現実逃避の更新作業
その日の夕方。
蒼太は小さなちゃぶ台にノートパソコンを広げ、いつもの日課をこなしていた。
「よし、誤字脱字チェックも済んだし……更新、っと」
決定ボタンを押して、最新話をアップロードする。
趣味の小説更新は、いつも帰宅してからと決めていた。休日や空き時間にまとめて書いておいて、それを毎日少しずつチェックしてから更新する。
このシンプルな作業が、毎日となると地味にきつい。
だが継続は力なりとはよく言ったもので、今ではすっかり日常の一部だ。
「ふう……今回はどうだろなあ」
もう一度、チェックがてら今日の内容を読み返す。
今日の内容は、主人公がとある女の子に校舎の屋上へ呼び出されるシーンだった。
「屋上での告白とかベタだけど……まあ定番だよね、うん。ヒロインもかなり可愛く書けてるんじゃないかなあ」
自画自賛に浸る蒼太だが――ふと、今日の体験を思い出し、頭を抱えてしまうのだった。
「屋上に女の子に呼び出されて、告白されるんじゃなくて一億円を渡されそうになるイベントは……ちょっとどうかしてるよな」
今日あった白昼夢のような出来事をぼんやりと振り返る。
突然、自分のクラスに美少女が転校してきた。
そればかりか彼女は蒼太の小説のファンを名乗り、現金一億円を渡そうと迫ってきたのだ。意味がわからない。
「総資産の一万分の一って言ってたけど……一億かける一万て、一兆円? まさかねえ……」
先ほどネットで調べてみたら、ビル・ゲイツで総資産およそ十兆円だった。つまりビル・ゲイツの十分の一だ。もう規模が大きすぎて、なにがなんだか分からない。
しかし、あのときたしかに蒼太の目の前には一億円が存在していて――。
『無理ですごめんなさい勘弁してください!』
『ああっ、先生待ってください!』
あまりのことにパニックに陥ってしまい、とりあえず全力で謝罪して逃げてしまった。
小説更新作業に没頭していたのも、今日の出来事を忘れたかったからである。
「うう……でもクロクマさんを置き去りにしちゃって、悪いことしちゃったな……明日からどんな顔して学校に行けばいいんだろ」
頭に浮かぶのは後悔ばかりだ。
盛大にため息をこぼしたところで――ぐう、と腹の虫が鳴った。
時計を見るとちょうど六時を回ったところだ。
ふつうのご家庭なら、今ごろお母さんが台所で料理中だったりするのだろうが……あいにく、この家にいるのは蒼太ただひとり。食事も自分で用意しなければならなかった。
「しかたない……ご飯でも作りながら言い訳を考えよ……」
重い腰を上げて台所へと向かう。
蒼太がひとり暮らしを始めたのは、一週間ほど前からだ。
父親が海外出張に行くことになったので、母もそれについていって、蒼太だけが日本に残ることになった。
家族三人で住んでいたマンションの一室も、ひとりきりだとひどく広く感じられる。生活費はもらっているが、節約したいので外食はなるべく避けたかった。
「節約したら本がたくさん買えるもんなあ……うん?」
そこで、ピンポーンとチャイムが鳴った。
「宅急便かな? はーい、今行きまーす」
口元をぬぐって、急いで玄関へ向かう。
防犯上、スコープで相手を確認してから出なさいと親から教わっていたのも忘れて、そのままドアを開けると――。
「こんばんは、ソータ先生♡」
「は……?」
今日はあと一回更新します。
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