美しい奈落
前に書いた『寒い夜に』を、少し意識して書きました。
幕が下り、暗闇となり黒くなる。
色が無くなり、音が無くなり、自分というものが無くなっていく。理性の残滓が未練がましくしがみ付いているが、未だはっきりと残る本能は認めつつある。時間と空間の境目が分からなくなり、喜怒哀楽を超えた気持ちが心ではない何処かから滲んでくる。この気持ちをどのように表せばよいのか、頭の中にある言葉をどのように組み合わせてもしっくりこない。伝える相手がいないのだから、言い表せたところで空虚な自己満足に終わると分かっているというのに、最適解を求めるため、深く暗い思索の海へと落ちていく。
外光の届かない深海に灯が一つ。もはや開かない目蓋の裏側にノスタルジックな光景が浮かんでくる。風景、文字列、他人、自分、そのどれもが描きかけで、一つとして完全なものは出てこない。欠けた所に何が写っていたのだろうか。かつて面倒臭がって手を動かさなかった自身の行いに悔いるばかりだが、文句を言うには遅すぎる。もう反省を行動に還元することはかなわないのだから。
底の果てに落ちていく感覚が体を支配する中、どこか今まで死んでいた部分が生き生きとしてきたような、どうにも言葉にしにくい感覚が浮かんできた。その感覚は落ちていく感覚と反比例に浮いていき、辺りに色彩を与えていった。瞳で捉え脳で処理した画像などよりも鮮明に、見えるのではなく感じる。
新たな感覚によって照らしだされた世界では、何もかもが美しく輝いていた。暗さとか、悲しさとか、虚しさとか、そういった負の側面が一切見当らない。こんなにも完璧に調和された光景の中に陰を探そうなどと考えている者以外には。散り散りになっていたはずの理性の欠片が舞い戻ってきたためか、要らないことに気付いてしまった。外側があまりに綺麗なせいで、内側の穢れが浮いて見える。
一度は消えかけた理性が再び自己を形成しだし、その入れ物が自身の意思とは関係なしに形作られた。鏡になるようなものが無いため、自身の外形を直接確認することは出来ないが、少なくとも、床に臥せ、ただ存在するだけで疲労を伴い、他者からは存在すること自体にのみ価値を見出される惨め極まりない骨肉だった頃よりは、利便性のある器となっているだろう。
美しすぎる世界に自己が順応していくにしたがい、思考回路と知識は相対的に汚れていく。いや、汚れていたということを自覚していく。今この一瞬一瞬に頭の中で浮かんでくる文字列に嫌悪感を抱いている。今この刹那、この世界とは殆ど真逆な何かが、私の内側でうごめていている。理性ではどうしようもないほどに無意識的で、感情ではどうしようもないほどに力強い、汚らしい何か。
汚い、消えろ、消えろ、消えろ。
これがお前の全てだ。これこそが、お前の全てだ。これだけが、お前という存在の、全てだ。
違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違う、違……違うのだろうか。
汚れと認めてしまえば、後は簡単。綺麗な水で洗い流すだけだ。ここには綺麗な水があるし、新品の入れ物が用意されている。
さあ、洗い流そう。古臭くて錆び付いた、真っ黒なものを。
たとえ、それを洗い流した後に、何も残らなかったとしても。