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十七話 友に贈る名

 イズメイルの疑問に対して、エウリアスは言葉を詰まらせた。一連の叙事詩の中では胸躍るラバーシュ王とセンナリムの冒険譚が一番好きなエウリアスにとって、魔女アスタルテに関してはさして興味を惹かれなかった。だから、彼女が何故あのような蛮行に及んだかなど深く考えたこともなかったのだ。

 彼は少しの間思案し、眉根を寄せながら、これは憶測だけど、と前置きをして口を開く。


「王にはアスタルテ以外にも側室が沢山いたんだ。王は全ての妻を分け隔てなく愛したから、彼女はそれが気に入らなかったんじゃないかな。王の愛を独り占めしたいけど、それが叶わないのであれば、いっそのこと王を破滅に陥れてやれ、と」


 歪んだ愛だ。だが、それも一つの愛の形なのかもしれない。

 実際のところ、アスタルテが王と魔術師の中を引き裂いた理由ははっきりしていない。嫉妬以外にも、実は彼女にとって王は仇であり、その復讐のためだったという説や、彼女自身何者かに操られていたのだという説もあるということをイズメイルに伝えてやると、彼は目を伏せて黙り込む。エウリアスはそれを不思議な思いで見つめていた。


「お前は同じ魔術師のセンナリムに興味を持つかと思ったけど、アスタルテがそんなに気になるのか?」

「……昔の知人になんとなく似ているような気がして」

「本当に? お前の知り合い、おっかねえな!」

「別におっかなくはないさ。……馬鹿な奴だとは思うけど」


 そう歯切れ悪く呟いて口を引き結び、目を逸らしたイズメイルに、エウリアスがそれ以上聞き込むことはなかった。彼が目を逸らして口をつぐんだ時は、もう話す気はないという意思表示だ。それを無視してしつこくつき纏えば酷い目に合わされるということを、六年のつき合いであるエウリアスは嫌と言うほど知っていた。


「それで、だいぶ話が逸れてしまったけど、俺とお前は子供の頃からのつき合いだし、お互い一番に信頼し合える仲だ。そりゃ、昔は喧嘩ばかりしてたけど、今はお前という親友を得られて心から幸せだし、お前のお陰でここまで来れたんだとも思っている。これでも一応お前には感謝してるんだぞ」


 面と向かって言うのはやはり気恥ずかしかった。だが、友が昇進した今だからこそ言ってやりたいとも思う。皇太子つきの近衛魔術師ともなれば、今まで以上に共に過ごす時間は少なくなる。それならば、今伝えられることは、全て伝えておきたかったのだ。

 エウリアスがイズメイルを見上げて破顔すると、彼もつられたように表情を緩めた。口ごもるように「それはどうも」と一言口にし、手すりの向こう側へ静かな眼差しを向ける。


「……お前は幸せなのか?」


 ふとエウリアスの口をついて出た問いに、イズメイルがびくりと肩を震わせた。手すりを握る手に力が籠るのが、傍目にもよく分かった。


「俺に幸せか聞いた以上は、お前も答えろ。俺はもちろんお前にだって幸福であって欲しいと思っているんだからな。俺だけが幸せじゃ意味がないんだ」


 エウリアスの言葉に、イズメイルはしばらく何も言わずに前を見つめていた。どう答えようか考えあぐねているようだった。やがて彼が僅かに口角を上げ、エメラルド色の瞳で自分を一瞥しながら「幸せだよ」と呟いた時、エウリアスは密かに失望の嘆息を漏らすことしかできなかった。


 イズメイルはなかなかその本心を人にさらけ出そうとはしない。悩みや憂いは全て自らの奥深くにしまい込み、他人には決して立ち入らせないのだ。エウリアスにはそれがもどかしくて仕方がなかった。辛そうな顔はするくせに、自分には何も話してくれないその態度が腹立たしかった。

 だからといって、友の心を覆う殻を打ち破り、その奥底に踏み込んでまで彼の真意を問いただしてやろうなどという気概は、エウリアスにはなかった。入り込んだが最後、どうしたらよいのか分からず右往左往することは目に見えていたし、彼の心に土足で踏み込むことで少なからず荒らしてしまうであろう彼の脆い部分を、元通りに直してやれる自信もない。それに、イズメイルに――親友に拒絶されたらと思うと、たまらなく恐ろしかったのだ。

 それならば、こちらから無理やりイズメイルの心の内を暴こうなどと画策するよりも、彼の側から打ち明けてくれるのを待つ方がよほどよい。そうすれば彼を傷つけることもないし、自分が傷つくこともないのだから。


 エウリアスは盃に残っていたカミツレの薬草茶を呷った。すっかり温くなっていたほろ苦い液体が、さらりと喉を流れ落ちてゆく。


「……お前も幸せならそれでいいんだ。でも、もし辛いことがあればいつでも俺に話せばいい。助言とかそういうのは俺じゃ役に立たないだろうけど、話を聞いてやるくらいは俺にもできるから」


 それが今のエウリアスにできる精一杯のことだった。自分は不器用で口下手で、気の効いたことの一つも言えない荒削りな人間ではあるが、せめて自分の存在が友の心の支えになってやれたらと。それが親友というものなのだろうから。


 エウリアスの言葉を受けたイズメイルが、目の前で呆気に取られたように目と口を開いていた。幼子のように無防備な表情で、真っ直ぐに彼を見つめている。美貌の魔術師にはあるまじきその間抜け面がエウリアスには可笑しくて、思わず吹き出してしまう。


「なんて面だ、酷いなぁ! 〈月夜のエズラム〉の名が泣くぞ!」

 

 エウリアスが笑い混じりにその名を口にした途端、イズメイルの呆けた表情がみるみる歪み、心底嫌そうなものへと変化した。


〈月夜のエズラム〉。

 その美貌をイトゥス神話きっての美青年エズラムに、豊かな白金の髪を月の光に例えられたイズメイルの綽名は、いつ誰が言い出したのかは分からないが宮廷内では周知のものだ。かつて過ごした後宮のモザイク画に描かれたエズラムの姿――白金の髪に緑の目だ――を思い浮かべてみても、これほど彼にぴったりの綽名はないように思うのだが、あいにく当の本人はお気に召さないらしい。


 イズメイルはうんざりしたように鼻を鳴らしながらエウリアスを睨みつけた。


「頼むからその名で呼ぶのはよしてくれ」

「なんでだよ、いいじゃないか。エズラムは絶世の美男子なんだぜ。それとも別の綽名の方がよかったのか?」


 いろいろあるぞ、とからかい混じりに笑いながら〈銀真珠の魔術師〉〈月光の君〉〈美神サリスの申し子〉とイズメイルに与えられた二つ名を思いつく限り上げてゆけば、目の前の親友は美辞麗句の数々にたちまち狼狽え、かと思えば「恥ずかしいからもう止めてくれ!」と声を上げながら顔を覆い、げんなりしたように生気のない目つきで唸る。

 イズメイルは本当に表情豊かだ。公の場では年嵩の魔術師たちに侮られぬよう、いかにも矜持の高そうな澄ました表情を崩さないが、こうやって他者の目がない時は、気兼ねなく本来の彼らしい姿を見せてくれる。それだけ自分は彼に信頼されているのだと思えば、嬉しく思わないはずがなかった。


「なあ、そんなに不満なら、俺がお前の綽名つけてやろうか?」


 手すりに肘をつきながら意地悪く笑って言えば、イズメイルは明らかに警戒したように眉根を寄せた。不信の色濃いエメラルド色の瞳がエウリアスをじっとりと見つめている。少しでも彼の気に障ることを言おうものなら、弁解の余地もなくこの手すりの向こう側に放り出されそうだ。


「……どうせ、ろくでもないのをつけるつもりだろう?」

「まさか。ちゃんとお前も納得できるものをつけてやるさ。考えるからちょっと待ってな」


 エウリアスはそう言って、イズメイルを正面からまじまじと見つめた。

 彼と初めて出会った時も思ったが、彼の白っぽい髪色はカルコリスでは非常に珍しい。光の加減によって金にも銀にも見える髪は、触ってみると驚くほど滑らかで柔らかく、細かく波打ちながら豊かに背中に流れている。なるほど、多くの宮廷人がイズメイルの容姿を月光や真珠になぞらえる訳だ。

 だが、彼に相応しいのは月光でも真珠でもないとエウリアスは思う。それらがもたらす優雅さや繊細さ、静謐さといった印象は、確かにイズメイルの一面を表すにはぴったりかもしれなかったが、それは彼の本質ではない。

 となると、彼の本質はいったいどこにあるのだろう。

 顎に手を当てて思い悩む。ちらりとイズメイルに目をやれば、抑えきれない期待と無邪気な好奇心に満ちた彼の瞳とかち合った。磨き抜かれた宝石のように澄んだ双眸は、美しいエメラルド色。その瞬間、エウリアスは閃いた。


「緑の目……エメラルド……」


 呆けたように呟かれた言葉に、イズメイルが「エメラルド?」と訝しげに首を傾げる。エウリアスは満面の笑みを以て親友に応えた。


「そうだ、エメラルド! 俺がお前に贈る綽名は……エメラルドの魔術師だ!」


 これだと思った。彼には、イズメイルには、この二つ名が相応しい。それは直感でもあったが、確信に近かった。


「エメラルドって……もしかして、目の色?」

「まあ、そんなところかな。お前の目はエメラルドみたいに綺麗な色だから、ぴったりだろう?」

「うん……まあ、間違いではないけど」


 期待外れだとでも言うようにイズメイルが肩を落とす反面、エウリアスは嬉しそうに何度も頷いた。

 何故、すぐに気がつかなかったのだろう。彼の本質は全て、この美しいエメラルドの瞳に現れているというのに。怒ったり笑ったり泣いたり、くるくると色を変え、持ち主の内面と人柄を映し出すように優しく煌めいたかと思えば、時には激烈に燃え上がる二つのエメラルドが、自分は何よりも大好きだというのに。


 エウリアスがひとり納得したように喜色を浮かべる反面、イズメイルは腕組みしながら未だ不満そうに口を尖らせていた。彼は、目の色がエメラルドのような緑色だからという単純な理由だけで渾名をつけられたと思っているのだ。エウリアスにしてみれば、そんなありきたりな理由だけではなかったが、それを本人に教えてやるつもりはない。それは自分だけが知っていたらいいことなのだから。


 エウリアスはイズメイルの肩に親しげに腕を回すと、にんまりと微笑んだ。


「そういうことだから、これらもよろしく頼むぜ、エメラルドの魔術師殿」


 そう言ってぽんぽんと肩を叩いたエウリアスに、イズメイルは呆れようにため息をついてみせた。だが、その目はどこか嬉しそうだった。


「何だよ、エメラルドの魔術師って。捻りもないしつまらないし。まあ、お前に詩的な素養を期待したのが間違いだったか。――でも、悪くない。少なくとも〈月夜のエズラム〉よりはましだ」


 イズメイルが笑いながら首に巻きついた腕を押しのけて、やんわりとエウリアスを突き放す。そのついでに、彼の手からするりと杯を抜き取った。盃を手に納めたイズメイルが、衣の裾を翻しながらエウリアスに背を向けると、その背中で月光色の髪がふわりと舞い上がった。


「お前も長居して風邪を引くなよ。ニクスール殿にあまり心配を掛けてやるな」


 そう言い残して去っていくイズメイルに、エウリアスは前を向いたまま「ああ」と気の抜けた返事を返し、彼には見えないと知りつつ片手を上げた。


「エウル」


 親愛の籠った穏やかなイズメイルの声に呼び掛けられて、エウリアスはゆっくりと振り返った。広間に通じるアーチの下で顔をこちらに向けた友が、月明かりの下でエメラルド色の目を細めながら微笑んだ。


「――ありがとう」


 エウリアスが言葉もなく呆然とイズメイルの姿を見つめていると、彼は用は済んだとばかりに身を翻して、あっという間に広間の中に姿を消す。

 彼本来の優しさと人柄が滲み出た、素朴で屈託のない笑顔。それは決して優美とは言えなかったが、間違いなく彼の心からのものだったのだろう。だから彼はあんなにも素直な言葉を口にしたのだ。それは滅多にないことだった。

 知らず知らずのうちに笑みが溢れた。胸がじんわりと温かくなる。意地っ張りで矜持高い親友の素直な言葉が嬉しかった。

 そしてあの笑顔。彼もあんな風に無邪気に笑うことができるのだ。イズメイルが去り一人露台に取り残されてからも、彼の温かな笑顔はしばらく頭から離れなかった。願わくばあの笑顔が友から失われることのないように、と祈らずにはいられなかった。


 エメラルドの魔術師。


 決して華やかではない地味な二つ名。だが、イズメイルは喜んでくれた。友に贈った親愛と絆の証を舌の先で転がしながら、エウリアスは満ち足りたように一人微笑んだ。

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