お父様には内緒です
以前投稿した『ああ、なんだ、我慢しなくて良かったのか』の後のお話。レイ視点となります。
これだけでも楽しめますが、前のお話を読んでからの方が楽しめると思われます。短編ですので前のもぜひ。
エミリアを初めて見たとき、目の前に天使が現れたのではないかと思った。
当時は分からなかったけれど、今思えば確実にそれを『一目惚れ』と呼ぶのだと思う。
彼女とはある意味政略的な婚約だった。
当時、国王からもっと上の位を与えたいと願われていたエミリアの父、アーマライド伯爵が、国随一だと言われる優秀な頭脳を駆使し、それを悠々と回避していたことが原因である。結局伯爵をどうすることも出来なかった国王が、嫌がらせのため宰相を任せている私の家、カットソン侯爵家との婚約を条件にこの一件について願う事をやめてやろうと言ったのだ。
だからこの婚約は、『王命であり、普通の政略的な婚約よりも強い意味を持っている』という事を昔から頭に叩き込まれていた。
けれどそれは、彼女とは絶対に結婚ができると言う約束。寧ろ、こんな幸せな事があって良いのかと昔の自分は感激していたほどだった。
「……で…………アレクは……好き」
「僕も…………好きだよ」
そんな会話を聞いたのは、彼女が学園に入って僅か10日経った時だった。
生徒会の仕事が早く終わり、彼女に少しだけ遅い祝いの言葉と祝いの品を贈ろうとしていた日だった記憶がある。
同じ学園で学ぶことができる事に喜びを感じていた自分は、生徒会の役員としての仕事がなければ毎日でも会いに行っていた事だろう。
そんな時に聞いた、男の名前を愛称で呼ぶ彼女の声と、好きという単語。
それはあまりにも衝撃的で、その場所から身動きが取れなくなってしまった事を、今でも思い出せる。
「婚約者になれば相手を好きになる」だなんて、そんな事はまるでない、ただの願望でしかなかったんだと、その時初めて理解した。
そして、チラリと見えた彼女の顔は、今まで見たことがないほどニコニコと笑って幸せそうであった。
学園に入る前、自分は彼女に半年に1度しか会う事は許されていなかった。なぜなら、会う為にはかなり難しい課題を終わらせなければならなかったからだ。
贈り物も、たくさん贈られては困ると伯爵から言われていた為にほとんど出来ず、そういえば彼女に自分の好意を伝える機会など今までの一度も無かったのだと気がついた時には、部屋で一人、涙を流していた。
あの幼馴染とはどれほど仲が良いのだろうか。
愛称で呼ぶほどには心を許しているのだろうけれど。
こんな気持ちになるならば、課題など無視して彼女にもっと会いに行けば良かった、もっと贈り物を届け、そして、恥ずかしがらずに好意を伝えるべきだった。
そんな考えばかりが頭を巡って、まともに寝る事が出来ない日が続いたある日、友人に招かれたパーティーに出る事になる。
エミリアが13歳、自分が16歳の時の話だ。
※ ※ ※ ※ ※
「レイ様」
「……エミリア?」
「ごめんなさい、起こしてしまいました?」
私は寝ていたソファから体を起こすと、紅茶を淹れてくれたエミリアをソファに促した。
エミリアと両想いだと知れた日は、今すぐに死んでもいいとさえ思った。今まで苦しんだ事が嘘だったなんてそんな幸せな事があって良いのかと、全く信仰していない神に大いに感謝したほどだ。
「いや、嫌な夢を見ていたから。起こしてくれてありがとう」
「それは良かったですわ。そう言えばアレクが今度謝りたいと言ってまして」
「……アレク、ね」
ただ、願うならば『アレク』という名前は、この世から無くなればいいと思っている。
あの日呼ばれたパーティーで、私はアレクから『自分はエミリアの恋人のようなものだ』と聞かされたからだ。しかも、お互いに好いているのだから貴方は邪魔なのだという言葉と共に、である。
それによって私の『自信を取り戻す為の勘違いも甚だしい行動』がはじまったのだが……。
だからまぁ、彼を見るたびに何回か頭の中で殺してしまうのは仕方のない事である。
「あ……い、いいえ、ア、アレキサンドリア様が……」
慌てて言い直す彼女もとても可愛くはあるが、やはり恨めしい。
私は少しだけ彼女をからかう事を決めた。
「エミリア」
「は、はい!なんですの?」
「様を付けないで呼んでくれると約束したよね?」
「………あ…それには時間が」
「ふーん、アレキサンドリアの事は愛称に様も付けずに呼べるのに、私には出来ないの?」
彼女が座るのは、ソファの端。私の横に1人座れる位開けて座っている。
確かに、結婚前の男女が2人きりでソファでべったりしているなど本来であれば良くない行為かもしれない。
でも、今私は、辛い昔を思い出し、目の前で憎い相手の名前を愛しい彼女から聞かされた状態である。多少の接近位許されてもいいはずだ。
そう考えた私は、彼女が淹れてくれた紅茶をテーブルの真ん中の方に寄せ彼女の手を取った。
「レイ様?」
「…………」
にこりと笑うと彼女の手を軽く引いて引き寄せ、抱き上げて膝の上に乗せてみる。
「……!」
「うん、なかなかいいな」
彼女を膝に抱くと顔が同じくらいの高さになった。
真っ赤になった彼女の顔がよく見え、ふんわりと香る彼女の香りも最高に素晴らしい。
「おろしてくださいな……!」
「今度私に様をつけた時と、アレキサンドリアの名前をアレクと呼んだ時には罰としてこうしよう」
「ええ!?」
「これが嫌ならキスをしてしまうよ」
「……!」
結婚前に唇へのキスをしたら婚約を破棄するとアーマライド伯爵に言われている事をエミリアは知らない。
あの鬼のような課題も、プレゼントを禁止されていた事も、全部伯爵が国王に言いつけていた条件であり、破っていたら即座に婚約破棄されていたらしい。
破らなくて本当に良かった。お陰で入学当初からそこまで勉強をしなくても学年一位を保守しているし、こうやって愛おしい彼女と触れることもできる。
実はアレキサンドリアの言葉も、裏に伯爵が絡んでいた、と、この間聞かされてた。
そして、アレキサンドリアには好きな相手がいるとも。
だから、謝りたいというのは恐らく本心から言っている言葉なのだとわかっているのだが、どうしても許すことが難しい。
どうしたらこの気持ちを解消する術を手に入れられるのか。
「……レイ」
「なに、エミリア」
「キス、しても構いませんわ」
「……え…………」
突然目の前に差し出される彼女の顔。
急に訪れた試練に今まで考えていた事が頭から溶けて消えた。
キスをしたら婚約破棄だと言われているが、しかし目の前にキスを望む愛おしい婚約者が、頬を赤く染めながらも私を待ち続けている。
これは、一体どうしたら。
「……う、嘘ですわ」
「………………」
「お父様が『キスをねだって本当にしてきたら、レイは本当はエミリアを好きでないからね』と仰ってましたの……ごめんなさい」
「ああ……問題ないよ」
問題は大ありである。
ここまでしてこの婚約を阻止してくる理由を是非ともお聞きしたいものだ。そもそも子供相手にあれだけの仕打ちをしておいてまだ足りないとはどういう性分をしているんだ、ドエスか。
しかし、ここまで耐えた私も、十分マゾの素質があるのかもしれない。
「レイ?」
もちろん彼女に限定だが。
「ねぇ、エミリア、本当に私とキスしたくないの?」
「そ、それは……」
「私はアーマライド伯爵に、貴方を大切にするように言われているんだ。でも、エミリア自身が我慢しているなら…私は大切な人の欲しいものをあげられない状態になってしまう。エミリアの本当の気持ちが知りたい」
「………………わ、わたくし……」
「うん」
「……キスしてみたいですわ」
「…ふふ………では、アーマライド伯爵に内緒だよ」
「!!」
驚く彼女の頬に優しく唇を押し当てると、顔を真っ赤に染めた彼女がこちらを睨むようにして見つめていた。
おそらく、唇にキスをされると思ったのだろう。少し裏切られたような、恥ずかしいような、なんとも言えない可愛い睨みにクスクスと漏れる笑いを抑えることができなかった。
「もう!レイ様のいじわる!」
怒ってポカポカと胸を叩いてくる彼女の手を優しく掴み、今度は唇にキスをする。
カチンッと固まった彼女にニコリと笑い、耳元で“様を付けてはだめでしょう”と囁くと、指先まで真っ赤になった彼女がバッと、音がする勢いで立ち上がった。
「…………!!!」
何か言いたいのか口をハクハクと動かしている。
「お!」
「お?」
「お父様には、内緒ですわ!!」
「約束だよ?」
「約束です!」
何故か私を指差しながら約束だと宣言をして部屋を出て行こうとする彼女を目で追いながら再びクスクスと笑う。
これまで散々伯爵の良いように置かれていたのだから、そろそろ彼女を分けてもらわねば、その為の一歩を踏み出せた予感に僅かな優越感を覚える。
出て行った彼女が戻るまでしばらく時間がかかるだろうと、うたた寝をするまで読んでいた本を手に取り、ゆっくりと読み始めた。
この後も、何が何でも婚約を解消させようと躍起になるアーマライド伯爵との戦いがあるのだが……。
それはエミリアが激怒し、終息するまでの近い未来の話である。
お読みいただきありがとうございます!