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雫、あのね  作者: やきにく
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6.被っているのは人の皮か小悪魔の皮か


 五月五日。五日間あるゴールデンウィークも折り返し地点になった。

 テレビをつければニュース番組で帰省ラッシュで道路が渋滞していたり、ゴールデンウィークに行くべき観光名所が紹介されているだろう。


 遊漁町ではせいぜいベース周辺や菩薩崎に観光客がやってくるくらいで、大きな賑わいを見せるほどではない。いつもの閑静で、穏やかな街並みそのまんまである。


 玲児はジーンズとお気に入りの赤と黒のチェックシャツといういで立ちで、住宅街を歩いていた。手には、鮮やかな青色の小さな紙袋をぶら下げている。


 遊漁町の内陸は丘陵地帯が広がっており、なだらかな山が連なっている。なので、住宅街があっても場所によっては急な坂道や、緩やかだけれども長い下り坂を降りたり、トンネルをくぐる事は往々にしてある。


 玲児がこれから向かうところも、いつも通学で使っている駅前の繁華街の裏道を通った後、急な坂道を登った後に待ち受ける百段近くの階段を上った先にある。


 坂道を登り切り、手すりに掴まりつつも玲児は階段を上っていく。

 毎回歩きであの家に行くたび思うけれども、どうしてあいつの家はこんなハードな坂道やら階段を上っていかなければならないのだろうか。

 まぁそれを言っちゃえば、彼女は毎日学校へ行く時と帰りは必ずこの階段と坂道を上り下りしているのだろうけれども。


 玲児は少し息切れしながらもなんとか登りきると、足腰が重くなるのを感じつつも、疲労感ごと大きく息を吐いた。


「ふーっ……行く前だというのにこんなに疲れるなんてなぁ」


 安心しきったその時、ツーッ……と首筋が急にむずむずしだした。


「ひゃっふう!?」


 全身をゾクゾクさせて奇声を上げながら、玲児は飛び上がった。危うく、階段を転げ落ちてしまいそうになるほどだった。


「あははは」


 背後から聞きなれた愉快な笑い声が聞こえてくる。振り返るとそこには案の定、『奴』がいた。


「こんなとこでなにしてんのー?」


「それはこっちのセリフだよ、雫。危うく階段から転げ落ちるとこだったよ……」


 雫はいつもの、ニュートラルな笑みのまま言った。


「暇だから、散歩がてら誰かさんのお家に行こうと思っててねー」


「……奇遇だね、俺も似たようなもんだよ」


 玲児もクールさを装ったようにニヒルな笑みを返した。


「……ねぇ、今日って何の日か知ってるー?」


 雫がわざとらしく訊ねてきた。知ってるくせに。


「子供の日でしょ?」


「そだねー、他には?」


 小首をかしげながら、雫がじりじりと近付いてくる。

 あっという間に目と鼻の先まで玲児に接近して、さっきまでクールだった玲児の表情が崩れてくる。彼女の髪からシャンプーのような香りがする。


「他に何かあった気がするけどねー?」


「ちょ、ち、近いって」


そこへ気付いてしまったのか、雫は玲児の右手に持っているものに目をやった。


「なあに、それ?」


「あ、こ、これはだね……」


 向こうについてから、サプライズ的な感じで渡そうと思ってたのに。素早く玲児は後ろに紙袋を隠した。


「ひょっとしてエッチな雑誌ー? へんたーい」


「ンなわけあるかっ! そもそもこんな小さな袋に本が入るわけないだろっ」


「じゃあなにかな? ひょっとして誰かさんへのプレゼント、とか?」


「……」


 玲児は観念したように首を振った。そもそも、雫とこうして鉢合わせになった時点で詰んでるじゃないか。せっかく雫をびっくりさせようと思ったのに。


「……ほらこれ、誕生日おめでとう」


 玲児は雫に紙袋をぶっきらぼうに突き付けた。恥ずかしくって、つい目をそらしてしまう。


 雫の顔から一瞬、笑顔が消えた。だけど、じわりと口元が緩やかなカーブを描き、目がキラキラと星の瞬きのように輝いていく。


「ありがと! 開けてもいいー?」


「う、うん……」


 雫は玲児から紙袋を受け取ると、待ちきれないと言わんばかりに袋の中からラッピングされたプレゼントを取り出した。


 ラッピングされた透明袋を外すと、さっそく雫はそれを広げた。玲児が雫に渡した誕生日プレゼントは、ハンカチだった。鮮やかなピンク色の下地に、ディフォルメされたビーグル犬の顔がプリントされている。


 玲児が昨日、遊漁中央駅を降りた繁華街にあるデパートで買ったモノだが、雫はすごく気に入ったようで、「わぁ」と声を漏らしながら両手でハンカチを広げて眺めている。興奮しているのか、雫の頬も紅潮している。


「ほら、雫の家ってミミちゃんがいるだろ? だからビーグルの模様がいいかなって……」


「うれしい……」


 雫は丁寧にハンカチをたたむと、それを両手で持ちながら胸の前に持ってくると、目を細めた満面の笑みで、


「ゼッタイ、大事に使うね」


 玲児は気恥ずかしさで顔を赤くさせながらも、つられるように笑顔になった。


「せっかくだから、うちにおいでよ」


「え? でも……」


 雫の誘いに、玲児は戸惑った。

 確かにもともと雫の家に行ってプレゼントを渡そうとは思っていたけれども、その当のプレゼントを渡してしまった今、行く理由はもうない……のだけれども。


「もー、そのつもりで来たんでしょー? 遠慮しないでー!」


 雫は玲児の手をきゅっと握って、そのまま走り出した。雫と手を繋いでいることに、玲児は走りながらも、心臓は口から飛び出しちゃいそうなほどに跳ね上がった。いやもちろん、小学生の頃とかはしょっちゅう手は繋いでたけれども……。


でも、雫の手……あったかいな。


 雫の住んでいるマンションは、小さな山の上にある。

 十五階建てのマンションで、遊漁町の中でも大きい方だ。下の二階はココアのような黄赤色、三階から十階までがオレンジ色で、十一階から十五階までがバニラアイスのような白色だ。ペットを飼うことも可能で、セキュリティもしっかりしている。ハッキリ言って田舎町には不釣り合いな建物だ。


 瀧川家が暮らしているフロアは十階だ。ベランダに出れば海が見えるし、夏になれば花火も眺められる。そういえば、昔は花火を見るためによく遊びに行ってたっけ。

 中学校に入ってからは、ほとんど遊びに行くこともなくなった。最後に行ったのは一昨年の雫の誕生日以来か?


「はい、どうぞ」


「お邪魔します……」


変な気分。小学生の頃はよく遊びに行ってたのに、今はホワイトハウスにでも入るようにすごい緊張している。


 雫たちが住んでいる部屋は3LDKのベランダ付きだ。玲児の住んでいるアパートとは比べ物にならないほど広い。

 フローリングも壁も日の光が当たって明るい部屋だ。余計な家具も置いてないから、却って清潔感がある。


 玲児が靴を脱いで廊下を歩くと、向こうからシャカシャカとフローリングを擦るような足音と供に、栗色と黒と白い毛並みのビーグル犬が近付いてきた。


「やぁ、ミミちゃん」


 玲児はしゃがんで、興奮しているミミの頭を撫でた。ミミはビーグル特有のハスキーな鳴き声を上げながら、尻尾をぶんぶん振って玲児を喜んで迎えた。もう数年も会っていないのに覚えててくれたんだ。


 とうとう溢れるパワーを抑えられないのか、ミミはそのままリビングを走ると、ものすごいスピードでリビングと和室を行ったり来たりしている。


「レイが来たから、ミミすごい興奮してるねー」


 走り回るミミを眺めていると、ふと、玲児はある事に気が付いた。


「そういえばおじさんがいないなんて、珍しいこともあるんだね」


 真おじさんは、雫の誕生日は必ず休みを取って一日中祝っていたのに。


「うん、お仕事、忙しいからねー。さっき『祝ってやれなくてごめんね』って涙声で連絡してきてたよ」


「そ、そっか……」


 想像すると、容易に誕生日を祝えないで泣いている真おじさんの姿が目に浮かんできた。なんだかすごくシュールだったけれども、あの人の性格からして実際に仕事場でそうなっている可能性が高い。


「だから、今は二人っきりだよ……」


 妙に甘い声で、雫は玲児にささやいた。

 また胸がドキリとして、頬が紅潮する。身体の内側から熱がこみあげてきて、心臓の音が聞こえてくる。


 雫と二人っきり……。横目でちらりと雫を見やると、彼女は目を細めながら顔を近づけていた。そのまま吐息が顔にかかっちゃいそうだ。


 だが、その熱を冷ますように、雫は玲児の首筋をそっと撫でてくすぐった。すぐに全身がぞわぞわして、玲児はすくみ上った。


「ひひいっ!」


「なーに、想像してンのかな~? あたしは事実を言っただけだよ~?」


 お茶入れてくるねー、とイタズラが成功したことが嬉しかったのか、鼻歌を歌いながらキッチンに向かっていった。


「ホント、俺ってバカだよな……」


 雫に触れられた箇所を触りながら、ドキドキしていたことを悔やむと、玲児は誰ともなしにソファに座った。


 あいつ……俺が雫に好意を持っていること、知っててやってるのかな。そんな考えが玲児の脳裏によぎった。

 もしも自分が恋心を持っていることを見抜いて、雫がそれを知ったうえでイタズラを仕掛けてきたら――。なんだろう、この考えがマジだったらすっごい複雑な気持ちになりそう。


 雫が冷たい麦茶とビスケットを持ってきてそれを摘まんでも、あまり味も冷たさも感じられなかった。

 少し違うことに考えを向けよう。


「……昔の誕生日は、もうちょい人がいたような気がする」


 隣に座っている雫ではなく、目の前にある点いていないテレビに向かって言った。

 少なくとも、一昨年、この家でにやった誕生日会では、数人の女友達が来ていた記憶があった。


「薄情だよねーみんな」


「まあ、高校が違うとこんなものだよ」


「でも、レイは来てくれたもんね。プレゼントまでしてくれたのは初めて」


 雫へ顔を向けていないので、彼女の様子は分からないけれども、どことなく視線を感じる。見られているかどうかわからないのに、つい反射的に顔を雫の座っている方向とは逆に逸らした。


「……そりゃ、雫とは幼稚園からの付き合いだし」


「幼稚園の頃からの友達は他にもいたよ」


 しばらくの沈黙。


 玲児は少し落ち着いて雫の顔を見ると、彼女はうつむいていた。あの時――初めて咲良に会いに行った帰り、「記憶が無くなるってどんな気持ちだろうね」と、つぶやいた時のように、物憂げなものだった。


「実はあたしね、今の学校だと一人なんだ。なんか、周りに馴染めなくってね」


 雫は静かにつぶやきながら、そばに寄ってきたミミの垂れ耳を揉むように撫でた。


「やっぱり私立の高校って、見知った顔が誰もいなくて話しかけづらいんだ。なんでか知らないけれども、あたしを避ける人も出てきて――」


 クラス委員長も、誰もやる人がいないから、実質押し付けられたようなものと、雫は話した。

 雫がどうしてファミリーレストランで真おじさんから「学校はどうだ」と質問された時、作り笑い方というか、いつも真おじさんに見せる嬉しい笑みではない理由が分かった。


 クラス内で孤立していることを思い出したことと、それを父親に知られたくないという気持ちが、雫の中で渦巻いていたのだろう。玲児が今抱いている恋心より複雑で、深刻な気持ちと感情が、雫の中にある。


 ならどうしてそれを俺に?


「でも……レイといると、いつものように明るくなれるんだ。やっぱ、イジれるからかなぁ」


 そう言って、雫は玲児の頬を人差し指で軽く突いてきた。いつもだったら「やめろよ」と抵抗するところだけれども、どこか切なそうな笑みを見ていると、言葉が喉から出ない。


「いつもごめんね。迷惑だったでしょ?」


「……俺は」


 玲児も、さっきの雫のように俯いてつぶやく。

 脳裏にふわりと浮かんでくるのは、雫がイジってきたときに浮かべる、小悪魔のような笑み。

 耳に聞こえてくるのは、雫の明るい笑い声。


 何を言っているんだ、雫。俺だって、キミにイジられることが好きだ。明るくなれるのはこっちの方だ。


キミの笑顔と笑い声が、俺に元気をくれる。


 だから、いたずら好きでいつも俺を振り回す雫に惹かれて、好きになったんだ。


 だけど、そんなキザでカッコつけたような台詞が玲児の口から出せるわけもなく……。


「……こんな俺で良ければ、別に。それに……」


「それに?」


「俺は雫にいじられるの、嫌じゃ……ない」


 雫は音もなく玲児に顔を近づけると、身をかがめた。


「本当?」


 玲児は頷いた。


「本当にそー思ってるなら、ちゃんと言葉にしてほしいな」


「本当……だよ」


「もっとおっきい声で」


「本当だよっ!」


 玲児が大声で言った瞬間、「ポンッ」という軽い電子音が聞こえた。


 なんだろうと思って隣を見ると、さっきまでのメランコリーな笑みは、いたずら好きの小悪魔のそれに変わっていた。伏せていた目は、三日月のように細くゆがんでいた。手には録音アプリの画面が開かれたスマートフォンを持って。


「ばっちり、録音したからねー」


 全てを理解した玲児は血相を抱えながら立ち上がって、口をもごもごさせた。さっきとは打って変わって、たくさんの言葉を出したいけれども、それが一気に押し寄せてきたので喉で詰まっている。


 それで唯一出せた言葉はというと……。


「お、おおおおおおま、おま、お前ええええ!!」


「あははは! 言質は取ったからねー!」


 やーりィ! これで好きにイジれるー! 雫はソファから立ち上がって万歳をした。それを見たミミが訳も分からず興奮し始めた。


『……こんな俺で良ければ、別に』


『俺は雫にいじられるの、嫌じゃ……ない』


「おい、再生するのやめろ! 恥ずかしいから!」


「やーだよっ」


 テーブルの周りにドタドタと(玲児にとってはこれからの沽券にかかわる)追いかけっこが繰り広げられた。ミミも遊んで欲しいのか追いかけっこに加わって、しきりに玲児のズボンの裾を噛んでは妨害してくる。


 約一分半の追いかけっこの果てに、玲児が体力で負けてしまい、その場でへたり込んでしまった。だって勝てるわけないじゃん。毎日学校を通っているときにあんな坂道と階段上り下りしてる子に。


 息切れしている玲児の頭に、そっと雫の手が乗せられると、くしゃくしゃに撫でられ始めた。


「やっぱりかわいいなー、レイ」


「くっそう……」


 悔しい。からかわれただけじゃなくて、体力の面でも負けておちょくられるなんて。男として、こんな屈辱的なことはあるかあ?


 すると、雫はスマートフォンをこれ見よがしに玲児に見せつけた。


「録音、消してほしい?」


「……はい」


 なにかある。ぜっっったいに何かある。だけど、言質を消せるのならば……。


 雫はスマートフォンを操作すると、もう一度玲児に画面を見せた。そこには『音声データを削除しました』というメッセージが出ていた。


 意外だった。どうせ「じゃああたしの言うこと聞いてくれたらね」とか言って無茶ぶりでもさせられるのかと思ったのに。


「だって、レイが顔真っ赤にして追っかけてるの見たら、もう満足しちゃったしー」


「俺の心を読むなよ!」


「それに、レイからそういう言葉が聞けたからいいかなって」


 肩の力が一気に抜けた気分だ。疲れが雪崩のように押し寄せてきた。雫の誕生日だから大体イジられっぱなしだろうなぁ、とは思ってたけれども、まさかここまでとは……。


 こうしてケーキもクラッカーも無い、ささやかだけど、玲児と雫らしい(?)誕生日会を二人は過ごした。

 だけど、(雫にとって一方的な)楽しい時間はあっという間に過ぎていき、ふとスマートフォンの時計を見ると、六時を過ぎていた。


「それじゃあ、そろそろ帰るよ」


 他に荷物を持ってきたわけではないので、手ぶらで玄関に向かった。後ろからミミを抱えた雫がついてくる。


 靴を履いてドアを開けると、「レイ」と雫が声をかけてきた。


「今日、来てくれてありがとうね。このハンカチも、大事に使うから」


 そう言って、まだ綺麗に折りたたまれているハンカチを、玲児に見せた。


「レイ、高校は離ればなれになっちゃったけど、これからもよろしくね」


「……こちらこそ」


 ホッとしたような、不安になったような気持ちだ。


 そして、雫とミミに見送られながら、玲児はマンションを出て行った。


 全く、被っているのは人の皮か小悪魔の皮か、分かったものじゃない。どちらが本物の雫なんだろう……。


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