エピローグ.希望への船出
未来の雫の葬式は、真おじさんが執り行った。
玲児、雫、真おじさんだけの、ささやかな葬式だった。だけども、真おじさんにとっては未来の存在であろうと自分の娘が亡くなったのだ。誰よりも深く彼女の死を悲しみ、悼んだ。
未来の雫の墓は、菩薩崎の近くにある、海の見える霊園に立てられることになった。ただ、咲良が未来の雫であることは玲児たちしか知りえない事実なので、結局『咲良』名義で墓を立てられることになってしまった。
「なんか……変な気持ちだねー。自分の葬式とか、お墓をこうして見るなんて」
未来の雫が眠っている墓を後にした現代の雫が、ぽつりと呟いた。
「あたしは全然かまわないんだけどなぁ。きちんと『瀧川雫』として、葬ってほしかったよ」
「君はいいかもしれないけど、周りが良しとしないから仕方がないよ。下手すりゃ、自分の娘の名前を墓に刻んだ人って、おじさんが白い目で見られるんだから」
「納得できないよー」
「それが世間なんだよ」
大丈夫だよ、と玲児は霊園の方角へ振り返った。
「俺たちが雫って分かっていれば、それで彼女はきっと満足してくれるって」
「そうかなー……うーん……」
未来の雫の四十九日が過ぎて、季節は夏から秋に差し掛かかろうとしていた。それでもなお、気温の高さは健在で、残暑はまだまだ続きそうだ。
玲児と雫は、菩薩崎の砂浜――未来の雫が現れた場所に来ていた。未来の雫が咲良として生きていた時期と比べると、日が落ちるスピードが心なしか早くなった気がする。前まで五時でも明るかったのに、今は水平線の向こうは朱色に染まっている。
玲児と雫は、砂浜に直接座りながら、地平線に沈んでいく夕日を眺めた。もう海水浴シーズンも過ぎてしまったからか、さすがに泳ぐ人はいない。玲児と雫だけだ。
しばらく二人とも、地平線の向こうへ沈む夕日を眺めたり、波を打つ音を聞き入っていた。ここに座って景色を眺めてかなり経ってから、雫が何の前触れもなく口を開いた。
「なんか、ここでレイが未来のあたしを助けたのが、ずいぶん昔のことのように思えるね」
「まだ半年も経って無いけど……色々あったからね」
ここで未来の雫――咲良を助けて、記憶を探したり、夏祭りに行ったかと思ったら記憶を取り戻して彼女の凶行を止めたり――これがまだ、高校生活の一年の前期の中と夏休みで起きたことが、信じられないくらいだ。
「……俺たち、未来を変えられるかな」
「変えられるよー。だって人間は……ううん、生き物はみんな変化して、環境に適応して生長い歴史を生きて来たんだから。変わらなかったら、それこそ未来のあたしの警告通りになっちゃうよ」
「……そうだよな」
我ながら情けない。あれだけ未来の雫から話を聞いていたのに弱気になるなんて、と玲児は自嘲気味に口元を緩やかに吊り上げた。
「雫、未来の君はね、海のことを生き物が生まれて、そして死んで還る『終わりと始まりの場所』って喩えていたんだ」
「そういえば、おばあちゃんの葬式の時、お坊さんから似た話を聞いた気がする」
「だから、ここから変わっていくんだよ」
ホイールの廃棄物がもたらした滅びと絶望の未来から、ホイールと供に共存する希望の未来へ。
この遊漁町の海から、希望の未来への船出だ。そう座りながら玲児は腕を振るって熱弁すると、
「急にポエマーになったね。なんかすごい違和感」
遠回しにダサいと言っているのだろうか、雫は。
確かにちょっとテンションに合わせている部分もあったけれどさ。
すると、雫は海に向けていた視線を玲児に変えると、
「でも、あたしね……玲児に言いたかったことがあるんだ」
両腕で抱えている膝に整った可愛らしい顔をくっつけながら、雫は言った。
「『あたし』を助けてくれて、ありがとう」
大切な人も、住んでいた町も汚染されて失い、絶望に狂っていた未来の自分を、正しい方向に導いて救ってくれて。
「レイ……とってもかっこよかったよ」
目を細めて、雫は頬を紅潮させながら微笑んだ。それにつられるように、玲児は顔を赤くさせた。
「お、俺はただ、自分に出来ることをやっただけだよ」
顔を背けながら、照れている自分の顔を雫から隠した。だけど、それ以上に雫も顔を赤くしてこんなことを言ってきて――なんというか、玲児のハートには絶大な威力をもたらした。
「あとそういえば、ひとつ気になってたことがあったんだー。言ってもいい?」
「……なんだよ」
少し落ち着いてきて、再び雫へ顔を向ける。
「レイってさー、咲良のコト、好きだったんでしょ?」
「え……」
好きというか……確かに好きだったけれども。でも、なんで『咲良』呼びなんだろう。
「咲良はさ、未来のあたしでしょ? それってつまりー……」
ちょっとにやにやしながら、雫はいやおうなしにずずいっと玲児に顔を近づけた。文字通り、目と鼻の先に、雫の意地悪な笑みが広がっている。
「あたしのことが好きってことだよねー? どうかなー?」
「そ、それは……」
座りながら後退して、玲児は雫から目線を逸らした。だけど、下がった分雫も四つん這いになりながら距離を縮める。
しかし、玲児が恥ずかしがっている表情を見て満足したのか、雫は顔を離して立ち上がると、スカートにくっついた砂を払った。
「あはは、まぁいーや」
一度夕日を浴びて気持ちよさそうに伸びをすると、
「あーあ、お腹空いちゃった。ね、ハンバーガー食べに行こうよ」
「あ、うん……」
玲児を横切って歩いていく雫の小さな背中を、玲児は目で追った。
……今のは、告白できるチャンスだったんじゃないか?
だけど、未来の雫のような答えとは限らない。振られることだって在り得る。それが怖い。
二つの気持ちがせめぎあう中、かつて母さんが玲児に語っていたことを思い出す。
――ひとつの選択をして後悔しない事なんて絶対ないと思う。だけど、それ以上に価値のあるものが手に入るって、私は信じてる
未来の雫のような答えじゃないかもしれない。だけど結果がどうであれ、ずるずると引きずって、いざって時に伝えられなかったら、それこそ死んでからもずっと後悔するだろう。
だから今、一歩踏み出してこの気持ちを伝えよう。
玲児は浜辺を後にしようとする雫の手を掴むと、ちょっとびっくりして振り返った雫に決心した顔つきで言った。
「雫、あのね」
おしまい




