Ⅰ
2~3話のお話。(作中、数を表す文字は数字で表記させて頂いております)
私、セラフィナ・バザロヴァが長年の敵だったヴァルヘット国に嫁ぐ事が決まったのは、18歳の誕生日の時だった。
バザロヴァ王家に生れたからにはいずれ政略結婚をする身だと分かっていても、流石にその決定には落ち込んだ。
私が嫁ぐ事になったヴァルヘット国は、当然だが私達を嫌っており、嫁いだ先では嫌な思いを沢山するだろうと周りから言われたからだ。ヴァルヘット国とは休戦協定が結ばれたばかりだが、お互い抱いている印象がすぐに変わるわけはない。
正直に言えば、私もヴァルヘット国民に対して良い印象は持っていない。先の戦において、残虐とも言える作戦を実行し、私達の国を打ち破って来た事から、彼らの本質は冷たく陰湿で、疑り深いと。そう心の底で思っていた。
とは言え国同士の決定に逆らうわけにもいかず、私は涙を呑んで嫁ぐしかなかった。
けれど、敵国で一生蔑まれ馬鹿にされ、嫌な思いが続くのはごめんだ。泣いて暮らす毎日も嫌だ。
どうせならば見返してやる。ヴァルヘット国民も王族も、最初は私を蔑めばいい。あとで、このお姫様はなんていい子で素敵な子なのだろう、こんな子がバザロヴァ国に存在していたなんて!と言わせてやると。嫁ぐ事が決まってから、私は徐々にそう思うようになった。
(だったら底抜けに明るく、元気よく…素直でいい子を演じきってやる。バザロヴァ国の印象をひっくり返し、バザロヴァ国を攻めた過去を後悔させてやるんだから!)
本来ならば私は無口で静かな性格で、部屋で本を読んでいるのが大好きで、全く社交的でない性格だった。初対面の人と話す事は苦手で臆病なところもある。しかしそれだと絶対に馬鹿にされる。所詮バザロヴァ王家の王女なんてこんなものよと言われるに決まっている!と言うのも、既に私はそういう王女だと国の貴族達は認識しているのだから…。
***
「初めまして、ギルベルト殿下!わたくしはセラフィナ・バザロヴァでございます!お会いできるのを心より楽しみにしておりました!」
私の結婚相手であるヴァルヘット国の王太子・ギルベルトに会った時は盛大に演技をしてやった。後で顔の筋肉がピクピクするくらい、大きな笑顔で挨拶をし、始終ニコニコしていた。
その場にいた王族一同、そしてヴァルヘット国の者達は私に対して冷たい目を向けてくる。ギルベルト王子も、一瞬だけ目を丸くさせたが、すぐに無表情になって私を見つめる。
「よく来た、バザロヴァ国の王女。僕がギルベルトだ」
「ええ、存じておりますわ!姿絵を拝見した時から、心臓がドキドキしていて…あ、勿論今もドキドキしているのですよ!」
‘王子に好意を持っています’の仕草をして少し恥じらいながらそんな台詞を言う。ああ…普段の私は本当に、絶対にこんな事を言わない。天井にもう一人の自分がいて、今の自分を見て呆れているような、そんな不思議な感覚になった。
ギルベルト王子は綺麗な男性だった。私よりも3つ年上だから21歳のはずだ。薄い茶色の髪は少し癖っ毛で所々くるりと巻いていて可愛い。しかしきりっと一重の目は見る者を射抜く力があって、王子という風格があった。
「やはり殿下は素敵です!わたくし、殿下に嫁げてとても嬉しいですわ!」
「………」
ギルベルト王子は顔をしかめて、変なものを見る目つきになる。予想していた通り、私に対していい感情は持っていなさそうだ。でもくじけない!絶対にここの国民達に私と私の国を認めさせるって決めたのだから。
それから私はかなり頑張った。
まず、私の身の回りを世話する侍女達は私に陰湿ないじめをしてきた。仕事は大雑把で適当に行うし、私が話しかけても一切口を開かない。バザロヴァ国から持ってきたお気に入りの本とドレスは数点なくなり、宝石も盗られてしまったようだ。食事の中に何か変なものが入っていたので、慌てて持参した解毒剤を飲んだ事もある。
侍女のいじめは大臣に報告をしていたが、あまり改善されなかったように思う。一人が解雇されてまた別の侍女が来ても、同じ事が繰り返されるのだから。
けれども明るく過ごした。何も気にしていないかのように、努めて明るくニコニコして過ごしていた。
夜会に出ても、遠まわしで嫌味が言われる。ギルベルト王子の腕に自分のそれを絡め、王子の隣に立っていても王子は決して助けてはくれない。私は自分で自分の身を守るしかなかった。あまり嫌味で返しすぎるとこれまた何を言われるか分からなかったので、鈍感なフリをして全て流している。
一日中気が抜けない。常に誰か ―護衛や侍女といった人達― が私の後ろに立ち、私を見張っている。無表情で冷たい目で、私を拒絶するオーラを纏って。
味方なんて誰もいなかった。誰か一人、気のおけない侍女を国から連れて来たかった。しかし他国へ嫁ぐのだから、侍女も全てヴァルヘット国出身の侍女となると告げられており、故にその望みは叶わなかった。
趣味の読書は全然できない。この国の人たちは、男女問わずに馬に乗れる事が教養として求められるので、時間があればずっと乗馬の練習をしていた。私は乗馬が本当に苦手で練習するのも憂鬱だったが、それでも「乗馬って本当に楽しいんですね!」と嘘を吐き続け、笑顔で頑張ったわけである。
そう、私は確かに頑張った。
ギルベルト王子との結婚が迫る頃には、私の頑張りようの成果か、少しずつ周りの人たちも自然と話してくれるようになったのだ。侍女達の嫌がらせも減り、むしろ侍女達がかばってくれるようになった。
乗馬も沢山練習したからか、最初に比べたら随分と乗れるようになったし、馬とも仲良くなった。
そうして気を常に張って毎日頑張って来たわけであるけれど、夜になると疲れが出て、無性に涙が出る時がある。故郷が恋しくて、本音で語れる人が傍に居て欲しいと願い、そして寂しくて泣く。また明日は笑顔で乗り切らなくてはならない。だから泣くのは今だけだ。そう思いながら、私はいつも夜を過ごして眠りにつく。
ところで、ギルベルト王子は私の事が本当に嫌いだったようだ。顔を合わせても顔をしかめるし、どんなに笑顔で話しかけても無表情。いつも気合いを入れて、渾身の演技をぶつけるが…。
「殿下!今日は本当に良いお天気ですね!折角だから、一緒に遠乗りしましょうよ!」
「……仕事があるから無理に決まっているだろう」
「え…そうなのですか。残念です…。では、お茶はいかがですか?あとで一緒に、是非」
「一人で勝手にやっていろ。僕は忙しい」
こんな調子で取りつく島もない。あれこれ話しかけ、ついには「バザロヴァの王族は煩い」とまで悪態をつかれてしまってかなりショックだった。王子にはどうやら、私の演技はうざがられているのかもしれない…。
あの人と結婚して、私は本当にやっていけるのだろうか。
私の家族はとても仲が良かったが、ギルベルト王子と仲の良い家族をつくれる自信が全くない。王子は私をいつだって煙たがっているし、あまり目も合わせてはくれないのだ…。
その状態で迎えた王子との結婚式は、緊張であまり覚えていない。
白いドレスを着て王子の隣を歩いた事も、誓いの言葉を述べた事も、お祝の言葉を色々な人達から言われたのもあまり覚えていないのだ。ただずっと、笑顔で…笑顔でいようと。それだけを胸に頑張った。
初夜も怖かった。夫婦になるという事は知識として知ってはいたが、私の事を嫌いな王子と夜を迎えるという行為が本当に怖かった。でも大丈夫、いつものように笑顔でいれば乗り切れると。私はずっと自分を鼓舞し続けた。
「……待ったか」
ベッドの上で待ち続けてどのくらい経ったかな。王子がやって来た。
暗闇の中でゆったりしたガウンだけを身にまとった王子は余裕があるようだった。いつものように無表情で冷たい目で私を見下ろす。ぎしっとベッドの上に乗って来て、私の前に腰を下ろす。
言わなくてはいけない台詞があったのだ。夫となった王子に、作法として言うべき言葉が。しかし何も出てこない。笑顔ではいるけれど、緊張して何も口から出てこない。
「………王女…?」
王子の冷たい声が聞こえる。王子の手が私の頬に触れる。
途端に涙が出て来た。笑顔で乗り切ろうと思ったけれど、駄目だった。とても怖かった。この後の事が、そしてギルベルト王子の事が。
「…………どうした…?」
「………っ…!も……申し訳……ありませ……っ!」
折角今まで頑張って来たのに、もう駄目だった。なぜか分からなかったけれど、涙がハラハラと流れて止まらない。ひっくひっくと嗚咽が出て来て、必死に私は両手で口をおさえる。
こんな日にこんな所で、しかも私の事を目の敵にしている王子の前で泣くなんて…!今まで必死で演技して頑張って来たのに、これでは駄目じゃない!笑顔で乗り切って、「殿下、昨日の夜はとても幸せでした」くらい言ってやろうと思っていたのに。
だと言うのにこの有様だ。号泣してしまったのだ。
嗚咽で息ができない。胸が苦しい。涙が止まらずに困る。今までの事が頭の中に流れて、切なくなる。
「う…っ!う…っ」
「………」
ホロホロと泣く私を、ギルベルト王子は黙って見ていたようだ。きっといつものように、冷たい目で私を見下ろしているのだろう。そして「煩い、泣くな」とでも言うのだろうか。それとも呆れて部屋を出て行くかな。どちらにしろ、そんな事をされたらもう私は駄目になる…そんな気がした。
しかしそのどれでもなかった。王子は両腕で私を包み込むと、子供をあやすかのように優しく背中を撫でてくれた。
「……ゆっくり息を吸え。落ち着け。ゆっくりでいいから……」
「……っ……!あ……」
「大丈夫だ。別に俺は怒っていない…。ゆっくり息をしろ…」
片方の腕で私の背中をさすり、もう片方の手で頭を優しく撫でる。まさかそんな事をしてくれるとは思わず、更に息が詰まる思いがしたが、不思議と緊張していた身体から力がいいように抜けていくのを感じた。
「す…すみませ…っ…こんな姿を……!」
「………」
まだ涙は止まらない私を、王子は何も言わずにベッドに横たわらせた。再び身体が緊張していくのを感じたが、王子は私の横に横臥してブランケットをかけてくれた。
「何もしない。だから安心しろ」
「………っ……で……でも………」
「そんな大泣きされてはこちらも困る。だから安心しろ。何もしないから」
「………」
「泣きたいならば泣けばいい。俺は怒りもしないから」
「………は……はい……」
まだまだ涙は止まらず、ひっくひっくと嗚咽が出る。恥ずかしくて両手を顔に持っていき王子から隠す。
王子は何も言わず私の横に寝そべったまま、優しく私の背中や頭をずっとずっと撫で続けてくれたのだった。
それから私は少しだけ自分が変わったのを実感した。
あれ程頑張って周りに笑顔を振りまいて元気にしていたが、肩の力が抜けたと言うか、そこまで無理にしなくてもいいやと思うようになった。勿論、人から話しかけられれば常に笑顔でいる事を心がけているし、社交的であるかのように見せかける事は頑張っているけれど。
ギルベルト王子との関係も、ちょっとだけ変わった。
王子は毎晩、私とベッドを共にするようになった。夫婦なのだから当然だが、私を嫌っている王子がそのようにしてくれるとは予想もしておらず、内心でとても驚いたものだ。
王子と私は未だに夫婦らしい行為はしていない。ただ一緒に寝るだけ。
けれども、王子は必ず寝る時は私の背中をさすり、頭を撫でてくれるようになった。何も言わないけれど、彼なりの誠意の表れである事は明白で、その事がとても嬉しく、私はいつでも彼の腕の中で涙を流すようになったのだ。
多分その頃からだろう。私はギルベルト王子の事を本当に好きになってしまったのだ。私の事を好きでもないだろうに、子供のようにあやしてくれるその優しい所に惹かれてしまった。
王子に近寄る時は常に演技をしていた。明るく元気よく、‘あなたの事が好きです’と言わんばかりの態度で。
しかし自分の気持ちを自覚してから、その演技がやりにくい事この上ない。笑顔でいようと思って王子の顔を見ても、ついつい笑顔がひきつってしまう。何か話題を振ろうと必死で頭を働かせるが、間がもたない。おかしい…今までこんな事、なかったのに!
とは言え、今までと違う行動をしたら絶対に変に思われる。いや、夜にメソメソ泣くのがバレているから変に思っている事は確かだけれども!ああ…私は一体どうやって王子と接したら良いのだろう!?
「……お前もよく来るな…。俺に構わず、乗馬でもしていろ」
「……そ、そう仰らずに…!折角ですし、一緒に」
「見て分からないのか。忙しい」
「……う……」
ある日の事だ。ギルベルト王子の部屋に押しかけた。勿論演技だったが…演技になっていなかったのは私も認める。
書斎で王子は一人だった。机の上には書類と本が積まれていて、忙しいのは一目で分かる。なのにこの誘い文句はおかしすぎる…と分かっていたのに、頭が回らない。
「そ…そういえば!殿下は、実は一人称は‘俺’でしたのね!初対面の時は‘僕’でしたのに!最近知って少しだけ驚きました」
「…………だったら何だ…。お前煩いぞ…」
「う………そ…そうです……よね……」
「仕事の邪魔だ。いいから出て行け」
「……でも……」
私は何がしたいのだろう。あれほど目的がはっきりしていたのに。どうしてギルベルト王子の前では上手くできないんだろう。
無言になって下を向いてしまった私を見て、王子は溜息をついた。その溜息に思わずびくっと身体が震える。
恐る恐る王子を見ると、顔をしかめて怖い顔でこちらに迫って来る。あ…これは本格的に怒られるかなと思い、一歩後ろへ下がるがすぐに壁にぶつかる。
ギルベルト王子は右手で私の手を掴み、左手で私の顎を掴んだ。一体何をするのかと思えば…。
「っ!?」
何が起こったのか分からなかった。王子は私と唇を合わせてきたのだ。
「ふぁ……で…殿下……っ」
声がもれる。王子は角度をかえて、何度も何度も私に口づける。次第に王子の腕は私の腰に回り、私の体は少しだけ浮いた。
深い口付けに酔いしれる。思わず王子の腕に両手を回し、王子に抱きつく私がいて―……。王子も私を抱きしめてくれた。
しばらくしてキスが終わる。王子の綺麗な顔が目の前にある。自分達のしていた行為を思い出し、一気に恥ずかしくなって王子から離れると、王子は何事もなかったように私からするりと離れて言い放った。
「部屋に戻れ。構ってほしいならば、夜に構ってやる」
「………っ……殿下……」
「それとも今泣きたい気分なのか?それならばそうと言え。お前の話は分かりづらい」
「……し、失礼致しました!」
きっと今の私は顔を真っ赤にさせている事だろう。まさか王子とキスをするなんて思わなかった…!
急いで部屋に戻り、一人でベッドの上で丸くなる。ああもう、王子とどんな顔をして会えっていうのだろうか。私はずっとうーんと悩み、唸っていた。