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雫、あのね  作者: やきにく
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8.迷い


 七月の期末テストが終わった週末の土曜日。


 ここのところ、調子が出ない。

 期末テストも、今までと比べると赤点スレスレかもしれない。勉強に身が入らなかったからかもしれない。


 理由は簡単。玲児の背中に、いまだに雫の言葉がのしかかっているからだ。


 まるで優等生な姉がいたずら好きな弟を叱るような口調。だけど、その言葉は見えないけれど、巨大な分銅のようのような形をしていて、背中に直接鎖でつながれている気分だ。外すことも、断ち切ることもできない。


――レイは、咲良のことが好きなんだと思うの


――だけどね、本当に相手の事を想っているのなら、ちゃんと咲良のことを見て、考えなきゃダメだよ。もうレイもあたしも、子供じゃないんだから、相手の気持ちを考えるようにしていかなきゃ


 玲児は歯噛みして拳を握った。


 雫の言う通りだ。きっと咲良は、大きな病を抱えているのだろう。


 それを無視するように、あの時軽々しく夏祭りに行くことを提案してしまった。彼女は喜んでいたが、果たして心の奥から喜んでいたのだろうか。

 上っ面だけの喜びで、本当は俺のことを疎ましく思っていたのではなかったのか。


 今も、テスト期間中もずっとそんな考えがぐるぐると頭を巡っている。


 何やっているんだ俺、最低だ、この世界で一番のクズ野郎だ。いっそ死にたい。そんな自責の念ばかりが浮かんでくる。


 ベッドで寝転がったまま枕に頭を突っ込みながら繰り返し考え込む。


 いっそ、「やっぱり無理して来なくていいよ」と咲良に言うべきだろうか。

 だけど、そのことを考えるたびに、彼女のうれしさで満ちた顔がまぶたの裏によみがえってくる。


 もしも咲良に今更そんなことを言ってしまったら、余計彼女に気を遣わせてしまう。更に言えばそれこそ傷つけることになりかねない。だって、咲良は夏祭りも花火もすごく期待していたから。


 だが、結果として、それが咲良を苦しませることになったら?


 迷い迷って、結局何も変わらない。ただ、自分を責めて余計ネガティブになるだけだ。


 気分転換のために、リビングに出ると、リモコンを手に取ってテレビの電源を点けた。たまたま目についたチャンネルでは、今はお昼のニュースをやっているようだった。


 玲児はリモコンでチャンネルを切り替えながら、ぼんやりとテレビを眺めていた。今の時間帯なんて、大して面白いものなんてやってない。ニュース以外だと、芸能人がどこか観光したり、バラエティー番組の再放送か、あるいはドラマか、その位なものだ。


 玲児は国営放送のチャンネルに変えると、リモコンを動かす手を止めた。テレビに真おじさんが映っていたからだ。


 どうやら真おじさんが、永久機関ホイールについての説明をしている、という内容だ。そういえば、以前雫が「またお父さんがテレビに出るんだよー」とか、そういうメッセージを送っていた気がする。


『つまり、ホイールとは――』


 キャスターらしきショートヘアの女性司会者が言葉を探すように目をきょろきょろさせて言った。


『無限に増殖していくエネルギー、こう解釈してよろしいのですね?』


『ええ、おおまかには』


 にこやかにいつものスーツ姿の真おじさんが答えた。


『素晴らしいですね……。もしもこれが普及していけば、例えば』


 女性がスマートフォンを手に取った。


『こういったスマートフォンも充電する必要が無くなるってことですよね』


『それだけではありませんよ。車に応用すればガソリンもいりませんし、電気代やガス代も払う必要が無くなります。更に言えば石油も原子力も化石燃料も必要なくなるので、環境問題も一気に解決するということです』


『まさに私達人類の暮らしが一変する――ということですね』


『もちろん、まだまだ問題点もあります』


 もぞり、と真おじさんは席を座りなおして姿勢を正して説明を続けた。


『主に廃棄物の処理や、今挙げた製品にどう対応させるか、などですね。業界からのアプローチも必要になってきます。ですから、皆さんにはもう少し待っていて欲しいですね』


 それからは司会者が「それでも、人類が大きな一歩を踏み出すのも目前ですね」なんてありきたりなしめくくりで、真おじさんの出番は終わった。


 無言で真おじさんの解説を見ていた玲児は、そのままリモコンでぽちりとテレビの電源を消すと、大きくため息を吐いた。


 本当にすごいよなぁ真おじさんは。


 永久機関なんておおよそ数年前は不可能と言えるようなものをマジで研究して、家では一人娘の雫を育てるシングルファーザー、更によその家の子供にも優しくできるなんて、玲児にとっては光子に次ぐ尊敬できるオトナだ。自分と比べたら、月とスッポンもいいところだ。


 真おじさんから連想するように、雫の姿が脳裏に浮かんでくる。


 雫……ああ、雫もそうだ。

 あの日、さりげなく遠回しに玲児の恋心がないと言われた気がする。


 雫は、玲児に真っ向から「咲良の事が好きなんだと思う」とはっきり言いきった。それってつまり、雫は最初から玲児に異性的な意味での好意なんて持っていないのだ。


 雫がそういう気持ちを自分に向けていたという期待はしていないと言えば嘘になる。例えば雫の誕生日を祝ったときのあの反応だって、俺に気があるんじゃないかと思い込んでいた。


 でも、結局のところ、雫は玲児のことを下に見ているのだ。


 見下しているのではなく、母親に対しての息子、姉に対しての弟、先輩に対する後輩のように、自分が面倒を見てあげなければいけない存在。雫にとって、玲児とはそういったモノと、痛感した。


 決して、対等ではない。


 雫はのんびり見えて、負けず嫌いでちょっとプライドが高いところがある。テストや身体能力、イジってくるときのように、ほとんど玲児に付け込む隙なんて与えさせてくれない。


 だから、雫が玲児のことを認めない限り、彼女がこちらを振り返ることなんてまず無いのだ。

 

 とはいっても、それで咲良を選ぶというのも、それはそれで色々間違っているだろう。雫と咲良への気持ちや、彼女たちの性格と行動を値踏みしているみたいでいやだ。……かといって、どちらにするかめ決まっていないし、雫に至っては対等な関係ですらない。


 どうしたらいいんだろう、俺。


いっそ二人とも諦めることが出来れば楽なのに。そうすれば誰にも迷惑が掛からない。だけど、心の中に いる、雫と咲良の事が好きな玲児がそうさせてくれない。

 そうさせないように、雫が誕生日に見せた笑顔と、咲良が病院で見せた笑顔を、玲児の目の前に突き付けた。

 さぁ、この二人の顔をよく見ろ。君はこの子たちと一緒にいたいんだろ? 嘘ついてンじゃねぇよ。


 だけど玲児は、彼女たちの笑顔の幻影を目の当たりにして抱いたものは決意でもなければ決断でもなかった。


 違和感だった。


 なにか……何か変だ。


 そう、あの時――咲良に夏祭りへ行こうと誘ったときに感じた不思議な感じ。咲良のことを知っているけれども、何かが違うあの感覚。


 俺は咲良のことを知っている?


 そんな馬鹿な。そもそも雫以外の女の子と仲良くなったことがないし、もし咲良と以前にも出会っていたら、その時点で記憶喪失が解決したようなものじゃないか。じゃあなにか、俺が忘れているとでもいうのか。


――玲児さんといると、自然と心が落ち着きます。まるで、ずっと前から一緒にいたような、私の家族か親友か、そんな気がするんです


 数学の公式とか英単語は忘れっぽいけれども、自分のクラスメートの名前は今でも何も見なくてもすらすらと答えられる。幼稚園児の頃だって、一緒に遊んでいた子の顔と名前だって覚えている。


 分からない。咲良は一体、なんなんだ……。


 ただひとつ、ハッキリしたことがあった。


 咲良も雫も、自分が惹かれたのは彼女たちの笑顔だった。うれしそうで、可愛らしくて、玲児の心を捉えて離さない。


 二人の笑顔がぴったりと重なる……。


 雫と咲良への想いで揺れる心。


 咲良を夏祭りに連れて行かせることが正しいのかそうでないのか。


 そして玲児が抱く咲良への違和感。


 椅子に座り、地面を眺めたまま、玲児は固まるしかなかった。この三つの迷いが、玲児の身体を縛らせ、地球が持つ重力よりも、もっともっと重く、心の内に強い負荷をかけていた。


 不意に玄関のドアが開いた。


 ただいま、とやや疲れた声を上げて家に入ってきたのは、介護の仕事を終えて帰ってきた光子だった。


「ああ……おかえんなさい」


「洗濯物たたんだー?」


 玲児は無言で光子の部屋を指さした。部屋の中に全部あるよという仕草だ。玲児が休みの日は、干してある洗濯物を回収するのがこの家でのルールだからだ。


「ん、ありがと」


 光子が自分の部屋に戻って部屋着に着替えたり、洗濯物の整理をしている間も、玲児はずっとうなだれたままだ。

 ずっと自分の抱えている悩みが頭とお腹の中をぐるぐると暴れまわって、かき回している状態だ。


 そんな玲児の状態を知ってか知らずか、光子はリビングに戻ってくると冷蔵庫から食材を出したり、鍋をコンロの上に置いて夕ご飯の準備を始めた。


 心が読めないって残酷だよな。俺がこうやって悩んでいるのに、母さんはちっとも気付いてくれない。親なら息子が悩んで苦しんでいるところを見つけてほしい。もちろん、そんなの勝手なことなんてわかっているけれども。


 だけど、もう限界だ。とにかくこの重い枷から解放されたい。誰かに話してしまいたい。光子がリビングに入ってきたときから、この気持ちが噴火間近の火山のようにボルテージが最高潮に達した。


「……母さん」


「ん?」


 玲児の気持ちに対して出てきた言葉はひどく震えていた。

 落ち着きを取り戻すと、なんというか、これから爆弾の起爆スイッチでも押すような緊張感が、玲児の中で生まれた。


「何?」


「オレ、さ。今……悩んでることがあるんだ」


「うん」


 光子は料理しながら相槌を打つ。


「友達を、夏祭りに誘ったんだ。だけど、そいつ……ひょっとしたら重い病気抱えてるかもしれなくてさ」


「それで?」


「友達はいいよって言ったんだ。だけどオレ、その時は友達が病気だってこと知らなくてさ。ひょっとしたら、友達を苦しめちまうんじゃないかって思うんだ。そう考えたら、やっぱりやめるべきかどうか、悩んじゃってさ」


「別にいいんじゃないの? 友達がいいって言ってるなら」


「そうだけど――でも、そのせいで、友達に負担かけるようなことしたら、そいつも俺も、きっと後悔するんじゃないかって……」


 ぴたり、と光子の料理する手が止まった。


「きっと後悔しないことなんてないと思うよ」


 光子は振り返って、シンクにもたれかかって腕を組みながら、ひたと玲児を見据えた。


「多分、その子が玲児の誘いに乗っても断っても、どちらにしたってその子は後悔するような目に遭うのは変わらないよ」


 きっとその子は、玲児と思い出を作りたいんだよ、と光子は続けた。


「病気が重くなっても、それ以上に玲児と夏祭りに出て思い出を作りたいんじゃないかな。私はその子とあった事がないから知らないけど、話を聞いている限りだとそんな気がするのよ。もしも玲児の誘いを断ったら、きっと、ずっとベッドの上で『お祭りに行くって言えばよかった』って悔やむよ、その子は」


「じゃあどうしたらいいの?」


 そもそも後悔しない選択肢なんてないよ――光子はあっさりと言い切った。


「ひとつの選択をして後悔しない事なんて絶対ないと思う。だけど、それ以上に価値のあるものが手に入るって、私は信じてる。あんたの話を当てはめるなら、その子の病気が重くなる代わりに、あんたと夏祭りに行けたっていう大切な思い出が手に入るってことかな」


 光子はちらりと鍋の中身を見た。


「玲児は知ってるでしょ? なんでお父さんと私が喧嘩して出て行ったのか」


 玲児は頷いた。


 玲児の父は――どうしようもなく、最低な父親だった。一時期は名の知れたミュージシャンだったが、すっかり落ちぶれて人々の記憶から名を忘れさられてもなお、活動を続けていた。――光子と、物心つく前の玲児を歯牙にもかけず。


 玲児の面倒を見ることも出来ず、家にお金も入れることなく、毎晩遅くまでエレキギター片手に夜の街をさまよっていた。


ありていに言うなら『年を食った子供』だった。大人という自覚もせず、自分の夢に縛られて父親との責任も果たさない。そんな父親に、光子が腹を立つのは言うまでもない。


だから来る日も来る日も口げんかして、ついに離婚したのだ。


「母さんはさ」


 そこでやっと、玲児は下に向けていた視線を光子に向けた。


「親父と結婚して……後悔してる?」


「してる」


 即答だった。


「だけど……それでもあの人は、玲児っていう最高の贈り物をしてくれたから。あんまりそういう気持ちは無いかな」


 光子は、唇の端っこを釣り上げてほほ笑んだ。

 強い輝きを放つ光の槍が、玲児の心を貫いて、全身に衝撃が伝わった。魂が震える。再び光子から視線を逸らす。


「母さん……俺は」


「だからあんたは、その子の選択を信じてあげなさい」

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