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雪女と咲かせる花は百合なのか?  作者: 花井花子
葬式ランチタイム
4/34

001

 翌朝、凉花が起きたのは時計の短い針が九の文字を少し通過したくらいだった。

 慌てて自室のベッドから飛び上がると、脚がまるで言う事を聞こうとしない。それどころか身体の節々が悲鳴をあげている。その正体が筋肉痛であることを察するのに時間はかからなかった。


「こんな事なら高校でも部活を続けるんだった」


 一人凉花は心にも思ってない後悔を口にする。

 綺麗に整頓されたシンプルでいて小さな洗面台で手早く顔を洗うと、薄く染めた茶色の髪を乱暴に櫛で梳かしつけた。

 寝惚け眼で歯ブラシを咥えたまま、短パンとTシャツを脱ぎ散らし制服へ着替える。


 10分程度で支度を終えた凉花は、真新しいピカピカのローファーを履きながら自宅の扉を勢いよく開けた。


「おはよう、凉花すずはな


 そこには汚物を見るような侮蔑した目で威圧感を放つ“雪女”こと真冬が立っていた。

反射で凉花が扉を開けた勢いよりもっと強く扉を閉める。


 私は夢を見ているのかな?落ち着け。一旦落ち着こう。私は寝惚ているのか?いや、寝惚けていないぜミス凉花。おーけー、私は冷静だ。ちょっと昨日の件をまだ引きずってるだけだ、落ち着いていこう。幻覚に臆病になってどうするのさ。


 恐る恐る扉を押して外を伺うと、やはり幻覚なんてある訳もなく、先程より冷たく凍えるような絶対零度の瞳で凉花を見つめる、制服姿の真冬が腕を組んで仁王立ちしていた。


「あら、私の姿を見て扉を閉めるなんて、よほど私に首を絞められたい様子に見えるけど、貴女ってマゾヒストなのかしら」


 ぽかぽかとまだ布団の温もりが抜けない凉花は身体の芯から凍らされるような錯覚を覚えた。


「待って、ストップ、なんで!?」


「何かしら、貴女ちょっと朝から煩いわよ」


「なんで雪代さんがここにいるの!?」


「『雪代さん』?」


「あ、『真冬』でした……ごめん……」


 呼称に不快感を示した真冬が子供をしつけるように微笑むが、目元は全く笑っていないどころか怒りを感じる。その様子を察した凉花は思わず謝ってしまった。理由は分からないが名字で呼ばれることを嫌ってるようにも見えた。


「まぁ、いいわ。約束通り迎えにきてあげたのよ。なのに貴女ったら全然起きて来ないんだもの」


「ええ!?約束!?」


 大袈裟に顔をしかめて昨日の記憶を辿る。

 約束?約束なんてしたか?否、断じてしていない。していないはずだ。そもそも何故真冬は私の家を知っているのか、何故今まで待っていたのか、聞きたい事は山程ある。富士山ほどある。


「言ったじゃない、『また明日ね』って」


さらりと言ってのけた真冬に凉花はあんぐりと口を開けた。


「えー……」


「何か問題があるのかしら?」


 先程から苛立つ真冬に向かって「言葉が足りない」なんて遅刻した立場上言えない凉花は首を横に必死で振るしか出来なかった。




 夏の陽射しが容赦なく降り注ぐ中、二人は通学路を少し足早に歩いていた。いくら薄手のワイシャツに軽いスカートと言えども、アスファルトに照り返す纏わりつくような熱気にじんわりと汗が滲む。


「それより、なんで真冬が私の家知ってたの?」


 思い出したように凉花すずはなが問うと、当たり前のようにスクールバッグから、凉花のクラスの連絡網が書かれたプリントを取り出す。


「これに書いてあったわ」


「なんで真冬が私のクラスの連絡網持ってるの?」


 確か真冬は隣のクラスの筈だ、と凉花は昨日の宮守との会話から記憶していた。すると真冬はくすくすとその白い手で口元を隠し笑い始めた。


「貴女、昨日のホームルーム授業にいなかったものね」


「昨日のホームルーム授業?あぁ、そうだ。昨日のホームルーム授業は宮守と屋上でサボってたんだった」


「私、貴女のクラスに編入する事になったの」


「は!?」


「昨日はその挨拶の為に学校へ行ったわ。私、ほら。知ってるかもしれないけれど、同じクラスだった子と少し問題を起こしてしまったから」


 呆気に取られた凉花は歩みを止める。

 その停学の件は昨日宮守から聞かされていたが、編入の件は初耳だし、恐らく一緒に授業をボイコットしていた宮守も知らないはずだ。


「え!?ええ!?」


「机が一つ増えてたの気が付かなかったの?」


「私、あまり教室にいないから……」


 恥ずかしげにあははと誘い笑いをするが、授業を出ないなんて有り得ないとばかりに真冬が吐き捨てる。


「貴女、ゴミね」


「ゴ、ゴミぃ!?」


「ほら、あそこに転がってる蝉の抜け殻。貴女にそっくりよ」


 そう言うと真冬はピンと背筋を伸ばし足早に歩いていってしまう。待ってよと声を掛けながら、追いついた、すっかり精神の参った凉花がちらりと真冬を見ると、無表情ながらどこか彼女は愉しげに見えたのだった。


◇◇◇


 凉花すずはなはげんなりしていた。


 その日、学校に落雷が轟々と落ちたような衝撃が走った。


 いつもは一人で登校してくる全校生徒の高嶺の花であり、最も恐ろしい人物“雪女”が女子生徒を引き連れて登校して来たではないか。

 当たり前だが、授業にすらまともに顔を出さない凉花は特に生徒達からは全く知られていない。しかも凉花は身長が170センチ近くある長身な為、ある種の悪目立ちをしてしまうのだ。

 そしてその隣を歩くのは可憐にして、話し掛けることすら躊躇われるような美しさを持つ“雪女”である。彼女も身長は160半ばはある為、奇しくもスタイルの良い二人が並んでしまうと、それはもう畏怖の権化でありながらも、一部の生徒達からは黄色い声が上がるほどの光景であった。


 羨ましがられるような、怖がられるような。少なくとも私に前者の経験はない。という事は、私が真冬に“引っ張られている”のだ。どうやらキラキラと輝く、私達と住む世界が違うような容姿と、見るもの全てを凍らせるような雰囲気を持つ真冬は、自らのみならず、他人をもその美しさで感化させてしまうんだろう。


 一人凉花は退屈な授業に頬杖をつきながら考えていた。クラスメイトの噂話や好奇の目には随分と慣れたはずだったが、今回のそれとは規模が違いすぎる。


 そしてその張本人真冬は真冬の隣で何事も内容に授業を受けているのである。教師が手早く数式を黒板に書き上げると、真冬は長い睫毛を伏せて、まるでペンをノートに滑らしていくように板書を写す。


 そんな視線に気付いたのか、真冬が凉花の方を向く。無表情のまま「何をしているの」とパクパク口を動かした。とん、とんっとペンでノートを叩く様子を見るに言いたいとはなんなく伝わった。


「いまやろうと思ってました〜」


 真冬にしか聴こえない囁くような声で返答をして板書を写すと、クラスの空気が一瞬でざわつくのを感じた。所々で「今、三島さん何か命令されたの?」「二人でなにか囁きあってたぞ」「おいおい、誰か変なことをして雪代さん怒らせたんじゃ……」、方々から噂話が飛躍していく。

 宮守に至っては昨日の事があってからか、ちらちらと凉花を伺うも目が合うと赤面して視線をさっとずらしてしまう。


(宮守、絶対勘違いしてるだろ)


 頭が痛くなるようなその状況でも真冬は平然と授業に集中していた。その様子からこのような状況に慣れていることを凉花が察すると、益々頭が痛くなるようなそんな気分に陥る。


 夏休みまであと二日。あと一度の登校が今までと違った意味で億劫になり、熱がでないかなぁなんてぐでっと凉花は机に突っ伏した。



 昼休みのチャイムが鳴ると珍しいことに、即座に宮守が凉花の元へ駆け寄ってきた。

 いつもと違うどぎまぎとした様子を見せている宮守は短く「行こ」と伝えると、二人はいつもの屋上へ向かった。隣の席から舌打ちが聞こえたのは聞こえなかったことにしておこう。

 屋上へ入り、扉の隣に腰掛けた宮守はピンク色の可愛らしい小さなお弁当箱を開ける。その様子を見ながら凉花は昨日からスクールバッグに入っていたスナック菓子を一つ手に取った。


「え、凉花ちゃんお弁当ないの?」


「今日は寝坊しちゃったからねぇ。朝も食べてないからお腹ぺこぺこ」


「えー!!死んじゃうよ!!」


「しーっ!宮守静かにして!」


 大袈裟な声を上げる宮守の唇を人差し指で制する。その形相は敵国に乗り込むも敵兵士に潜伏場所を囲まれてしまった兵士のようである。

 この屋上は本来ならば使用禁止区域なのである。

 現にこの広い屋上にいるのは凉花と宮守、二人だけであるし、二人以外の誰かが使用した痕跡もない。

 そこをこっそりと使っている二人は誰にも見つかる訳にはいかないのだ。


「そ、そういえば……」


 そんな静止もつゆ知らず、はっと何かを思い出した宮守は少し顔を青ざめながら続ける。


「今日は雪代さんと二人で遅刻してきたよね…」


「うん、そうだけど?」


「まさかあの後二人は泊まりがけであんな事やこんな事を…ああ!なんて破廉恥!駄目だぞ、凉花ちゃん!きゃああ!!!」


「え!?ちょっと、宮守!?」


 青ざめたと思うと途端に真っ赤に顔を染め、弁当箱を抱えたまま宮守は子栗鼠のように駆け出し屋上から逃げてしまった。

 置いていかれた凉花は呆然と途方に暮れるしかなかった。昨日から宮守の勘違いがエフワンマシンの如く加速しているのは凉花の思い違いなどでは無い。




 そんな昼休みもあり、久しぶりに授業を全て受けきった凉花はぐったりとした様子で硬い木製の椅子に身体を預けていた。宮守が遠くから「授業に全部出るなんて、これも愛の力だね」なんて興奮気味に小さく呟いてたのは気のせいだろう。気のせいだと思いたい。


 凉花は隣を見ると、真冬が不機嫌そうに少し乱雑に教科書をスクールバッグへ詰めてるのが見えた。


(すごく嫌な予感がする)


 刹那、蒼く冷たい炎を宿した瞳で凉花を睨むと強引に腕を引っ張り、教室の外へと連れ出そうとする。宮守を初めとするクラスメイト達がぎょっとした眼差しを向けた。


「ちょ、ちょっと待って!」


 辛うじて凉花は自分のスクールバッグを鷲掴みにすると、そのままずるずる引きられるように騒めくクラスメイト達の声をBGMに教室を後にした。



 帰り道。校門を出てから数分が経ち、何も話さない真冬におどおどと一歩後ろを凉花が着いて歩いていた。すると、突然真冬が立ち止まる。


「ずるいわ」


「え?」


「貴女だけずるいわ!」


「な、なにが!?」


「宮守さんとなんで二人きりでお昼ご飯を食べるの!?手伝ってくれるんじゃなかったの!?」


 怨念を纏いつつ、うがあっと嫉妬に狂った“雪女”が叫ぶ。


「せっかく一緒のクラスになれたのに、彼女と一言も話せないなんて生殺しだわ。それとも貴女を半殺しにするしかないのかしら。大丈夫、殺しはしないわ。私と宮守さんが二人でご飯を食べれるような仲になるまで貴女は病院で眠るだけだから。良かったわね、たくさん寝れるわよ。事によっては他のクラスメイトも同じ病室に送ってあげるわ、安心しなさい」


 ふふふと妖しく笑う暴走した雪女に恐怖を感じつつも、真冬の肩を抱きぐらぐらと揺らす。


「待って!落ち着こう!?戻ってきて真冬」


 がくんがくんと揺らされ頭が壊れた人形のように振り回される真冬が正気に戻る様子がない。どうにも真冬は思考が極端なのだ。真人間に見えるようで、その生態は己の欲望に忠実な“妖怪欲求忠実雪女”。


「明日!明日、宮守も誘って一緒にお昼ご飯食べよ?宮守のお弁当可愛いんだよー?明日、前期最後の学校なんだから思い出作ろう?ね?」


 生命の危機を感じた蛇に睨まれた蛙、いや“雪女”に睨まれた無力な女子高生は己の身を守らんと口走る。その提案を聞くと、真冬はぱちくりと瞬きをして、“雪女”から威圧感がすぅっと消えていった。


「……本当に?」


「約束するよ!だから物騒なことはやめとこ?ね?」


「……そうね。まぁ、蝉の抜け殻にしては上出来な案だわ」


「え、それ私のこと?」


 くすりと笑う真冬は今度は上機嫌に歩き始めた。一命を取り留めた蝉の抜け殻が異議を唱えながら煩く隣を歩く姿は傍から見ても仲のいい友達にしか見えないのであった。

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