第1話 無力なる正義
本章は時系列的に「生還のグラディウス」より少し前のお話になりますm(_ _)m
世界を救うために異世界から遣わされる「勇者」。正義を成すために神から強大な力を授けられたその者は、戦場においては無類の強さを発揮していたのだという。
――その神聖なる武力を人間同士の戦争に利用するなど、言語道断。神に対する冒涜の極み。決してあってはならない。誰もがそう思っていた。
しかし、弱者の抱く思いなど力の前では塵芥に等しい。如何なる御託を並べようと、戦いに敗れた者達が語る正義など踏み躙られるしかないのだ。
「無敵のアイラックス将軍が……そんな……!」
その残酷な「現実」を目の当たりにした騎士達は、絶望に満ちた表情で戦場に佇んでいる。一角獣の意匠を持つ鉄兜を特徴とする王国騎士団。彼らの……ひいては王国そのものにとっての「最後の希望」であるアイラックス将軍は、最悪の人間兵器「帝国勇者」の前で片膝を着いていたのだ。
王国騎士団を率いるルーク団長は一騎打ちに敗れ、彼の後に帝国勇者に挑んだアイラックス将軍ですら、「神の力」の前には為す術もなかったのである。小柄な少年のように見える帝国勇者は、王国が誇る二人の屈強な英傑を「連戦」で打ち倒してしまっていた。
数で勝る帝国兵を圧倒的な「質」で捩じ伏せ、正義は我にありと示し続けて来た英傑達が、それ以上の「力」で捩じ伏せられている。これほどの不条理が、理不尽が、かつてあっただろうか。
「……次はこの俺が相手だ、帝国勇者めッ! ルーク団長の無念を晴らすためにも……アイラックス将軍のためにも、我が祖国のためにも! 必ず貴様をここで倒すッ!」
この無情な現実への怒りが、一人の騎士を奮い立たせていた。橙色の髪を靡かせる長身の騎士が、大きな斧槍を手に進み出ようとしている。敬愛する団長を目の前で討たれ、希望の象徴たる将軍を倒されたこの状況の中でありながら、彼だけは士気を失うどころか仇討ちに奮起していた。
「やめろゼオドロス! いくらお前でも敵うような相手じゃないッ! お前まで殺されるぞッ!」
「ええい離せッ! お前達こそ、ルーク団長を討たれて何故黙っていられる!? その上、アイラックス将軍までやられたというのにッ……!」
ゼオドロスと呼ばれる長身の美男子は、自身の身を案じる仲間達の制止を力尽くで振り解こうとしている。それでも仲間達は数人掛かりで彼にしがみつき、その歩みを懸命に食い止めていた。
このゼオドロスも王国騎士団の中では三本の指に入る実力者なのだが、それでもアイラックスやルークに比べれば数段劣っているのが実情だ。その二人が敗れた帝国勇者に、「三番手」の彼が勝てる道理などあるはずもない。
「皆の言う通りだ、ゼオドロス殿!」
「……!」
その時。仲間達の手を強引に払い除けたゼオドロスの前に、白銀の鎧を纏う一人の女騎士が立ちはだかる。
艶やかな金髪のロングヘアを靡かせている、色白な柔肌を持つ碧眼の美女。両手を広げて立ち塞がる彼女の真摯な眼差しに、ゼオドロスは思わず足を止めてしまう。
「貴殿にまで万一のことがあれば、誰が今後の王国騎士団を支える!? 誰がアイラックス将軍の力になる!」
「ラフィノヴァ殿……」
「我が聖国も……帝国の侵略によって多くの犠牲を払わされて来た。だからこそ、言わねばならん。死人に剣は握れない! 生き抜かねば、守るための戦いなど出来ないのだ!」
「……ッ」
王国の隣国にして同盟国である「聖国」。その国から王国軍に参加していた、聖国騎士のラフィノヴァ。彼女の言葉に口を噤んだゼオドロスは、鎮痛な面持ちで俯いている。
帝国の侵略に激しく抵抗し、辛くも属国化を免れた聖国の騎士。そんな彼女が潜り抜けて来た修羅場の凄まじさを知るゼオドロスは、彼女の言葉の重みから目を背けることが出来なかった。
「……下がれ、ゼオドロス。かの勇者の力は……我々の想像を遥かに上回っている。ここで君まで失うわけには行かない」
「将軍ッ……!」
さらに。帝国勇者の前で片膝を着き、苦悶の表情を浮かべているアイラックス将軍までもが、ゼオドロスに退却を促して来た。肩越しにこちらを見遣る将軍の貌を目にしたゼオドロスは、苦虫を噛み潰した表情で拳を震わせている。
団長のルーク以上に敬愛すべき対象である、アイラックス将軍。彼から直々にそう言われてしまっては、どれほど悔しかろうともこれ以上歩みを進めることは出来ない。ルークの仇を何としても討ちたいという激情と、将軍の意思に背いてはならないという忠誠心の狭間で、ゼオドロスは独り苦悩する。
「……」
そんな中。先ほどまで繰り広げられていたアイラックスとの死闘により、消耗していた帝国勇者が――殺気を纏った眼差しで王国騎士達を一瞥する。
将軍を倒されても撤退する気配を見せない彼らを、向かって来る敵と認識したのだろう。刃よりも鋭い眼光が、「次はお前達か」と唸っているかのようだった。
「に、逃げろ……逃げるんだ! 勇者に……帝国勇者に勝てるわけがないッ!」
その殺気を浴びせられた王国騎士達は、瞬く間に戦意を喪失してしまう。帝国勇者に怯えながらもアイラックスに肩を貸し、彼らは逃げ惑うように退却し始めていた。
「……」
「ゼオドロス殿!」
「……分かっているさ。ラフィノヴァ殿」
そんな同胞達に失望の眼差しを向けるゼオドロスは、その場に踏み留まったまま斧槍を震わせて帝国勇者を睨み付けている。その眼を見上げるラフィノヴァは、彼がまだ戦うつもりでいるのかと推測して声を荒げていた。
自身を案じて眉を顰めているラフィノヴァとは眼を合わせず、ゼオドロスは剣呑な表情で帝国勇者を睨み続けている。それでも最後は将軍の意を汲むことに決めたのか――最後尾の騎士とすれ違った瞬間、彼もようやく踵を返した。
「……覚えていろ、帝国勇者。貴様は必ず、この俺がッ……!」
その間際に怨嗟を込めた一言を呟き、ゼオドロスは仲間達の後を追うように退却して行く。そんな彼の大きな背を見送るラフィノヴァも、その後に続こうとしていた。
「……っ」
そんな中。彼女はふと足を止め、帝国勇者の方へと振り返る。彼はラフィノヴァ達を追撃しようとはせず、その場で静かに佇んでいた。王国騎士団を殲滅する好機だというのに、彼は全く追撃して来る気配を見せない。
勇者の力を戦争に使う冷血非道の悪魔。そのように噂されていた彼は、伝説の通り戦場で無類の強さを見せ付けていた。しかし逃げる敵の背中を狙おうとはせず、一騎打ちの決闘にも正々堂々と応じている。
「……帝国勇者、君は……」
本当に悪魔なのか。本当に心を持たない人間兵器なのか。思わずそれを問おうとしてしまう。だが、今はそんな語らいが許される場面ではない。ラフィノヴァ自身も、帝国軍の恐ろしさをその身で理解しているのだからなおさらだ。
「ラフィノヴァ殿、あなたも早く!」
「……あ、あぁ。分かっている、済まない」
友軍の王国騎士達に促された彼女も、後ろ髪を引かれる思いを抱えたまま踵を返して退却して行く。そんなラフィノヴァの背中が見えなくなるまで、帝国勇者はその場から動くことなく佇んでいた。
◇
――それからも王国軍は、幾度となく敗走を繰り返し。王宮を中心に据える城下町を背にした最後の防衛戦では、アイラックスの戦死という大敗を喫した。圧倒的な暴力に抗い続けた騎士達は、無力な正義を踏み躙られ、帝国に屈服させられたのである。
どれほど強い信念を持とうと、どれほど崇高な大義を掲げようと、それ以上の武力の前では弱者の囀りに過ぎない。アイラックスを倒した帝国勇者の剣技が、その現実を王国に容赦なく突き付けたのだった。
だが、それだけでは終わらなかった。無情な現実に心を折られて戦意を喪失した王国軍の騎士達に、帝国兵達が下卑た笑みを浮かべて襲い掛かったのである。武器を落として闘志を失った彼らは、帝国兵達にとっては無抵抗の獲物でしかなかったのだ。
「我が帝国に歯向かった愚か者どもが、死を以て償え!」
「生まれて来たことを後悔するまでグチャグチャにしてやらぁあッ!」
「うぐあぁあぁッ!?」
「きゃあぁぁあッ……!」
アイラックスを失い茫然としていたゼオドロスとラフィノヴァは、ここぞとばかりに帝国兵達に嬲り者にされた。2人はお互いの目の前で、徹底的に殴り付けられたのだ。帝国軍の猛将バルスレイの一喝によって制止されるまで、その激しい蹂躙は凄惨を極めた。
「……う、がッ、あ……」
下衆な薄ら笑いを浮かべ、数十人掛かりでゼオドロスに殴る蹴るの暴行を加えていた帝国兵達。彼らがようやくその場から離れた後、血だるまで横たわるゼオドロスは呻き声を漏らし、起き上がることも出来ずにいた。誰の目にも明らかなほどに、虫の息だ。
「ラフィノヴァ殿ッ……」
「はぁっ……はっ、ぁあっ……」
霞む目に映るのは――自分と同じく帝国兵達に「蹂躙」され、戦場に横たわるラフィノヴァ。珠のような白い柔肌は疲弊によって痙攣しており、辛うじて意識はあるのか荒い呼吸音も聞こえて来る。悩ましく艶かしい息遣いが、彼女の美しさに彩りを添えていた。
彼女が帝国兵から受けた「洗礼」を目の前で見せ付けられていたゼオドロスは、己の無力さを改めて痛感させられ、倒れ伏したまま拳を震わせていた。騎士としての矜持も、人間としての尊厳も、何もかも穢された。命以外の全てを奪われたに等しかった。
「ぐッ……うぉあぁああーッ!」
あまりに不条理なこの世界と、騎士として何一つ護れなかった己への怒り。その激情が頂点に達した瞬間、ゼオドロスは地に伏したまま猛獣の如く吼える。
力無き者にはこの嘆きさえ許されないというのなら、力を得るために全てを投げ打たねばならない。アイラックス将軍やルーク団長の死が無意味に終わるくらいなら、王国の正義などかなぐり捨てねばならない。
「俺は……俺はぁあッ……!」
その決意に至った男の双眸は、人ならざる羅刹の色を帯びていた。すでに失われた人間としての尊厳など顧みる必要は無い。求めるのは、この恥辱さえも払拭し得るほどの蹂躙。それを実現し得る暴力のみであった。
「うっ……ゼオドロス、殿……!?」
それから、しばらくの時が経ち。朦朧とする意識の中で身を起こしたラフィノヴァは、残された力を振り絞って辺りを見渡す。しかしその時すでに、ゼオドロスは姿を消していた。
この瞬間、王国騎士ゼオドロスは死んだ。彼は騎士としての誇りも国さえも捨て、暴力のみを絶対視する羅刹と化したのだ。しかし、その変貌の瞬間を見逃していたラフィノヴァには知る由もない。
彼女がその事実に直面したのは、この日から約六年後のことであった――。
◇
――私達が暮らすこの星から、遥か異次元の彼方に在る世界。
その異世界に渦巻く戦乱の渦中に、帝国勇者と呼ばれた男がいた。
人智を超越する膂力。生命力。剣技。
神に全てを齎されたその男は、並み居る敵を残らず斬り伏せ、戦場をその血で赤く染め上げたという。
如何なる武人も、如何なる武器も。彼の命を奪うことは叶わなかった。
しかし、戦が終わる時。
男は風のように行方をくらまし、表舞台からその姿を消した。
一騎当千。
その伝説だけを、彼らの世界に残して。




