2.覚めない夢ならそれが現実
こんこん、とノックされると同時に扉が開いた。
女王の命であてがわれた部屋で呆然としていたありすは、慌てて椅子から立ち上がる。
「はぁい、アリス。着替えはすんで?」
「は、はい!」
ドアを開けて入ってきたのは、白いドレスに金髪を結い上げた女性だ。おそらく女王よりも年上だろう。女性にしては背も高い。
「あたしは陛下に、あんたにこの世界の説明をするよう任されたの。よろしくね」
はきはきとした口調でそう言う女性に、ありすは戸惑いながらも頷いた。
「はい、ええっと……」
「シンデレラ。あたしの名前はシンデレラよ。アッシェンと呼ぶ人もいるけどね」
シンデレラと名乗る女性は気さくにそう言い、ウインクをする。
「シン、デレラ……?」
「あんたにとっては物語のなかの名前、かしら?」
「はい……」
シンデレラ。自分のような女の子なら、皆が知っている名前なのではないだろうか。
下働きをしていた女の子が、魔女の力を借りて舞踏会に行き王子様と結婚する話だったはずだ。
「その通り。此処は物語の世界。あたしたちは“永遠”をあたえられた登場人物。終わりのないゲームの駒」
シンデレラはありすの頭に手を伸ばし、その髪をくしゃりと撫でた。
「そしてあんたはこの国の救世主なの、アリス」
◇ ◇ ◇
――この世界は大きく二つの領地に分けられている。
ハートの女王が治める赤の国、そしてオズ大王が治める緑の国。
この二国は常に対立しあい、緊張状態の平和か戦争かを繰り広げている。その国力がほぼ拮抗しているため戦争は長引き、未だに終わりを告げていない。
「じゃあ、今も戦争中なんですか?」
「今は停戦中。小規模の小競り合いはあちこちで起きてるけど国家をあげての戦いにはなってないわ」
でも一触即発って感じね。とシンデレラは付け足した。
「ここのところ、こっちの勢力は負け続きなの。何せ今のオズ大王ってのが喰えない奴らしくてねー」
「はあ……」
「だから“訪問者”には“訪問者”ってことで、あたしたちも“アリス”を呼ぼうってことになったわけ。わかった?」
「いえ全く」
「あら、すっごくわかりやすく説明したのに」
「わかりませんよ、全然!」
私は頭を抱えたくなる衝動を抑えながら、言った。
「これが夢じゃないっていうのはわかりました。夢だと思いたかったんですけど、いや未だに夢じゃないかなーとは思ってますけど」
だって頬をつねっても頭を叩いても、一向に目が覚めないのだ。
しかも目の前にある物は全部実物そのもので、触れるし使えるし。これで夢なら私はよっぽど良い想像力をもっていることになるだろう。
「でも夢のなかだろうとそうじゃなかろうと、私が今『此処』にいるのは事実みたいですし」
覚めない夢ならそれが現実。
そう言ったのは誰だったろう。よくわからないけれど、これだけ色々しても目覚めることができないのなら、これをひとつの現実として受け入れねばならない。
なにがなんだかわからないけれど。でも、あの女王は言っていた。
私を『呼んだ』のだと。
つまり、私にやらなければならないことがあるということだ。
「だったら重要なのは、私が何をすべきなのかってことかと思うんですけど」
「適応力あるわねー。良いことよー」
「……で、先ほども言っていたように『シンデレラ』って私の認識では童話のなかの主人公の名前なんですけど」
「そうそう。そのシンデレラよ」
「あと、先ほど女王さまが男の人たちのことを『時計兎』とか『チェシャ猫』とかって呼んでたんですけど」
「ああ、あの二人が出迎え役になってたの」
「…………」
「ああはいはい、説明ね」
――つまり、この世界に住まう住人は皆、童話の登場人物なのだ。
ハートの女王も時計兎もチェシャ猫も『不思議の国のアリス』にでてくる登場人物だし、シンデレラやピーター・パンなんて言うまでもない。
この世界では、物語が“読み継がれる”ことにより与えられた生命たちが生きている。
「すごく有名な童話の登場人物たちが生きている世界、ですか」
「まあ語り継がれているってとこが重要なわけで、一部地域のみに継がれる話にでてくる奴だっているわよ? ほら、あたしのことだって知らない人はけっこういるし」
「ああ……アフリカの方とか、文化圏が全然違う国の人とかは知らなさそうですよね」
「そうそう」
ということは、とありすは続ける。
「白雪姫とか人魚姫とかもいるんですよね?」
「いるわよー。どっちもあたしと同じくらい強いわね」
ありすは不審げにシンデレラを見上げた。
「ところで、私の知っている物語の『シンデレラ』って、もっとこう……お姫様っぽい感じなんですけど」
「あら、あんたも言うじゃない」
「どうせ夢かなって思いは消えてませんし……そもそもお姫さまなのに強い云々って比較がでてくる時点で、さほど失礼にはあたらないかな、と」
「それはそうね。実際全く怒ってないわ」
シンデレラはうーん、と腕を組んで言った。
「ほら、お姫様っていってもあたしは庶民あがりじゃない? そもそも陛下みたいに素から王侯貴族として生まれたわけじゃないから、やっぱりそこのとこはずれてくるというか」
「ああ、なるほど」
「まあ家柄自体は良い方だったんだけど、召使みたいなことばっかりしてたしね。育ちは滲み出るわねー」
「滲み出るってレベルでない気もしますが……」
「いいのいいの。あたしがあたしだってことには変わりないんだもの」
からからとシンデレラは笑い、説明を続ける。
「それでね、あたしたちは“物語”のなかから生まれた、いわば生え抜きのこちらの住人なのだけれど、なかにはこちらの世界に生まれない“登場人物”もいるの」
「え……」
「それが“訪問者”。有名どこでは緑の国の統治者であるオズ大王や、それにあんたね」
「私……?」
「そう。“アリス”は訪問者でしょ?」
――物語のなかでも、最初からその世界に生まれる者と何かのきっかけで迷い込む者とがいる。
そしてこの世界において、後者のことを“訪問者”と呼ぶのだ。
不思議の国のアリスは、兎を追いかけることにより不思議の国に迷い込んだ。元から不思議の国の住人だったわけではない。
“訪問者”はシンデレラたちのような住人と違い、人間の世界で生まれる。
そして何かのきっかけでこの童話世界に迷い込んだり、ありすのように童話世界の誰かに呼ばれることによりこの世界に来る。
「“訪問者”にはあたしたちのような、永久を与えられてはいない」
「…………」
「でも“訪問者”には、あたしたちを凌駕する力が与えられている」
シンデレラは言う。
「アリス、あんたはこの赤の国を救うために呼び出された“訪問者”なのよ」