表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/10

5・再び俊一

 光り輝く真昼の太陽。俺に相応しい、汚れのない純白の眩しさ。



 俺は手鏡で顔と髪のチェックをし、シャツの衿を直してから車を降りた。


 駐車場から会社までの僅かな道のりさえ、俺のような人種にとっては花道、いやいや、イバラの道となる。


 通りすがり、チラチラとこちらを見ずにはいられない他社のOL達。


 恐らく俺の素晴らしき業績を噂で伝え聞いているのだろう、サラリーマン達の嫉妬に溢れた視線。


 やれやれ、全くもって彼らの不躾な視線には、毎回閉口させられる。


 まあ、これも特別な人種として生まれた者の宿命なのか。


 そんなことより、今日は水曜日だ。


 そう、受付カウンターに例のあの子がいるはずの日。


 うちの会社にしては珍しく、中途採用で入社して来た変わり種なのだが。


 その清楚で品のある容姿、育ちの良さを滲ませる優雅な仕草を思い出し、俺は柄にもなく少しだけ口角を上げる。


 当初の印象は完璧なまま今なお続いている。


 横においても恥ずかしくないと思える女に出会ったのは、本当に一体何年ぶりだろうか。


 俺は気分良く、けれどいつも通りのクールさを崩さず、金に輝く社員用カードを使って専用入口を抜けた。


 俺が正面ホールに姿を現すなり、カウンターにいた彼女の顔に笑顔という名の華が咲く。


「お早うございます。今日も一日、宜しくお願い致します」


 他の女性社員に違わず、彼女もやはり俺に好意を抱いているのが分かる。


 丁寧な挨拶の中にも、俺に対する特別な感情が所々見え隠れしているのを、彼女はきっと知られていないつもりなのだろう。


 他の女性社員が嫉妬しそうな極上の笑顔を投げかけ、俺は短くクールな挨拶を返す。そのまま部署に急ごうとしたのだが。


「あ! あの、折原さん」


 意外。


 奥ゆかしい彼女が、自発的に話し掛けて来るなんて、今まではなかったことだった。


「何だい?」


 内心を隠して余裕の笑顔を向ける俺を、彼女の華奢な手が迎える。


 可愛いピンクにラメを散らした爪がキラキラ輝き、ささくれの一つも無い綺麗な手が。


 手が。


 色気の無い、滋養剤を掲げている?


「あのこれ、良かったら飲んで下さい。最近お疲れのようだから」


 にっこりと天使のような微笑みを浮かべて、あまりにも似つかわしくない滋養剤の瓶には、『慢性疲労』『年齢を感じ始めたら』『中高年のしつこい疲れに』


「は?」


「これよく効くって、専務がよくお飲みになってるんですよ。折原さん、最近クマとかひどいから……」


 専務? 五十絡みのあのエロジジイ。そいつがよく飲む物を俺が? ちょっと待てよお疲れのようって、クマがひどいって俺が? 俺がか?


 頭の中に怒涛の勢いで混乱が吹き荒れ、ニコニコ笑う彼女と自分にだけスポットライトが当てられているような気分になった。


 何だ? 意味が分からない。だって俺は、いつもクールでソツが無くて完璧で颯爽としていていつだって何の問題も。


「あれー、香織ちゃん折原にだけズルくない?」


 いつの間に入って来たのか、同僚に肩を叩かれて我に返った。


「おはようございます。やだ、田島さんにはこんなの必要ないじゃないですか」


 口に手を当てて笑う彼女に、田島がこれぞチャンスとばかりに馴れ馴れしく話しかけているが、もはや俺にはどうでもいい。


 真っ白になった頭を何とか動かし、ありきたりな礼を述べてその場を離れるのが精一杯だった。


 ピカピカな靴からきちんと折り目の付いたズボンがすらりと伸び、腰で締めたベルトは当然一流ブランドのもの。


 清潔感のあるシャツは襟元にさり気なく工夫のあるイタリアブランド、カフスにだってひと工夫ある。同じくイタリアブランドのネクタイをきっちりと締め、どんな激務にも爽やかな笑顔で対応する疲れ知らずのスーパーエリート。


 それが俺。


 それが俺のはずなのに。


 なのになのになのに、滋養強壮剤? しかも五十過ぎの専務愛用の!


 疑ったこともなかった自己イメージにヒビが入り、俺は仕事の合間も鏡を見るのがやめられなかった。


 今まで仕事に集中出来ないことなどない。パソコンを打ちながらも、デスクに置いた鏡が気になって仕方ないなどもっての外。


(どうしてだ。どうしてだどうしてだどうしてなんだ)


 自分の外見を過信していて、服装やヘアスタイルの乱れ以外はあまりチェックしていなかったかもしれない。


 言われて改めて観察すると、成る程、目の下の血色が悪い。身を引いて少し遠くから映すと、更にその血色の悪さが目立つ。


(あああ、よく見たら肌も荒れてないか? 何でだ、いつからだ? 剃刀負けとかじゃない、いつからこんな疲れた顔に)


 休憩時間を告げるチャイムが鳴り、けれど仕事はほとんど手付かずのままであることに気づき、再びショックを受ける。


(いつも仕事は一時間毎に段取りを決め、完璧にこなしてきた。こんなのはおかしい、間違ってる、落ち着け落ち着け落ち着け)


 何事にも原因がある。冷静に考えれば必ず突き止められる。原因を突き止めて冷静に対処し、速やかに解決する。それが出来るのが俺だ、スーパーエリートの俺なのだ。


(最近変わったことと言えば……)


 普段の生活を考え直してみて、すぐに原因に思い当たる。


(そうだ、単純なことじゃないか)


 寝不足だ。最近ずっと隣の馬鹿女に合わせて、無駄な早起きを続けている。睡眠時間が足りていないから、代謝のバランスが崩れてしまっているのだ。


(なんだ、だったら簡単なこと……)


 思わず安堵の笑みを零しそうになった俺は、そこでハッと恐ろしい事実に気付いた。


 同僚達のざわめきが一瞬で背後に去り、電流を通されたように強張る体を冷たい汗が流れていく。


(こんな風に消耗しているなんて、爆音目覚まし女の思惑通りじゃないか!!)


 


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ