたいな方は、誘いが多くて大変でしょう」
折原が敵意を悟られないように笑う。女の行為に気付いていない振りを続けた方が、後々都合がいいと考えていた。
「えー? そんなことないですよお」
面倒臭い。そう思いながらも笑顔で受け応えしてしまう自分を、紗枝はこれを職業病と言うのかしらと冷めた目で客観している。
一方、最上階のとある一室では、管理人がエレベーター内の様子をじっと観察していた。
最近付け変えたばかりの最新型監視カメラは、映像も音声も素晴らしく鮮明だ。
広々と殺風景な自室でモニターの光を浴びながら、管理人はカメラを調節して二人の顔をアップにした。
大きな花束を抱え、西田紗枝は万遍の笑みを浮かべている。
折原とかいう隣にいる男に貰ったのだろう。管理人は少しだけ眉をひそめる。
西田紗枝は、管理人が心惹かれた、人生二人目の異性だった。
付き合いで嫌々行った夜の店で、たまたま会った派手で傲慢な女。
決して魅力を感じるようなタイプではなかったのに、彼女の中に初恋の人の影を見た。
顔立ち自体がよく似ていたのもあるが、初恋の人、さやかとは比べ物にならないほど下品であばずれ。
だから不思議だった。そもそも、さやかの内から溢れる純粋さ、神聖な輝きに触れて恋をしたのだ。
なのになぜ、少し顔が似ているだけの下劣な女に、いつまでもさやかの影が重なり続けるのか。
理解出来ないままに、管理人はやはり西田紗枝の笑顔に、笑顔を向けられる男に嫉妬を感じてしまっている。
「彼女は、僕の……」
座ったソファーに体重を預けると、天井を仰いで大きく息を吸う。
胸がドクドクと鳴っていた。常に冷静な管理人にとって、こんな感情の高ぶりは対処のしようが無いものだった。
折原という男。何かと普段から、西田紗枝に近付こうとしているのを知っている。
あの笑顔から察するに、西田紗枝も満更ではないだろうと考えていた。
何度か店に通っただけの自分の誘いにあっさり乗り、簡単にこのマンションに引っ越して来た女。
金や権力には弱いだろう。まして折原という男は、外見も申し分ないときている。
管理人はギリギリと奥歯を噛んだ。
「あの女は……あの女は僕の……」
その時、隣の部屋で電話のベルが鳴り出した。