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雫、あのね  作者: やきにく
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12.負の清算


「うれしいな……こんなふうに変わっちゃっても、あたしって分かってくれたんだね」


 にわかには信じられなかった。玲児の目の前で立っている少女――かつて、『咲良』と呼んでいた人間が、自分が一番よく知っていて、想いを寄せている人と同じ存在なんて。

 だけど、玲児はこの事実を否定出来なかった。いや、否定しようがない。


 身体は痩せ衰え、髪の色も真っ白だ。背丈も雫より少し高い。だが、彼女の纏う雰囲気、口調、白い手に残っているミノカサゴに刺された傷跡――。


「いつ、思い出したの?」


「あの花火の時だよー」


 思い起こせば、咲良が雫と同じ存在であることをにおわせる事柄はいくつかあった。やけに雫と話が合ったり、脂っこいハンバーガーが好きだったり、いたずらがやけに巧みだったり。そこは趣味や嗜好がたまたま一致していたと考えられる。


 だけど、玲児が惹かれた雫と咲良の嬉しそうな笑顔――。もう一度重ね合わせてみると、違うレイヤーを重ね合わせて一枚の絵にするかのようにぴったりと合致した。


 つまり、玲児が抱いていた違和感は、今、そばで笑いかけているもう一人の雫が、違う人間として振舞っていたから生まれたのだ。

 だって雫は、基本的に栗色のロングヘア―で、目も茶色、しゃべり方も間延びしている。それに今となってはただ一人、玲児を『レイ』と呼ぶのが、玲児にとっての『雫』なのだから。


 だが、ここにいる少女が瀧川雫だとしても、何故雫が二人いるのか、説明がつかない。どうして雫が二人もいるんだ?


「レイ、あたしがもう一人いることに不思議がってるでしょ」


 考えていることをぴたりと当てられた。そこらへんも、雫まんまだ。もしも自分の知っている雫がこのセリフを言ったら、「俺の心を読むな!」と突っ込むところだ。


「あたしはね、未来から来たんだよ」


「未来?」


「うん、多分今から四年後くらいかなー?」


 もう一人の雫は金色の目を上に向けて人差し指を下唇に当てながら考えた。


 未来から来た雫――。

 四年後……つまり十九歳か、二十歳のどちらか、年齢はともかくとして、三年後の雫は、こんなにも変わり果ててしまうのか。


 玲児は意外にも、この雫が未来からやってきた事をすんなり受け入れられた。もう既に、この少女を雫として受け入れたからだろう。今なら、「あたし、実は頭が二つあるんだー」と言ったって信じるかもしれない。


「なんで、この時代に来たんだ?」


 玲児はストレートな疑問をぶつけた。


「たまたま、運が良かっただけだよ。正直、過去に来れるかどうかも賭けだったから」


「あの服……君が着てた防護服、あれは一種のタイムマシンみたいなものなのかい?」


 初めてここで出会ったときに彼女が着ていた防護服。あれが販売会社の一覧にも載ってなかった理由も、もともと未来で作られたものだからだろう。


「半分あたり。あの防護服はただの防護服だよ」


「じゃあどうやって来たんだ? タイムマシンみたいなのはあるんだろ」


 すると、もう一人の雫の顔が困ったように――あるいは答えを言うことをためらうように、笑みを消してまつげを伏せた。


「……知りたい?」


「知りたいよ、何で君が過去に来ることになったのかも含めて全部」


「教えて欲しい? どうしても?」


「どうしてもだよ」


「……そうだよね」


 もう一人の雫は手すりに手を掛けると、海を眺め始めた。まるで昔、体験したことを懐かしむ老婆の目のように、その目は細くなった。


「だけど、約束してほしいの。もしあたしの話を聞いて全部知っても、この時代のあたしを嫌いにならないって」


 出来る? と振り返りながら、未来の雫は言った。この時代の雫を嫌わないでって、どういうことだ?


 玲児はややあって生唾を飲み込みながら頷いた。


 未来の雫はそれを見ると、再び海を眺めながら口を開いた。


「あたしはね、お父さんを殺しに来たの」


「こっ……」


 殺す? 真おじさんを?


戸惑っている玲児にかまわず、未来の雫は話を進めた。


「すべては、『ホイール』から始まったの」


 この時代では目下研究中のホイールだけど、今から二年後に永久機関として、完成を迎えた、と咲良は言った。


「もちろん、実用化はまだまだ先の話だよ。でも、永久機関が完成したことで、世界中の人が喜んだ。そりゃそうだもんね、永久機関が出来上がったら、人類は大きく前進するもん」


 様々な企業や業界が、ホイールに対応できるよう協力を申し出てきた。世界の経済も、大きく動き出していた。このままいけば、ホイールの力で人間の生活が豊かになれる。格差だって無くなるし、環境問題だって解決する。


 この時はみんながそう思っていた。


「だけど、それを面白く思わない人たちがいたの」


 それが、世界経済を牽引する一部の国の権力者だった。権力で経済や資源を支配してきた彼らにとって、ホイールの存在は自分たちの立場や国の根幹を揺るがす厄介なものでしかなかった。下手をすれば、国が瓦解しかねない。


 だからホイールが普及する前にそれを掌中に収めて、自分たちが独占しようと試みた。

最初は金と国際的な立場でモノを言わせたが、有限である金で永久機関の研究を引き継ぐなんて、宝石と泥団子を交換してと言っているようなものだ。


 なにより、永久機関が完成すれば、立場だって逆転できる。真おじさんはおろか、政府だって首を縦に振らなかった。


 だから、今度は力づくでホイールを手に入れようとしてきた。かつて薬物を巡ってイギリスと中国が戦争をしたように、今度はホイールを巡って第三次世界大戦が巻き起こった。


「……だから、戦争を止めるためにこの時代に?」


 未来の雫は首を横に振った。


「確かに戦時中はひどいありさまだったよ。今まで使ってこなかった核兵器も、いろんな国で落とされたから」


 だけど、それ以上の地獄が、雫たちを待ち受けていた。


 日本は元々、ホイールを保有していたので、数回の爆撃こそあれ、大きな攻撃を受けることはなかった。戦時中でも、様々な国の権力者たちが秘密裏に訪れては、日本の重役を懐柔していた。


 だが、ホイールにはその権力者さえ知らなかった、重大な欠点があった。


「ねぇレイ、ホイールってどうして永久機関として成り立ったか知ってる?」


 唐突に、未来の雫が訊ねてきた。


「え? む、無限に増殖していくエネルギーなんだろ?」


「ざっくり言えば、当たってるよ。だけどね、増えるのはエネルギーだけじゃないんだ」


「どういうことだ?」


「化学の授業で習わなかった? 火でモノを燃やせば後に何が残ると思う?」


 まるで出来の悪い弟に言い聞かせるように、優しく言った。


「……灰?」


「そう、後はもうわかるよね?」


 エネルギーだけじゃない。ホイールは廃棄物も増やしてしまうのだ。それも、人体に深刻な影響を残してしまうモノを。


「これはね、ホイールが完成してから、実用化に向けるまでの大きな壁になっていたんだ。どうこの無限に増え続ける廃棄物を処理すればいいのか、分からなかったから」


 もともとホイールに関わることの大半は公にはされていなかったため、廃棄物は戦前から水面下でオンカロに似た建造物で処理してきた。だけれども、廃棄物はがん細胞のように少しずつ、ゆっくりと増え続けていた。


 そして、惨劇の始まりが訪れた。


「廃棄物を保管するための施設が、爆撃にあったんだ」


 厳重に廃棄物を保管していた施設を、工場と勘違いした戦闘機が爆弾を落としてしまった結果、廃棄物が散りばめられ、水に乗り、風に乗り、海と大地、そして人間を汚染し始めてしまった。


 そのスピードは劇的だった。おおよそ半年で廃棄物は世界を蝕んでいき、空気中に廃棄物が蔓延し、海は汚れ、全盛期の0.2パーセントまで人口が減少してしまった。もはや、戦争どころではなく、防護服が無ければ生きていけない状態だった。


「この海もね、未来では黒ずんでいて、たくさんの海の生き物の死骸が転がっているんだよ。信じられないでしょ」


 玲児は未来の雫から目を離さずにいられなかった。まるでそれが当然だったかのように、この雫はあっさりと言いのけたのだ。


 視線を動かして、玲児は海を見やった。菩薩崎の海は、サファイアのように深い青色の美しい海だ。近場には小さな海洋博物館があるほど生き物は豊富だし、夏休みのシーズンになれば、観光客だってやってくる。


 その遊漁町の海が、文字通り死の海になってしまうのか、


「……待って、じゃあ君もまさか」


 そのやせ細った体や金色の瞳を見て、玲児は嫌な予感がした。


「そう、あたしも廃棄物を吸い込んじゃったんだ。廃棄物を吸い込んでしまうと、体内で廃棄物が増え続けて、内臓を蝕んで、発作が起きるの。発作は何回も起こすと、髪が真っ白になったり、身体が痩せていくんだよ」


 幸い、人から人へ感染することがない、と未来の雫は続けた、

 だから、異物がどんどん増殖して、身体を蝕んでいったのか。


「不思議な気分なんだ。痛みがまるで感じないの。むしろ、死にかけているのに力が湧いてくるような感じかな」


 そして、髪が白くなって痩せ衰えていくから、白衰はくすい病と名付けられたのだ。


「もうこのまま、あたしたち人類は緩やかに滅亡するしかなかった――そう思っていた。けれど、お父さんは諦めなかったんだ」


 この状況を打破するために、真おじさんは雫と供に四方八方手を尽くした。だけど、有効な打開策は思いつかなかった。


 だが、その一方で、ある物理科学者が時空を捻じ曲げて過去や未来に行ける技術を確立させていた。真は藁にも縋る勢いで、その物理科学者と協力してホイールの力で空間に穴を開けるポータル型のタイムマシンが完成したのだ。


「だけど、お父さんもその科学者さんも、白衰病が悪化して……。まだそこまで病が進んでいないあたしが、過去に行くことになったんだよ」


 ただ、タイムマシンも完璧と呼べるようなものではなかった。


「急ごしらえだったから、一方通行――それに、どこの時代に飛ばされるかも分からなかったんだ。それに、時空間を通るときに発生した強いエネルギー波のせいで、記憶もトンじゃってたみたい」


 だから「過去に来れるかどうかも賭けだった」と言ったのか。


 そして、タイムマシンで四年前の過去に飛んだ雫は、遊漁町の海に落ちたのだ。


「これが、このままいけばあなた達の身に起きる出来事だよ。あたしはそれを止めに来た」


 ホイールを完成させるキーマンである、過去の瀧川真を抹殺して、世界中で起きた酸鼻極まる悲劇を無かったことにするために。


 振り返った雫の金色の目はあらん限りの絶望を見た深い悲しみと、強い決意で輝いていた。その目つきに魅入られて、玲児は手が震えて身体を動かすことが出来なかった。まるで蛇に睨まれた蛙だ。


 そんな馬鹿な。真おじさんの研究が、結果的に人間を滅ぼして、雫をこんな風にさせるなんて。信じられない。

 だけど、眼前にいる少女の言っていることが、嘘のようにも思えなかった。そうさせる説得力があった。


 未来の雫は、じっと玲児を見つめていた。レイ、あなたはどう思ってる? そう問うてるみたいだ。


「……間違ってるよ」


 ようやく玲児は口を開いた。それでも、さざ波の音に負けてしまいそうなほど、小さな声だ。

 雫も、その答えは予想していたのかピクリとも表情を動かさなかった。


「たとえ雫の話が本当だったとしても、おじさんの命を奪う理由にはならないよ。君の勝手で命を奪っていいわけがない。ましてや自分の親だろ」


「……あたしにはもう、時間が無いんだ。それはもう、分かるでしょ?」


 そっと未来の雫は自分の胸元に手を当てた。


「今、あたしに残された時間で、確実にあの未来を防ぐには、こうするしかないの」


「そんなことないよ! もっと他にも方法が――」


「レイ」


 縋るような玲児の言葉に、もう一度、たしなめるように雫は名前を呼んだ。


「これがなんなのか、知ってるでしょ?」


 未来の雫は、ポケットから一枚の布を取り出して、それを玲児に突き付けるように見せた。


「それは――」


 玲児はそれ以上、言葉を吐き出せなかった。その布は、以前雫の誕生日プレゼントとしてあげた、ビーグルのハンカチだからだ。


 ただ、戦火の影響か、あるいは廃棄物の所為か、黒く焼け焦げている部分が目立ってボロボロだった。


「未来の世界のあなたも、あたしのお父さんも、ミミも、白衰病で死んじゃったんだよ」


 未来の雫の言葉が、稲妻のように玲児の胸を貫いた。


「……あたし、お父さんの研究のせいで、大切な人が死んで遊漁町が滅ぶところなんて、もう見たくない」


 雫の瞼から、赤い筋を引いて血涙が零れ落ちる。


「だからあたしはどんな犠牲を払ってでも止めてみせる。あんな未来になんてゼッタイさせない。そうこのハンカチに誓ったんだ。レイ達が幸せに笑っていられる未来を創るために」


 雫の表情は、血涙も相まって悲壮感に包まれた鬼を思わせた。涙をぬぐうと、音もなく玲児に接近した。


 無力感が、玲児を覆っていく。


「レイ、最期に会えてよかった。どうか、この時代のあたしと幸せに暮らしてね。きっと、素晴らしい未来が待ってるから。約束だよ」


 俺は――。


 もう一度、未来の雫は玲児に抱き着くと、名残惜しそうに離れて、すれ違うように走り出した。


「待って、雫!」


 手を伸ばして、雫を止めようと玲児も走り出した。だけど、雫の方が死にかけの身体なのに、走るスピードが段違いに速かった。これも、ホイールの廃棄物が体内に含んだ影響なのか?


 そうこうしていくうちに、未来の雫は暗闇の中に消えてしまった。後に残ったのは、菩薩崎の海が波打つ音だけだった。


 俺はまた、何も出来ないのか。

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