001
――あの日から真冬は私の家へ入り浸るようになった。夏休みも後半に差し掛かる今日この頃。今日も今日とて真冬は早朝から私の家に押しかけて、漫画を読んだり、音楽を聴いたり、下らないテレビ番組をまじまじと見ていた。
「ねぇ、そのバラエティ番組面白い?」
「ちょーうける」
「はぁ!?」
「あら。使い方が間違ってたかしら」
「い、いや、間違ってはないけどさ……」
――変わった事と言えば二点。真冬みたいなお嬢様からしたら“俗物”と呼ばれるものを私が見させたせいだろう。時折、変な言葉を使うようになったこと。それともう一つは……
「ねぇ、凉花。手出して」
「ん」
――そう、やたら私の手を握りたがるようになった。握るというよりは手を繋ぐようになったと言った方が正確か。これも多分私のせい。この間、「友達と手を繋ぐなんて普通だよ?」と伝えたのを純粋無垢まっさら白原の真冬は鵜呑みにしてしまったようだ。
だらしなくベッドに襟の伸びたTシャツと中学時代の短パン姿で寝転がる凉花が、ベッドの下に座っている真冬にだらんと手を投げる。そうすると真冬が両手でその手をぎゅっと握った。
しかし依然として関西弁を話すお笑い芸人が下賎な笑いを誘ってる様子を垂れ流すテレビから目を離さない。
「あ〜気持ちいい〜」
凉花が思わず言葉を漏らす。何だかんだ言っても凉花も悪い気はしない。むしろ好きな部分だってある。その一つに特異的な真冬の体温の冷たさがあげられるだろう。特に手や太股なんかは冷水に長い間浸かっていたのかと思う程で、いくら凉花が触れても熱を持つことは無い。本人曰く、生まれつきなのだと言う。
涼しくなる夕暮れとはいえ熱気が蒸す部屋。薄着で扇風機の首を固定したところでその効果は微弱でしかない。凉花にとって、真冬は冷房そのものだった。そんな真冬にいつの日か「本物の雪女じゃん!」と軽口を聞いたら凉花は見事に目で凍りつかされたのはこの夏一番の怪談となることだろう。
「今日は雨が降るかもね」
怪しい黒い雲を遠目に眺めながら凉花は呟いた。「そうね」なんて話をまったくする気のない真冬がテレビを食い入るように見ながら返事をする。
「暇だねぇ〜」
「そうね」
にぎにぎと真冬の手を握る。自分から手を求めた当の主は興味無さそうにテレビから視線を外さない。二人のいつもの日常である。
「……ねぇ、なんで宮守の事が好きなの?」
本当に何となくだった。何となく暇だから。別に凉花に他意なんてこれっぽっちも無かった。ただ暇だから聞いただけ。天井を眺めながら、なんとなく。
「……なんで?」
ここで初めて真冬がその大きく凛々しい目で凉花の方を向いた。驚いたように凉花も思わず見つめ返してしまう。
「…………いや。なんとなく?」
「そう」
短く、それだけ。それだけを伝えるとまたテレビに食い入ってしまう。――いつもそうだ。真冬は自分の事をあまり話したがらない。特に小学生の頃の話になると途端に機嫌を損ねる。どうしたものか。
「あ」
「何かしら?」
「冷蔵庫の中身空っぽだった。スーパー行ってくる。真冬はテレビ見てて」
「いいわよ、一緒に行くわ」
「いいって、すぐ帰ってくるし。真冬、今日うちで食べてくでしょ?家政婦さん休みの日だよね?」
「ええ!?気を使ってくれるのはありがたいけれど遠慮しておくわ。最近たくさんご馳走になってるし申し訳ないっていうか……」
「いいって、いいって。二人で食べた方が美味しいし!ね?食べてくでしょ?」
少し煮え切らない様子の真冬が遠慮気味にこくりと頷いた。よくよく見ると、少し汗をかいている。それもそうだろう、今日の真冬は丈の長い深緑色のスカートに白色のサマーニットを着ていたのだから。
「真冬、その格好暑くないの?」
「確かに、少し暑いわね」
「私のTシャツと短パン貸そうか?」
「いいの!?」
凄い勢いで凉花に食いつく。その様子に目を丸くした凉花が一拍置いて、プラスチック性の収納ボックスへと向かう。
「私の部屋着だからだるだるだし、お洒落じゃないけど大丈夫?」
「ええ!」
「んー……じゃあ、これ」
「ありがとう!凉花みたいな格好してみたかったのよ!いつも涼しそうだし、楽そうじゃない?憧れだったのよ」
そんなにか、と凉花がくすりと笑う。真冬は歓喜余ってTシャツとタイトな綿のショートパンツを抱き締めていた。
「三島さんですよね?」
ちょうど凉花が今日の献立は冷しゃぶにしようと豚肉を手に取っているところだった。スキニーのジーンズを履いた、大人っぽい女性に突然声を掛けられた。しかも名指しで。
あまりの不審さに凉花は一歩たじろいだ。
「え、ええと……」
「あら、その買い物カゴを見ると今日の夕食は冷しゃぶですか?あの子、今日暑そうな格好してたから気を使ってくれたりしました?」
女性はくすくすと目を細めて笑う。
「あ、あの、どちら様でしょうか……」
「あ、ごめんね?私は雪代家で雇われている森ゆかりです。ええと、真冬の家政婦って言ったらわかるかな?私のこと聞いてる?」
「ああ!ええ!?あ、はい、聞いてるって言うか、え、え、」
「ごめんね、驚かしちゃったよね」
女性は微笑みながら一応の謝罪をする。予想外の出来事が起こっている凉花の動揺は簡単に見て取れたのだろう。
「ここで会ったのも何かの縁だし、もし良かったら買い物終わったら少し話せないかな?それとも真冬が待ってたりするのかしら?」
「え、ええと、はい。大丈夫です、はい」
「やった!じゃあ決まりね、スーパーの入り口で待ってるからゆっくり買い物してね!」
「あ、え、は、はい……」
指をひらひらと泳がせ、嵐のように去っていく。何が起きたのか理解出来ぬまま、ゆかりのテンションに思わず頷いてしまった凉花。そして冷しゃぶにした理由を見抜かれて少し気恥しい。油断のならない人だ、三百九十八円の豚肉を手に取ったまま、ゆかりをますます警戒する凉花であった。