生者
目が覚めるとそこは暗黒の空間だった。いや、正確には“目”は覚めてはいない。意識だけが覚めていたのだった。空な景色が広がり、何が近いのか遠いのかも曖昧である。そういう場所に私は存在している。この状況が理解ができず、自分の身体の位置を感覚で辿ろうとするが、とある違和感が脳裏を迸った。感覚が無いのである。腰から下が文字通り無いのである。そんな悲惨の事実を受け入れられず絶望の淵に佇んでいた状況を打破するかの如くある男が現れたのであった。
「私は馬谷志流というものだ。ここは病院で私は医者だ。突然だが今君の状況を率直に言おう。焦らずに聞いて欲しい。」
「先刻、君はトラックに衝突して生死の境を彷徨っていたけどなんとか一命を取り止めたことができたんだ」
「しかし君の目、鼻、口、そして下半身が著しく欠損している状態なのだ」
「そして君の両腕が壊疽していて、近いうちに切断しなければいけない。」
唐突に宣告された絶望的な状況に側野は混乱した。
この馬谷という男が言っている意味がわからない。欠損?
この男は何を言っているんだ。
最初は混乱していたが徐々に現実として消化し始め混乱は怒りへと変化していった。彼は憤慨した。同情を孕む余地のない率直的な言葉遣いが私の神経を逆撫でしたのであった。彼は声も出すことができないが泣き叫んだ。心からの叫びだった。あんまりではないかと。確かに彼は足枷に対しての罰を常日頃求めていた。だかこれは罪に対しての罰があまりにも残酷すぎるものではないか。彼は意識のある肉塊と化した両腕をベットに何度も叩きつけた。彼の目が見えずとも異様な光景であることは明快であった。
希望を見出す目も。何かに縋り付く腕も。大地を踏みしめ自分の力で進むことのできる足も。彼は何もかも、全てを失ったのである。
彼はこれまでの思考過程を総括してとあることを懇願したのであった。
「こ、ろ、し、て。」
とモールス信号で馬谷という男にこう伝えた。
しかし馬谷は真摯に取り合わずただの筋肉痙攣だと言い放ち、弛緩剤を打つまでだった。
それでもなおモールス信号を打つのを止めない。やがて弛緩剤が効き始めて、動かせるのがやっとの状態でも動かし続けた。
「こ、ろ、し、て。」「こ、ろ、し、て。」
「こ、ろ、し、て。」「こ、ろ、し、て。」
「こ、ろ、し、て。」「こ、ろ、し、て。」
そんな悲惨な状況を直視することができず、痺れ切らした馬谷はその場から立ち去った
それでも彼は指を止めない。点滴を換えにきたナースや掃除をしにきた清掃員に対しても。何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、モールス信号を打ち続けた。
やがて彼の声に出ない叫びは病室内を永遠にこだましたのであった。