001
真冬が、宮守に、告白する。
眩暈で頭痛がしてしまいそうなその事実に、凉花は大きな溜め息を吐いた。一体、どうして私はこんなことで悩んでいるんだ。凉花の思考は止まらない。
真冬には幸せになって欲しい。何だか上から目線のようだけれど、それは確かで揺るぎない。宮守もとてもいい子だし、真冬にとって宮守と付き合えたら、それはとても喜ばしいことだろう。私も嬉しい。
嬉しいのだけれども。
凉花は押し潰されそうな感情に、がっくりと頭を垂れた。
真冬と出会って三ヶ月ほど。時間にしては一年の四分の一。しかし、その時間だけでは測りきれないくらい、濃密な三ヶ月を凉花は過ごした。
いつも通りの飽きた灰色の日常を、鮮やかな色を塗り変えてくれたのは、雪代真冬その人だった。
面倒な学校も、つまらない授業も、退屈な休日も、真冬と出会ってからは全てが素敵な思い出になっている。
朝、扉を開けると文句を言いながら毎日真冬は立っていた。授業中、彼女の聡明な横顔に何度虜になっただろう。休日、彼女が家にくるたびに、何度心が躍り上がったことか。
凉花の日常には、いつも真冬がいた。
「別に、離れるわけじゃないんだけどな」
ベッドに横になりながら、ぽつりと呟く。誰に向けられたわけでもない、その言葉は落ちてくる雪のように部屋に溶けた。
そう、離れるわけではない。きっと、宮守と付き合っても真冬は毎日迎えにきてくれるだろう。例え、それはなくなっても、毎日学校でいつものように挨拶をしてくれるはずだし、休日も遊びにきてくれる。
でも、そんな事をいくら考えても凉花の気持ちは、晴れることはなかった。
不意に、夏祭りに向かう際に言われた、ゆかりの言葉を思い出す。
『恋する乙女は、醜いくらいが丁度いいのよ』
ゆかりのせいにするつもりは毛頭ないが、ゆかりの言葉を借りるなら、正直思ってしまうのだ。
“フラれたらいいのに”、と。
自己嫌悪に陥る。今のは駄目だった。口に出すのはおろか、考えるだけでも、今のだけは良くなかった。凉花は浅ましい自分の人間性を責め立てる。
大好きな真冬を何故応援してあげられないのだろうか。何故純粋に、真冬を祝福してあげようという気持ちになれないのだろうか。
もう、凉花に逃げ場は無かった。
「私、真冬のことが、好き、なのかな」
その“好き”は決して友人に向けられる感情ではない。恋人になりたい、そういう“好き”という感情だった。
今まで何度か感じたこの感情。分からなかったふりをしていた、その感情。とうとう、凉花は向き合うことを決意する。
しかしながら、だからといって、真冬のことが“好き”とは言い切れなかった。ここに来て、この感情から逃げ続けていたツケが廻り廻ってくる。
私は女の子が好き? そんな筈はない、と思う。
同性の友達は多い方ではなかった、しかし少なくもなかった。その友達に少しでも恋愛感情を持ったことはあるだろうか。答えはノー。それは断言できる。
それじゃあ男友達は?
正直な所、男友達は極端に少なかったのでよく分からない。……いや、でも、あの人かっこいいな、素敵だな、そんな目で男子を見ることは何度か経験はあった。
きっと、“好きになる”っていうのは、その延長上にあるものなんだろう。いや、分からないけど。
どう考えても私はきっと女の子が好き、と言うことはないんだと思う。一度も同性をそんな目で見たことはないからだ。
それでは、真冬に対してはどうだろう?
彼女に触れたいといつも思っているのは?
隙あらば彼女の顔を盗み見みているのは?
彼女の唇から目が離せないのは?
彼女のことを四六時中考えているのは?
彼女を、全て独占したいと思っているのは?
「……分かんないよ」
投げやりに枕に顔を沈める。息苦しさが、心地よかった。このまま意識を失って、目が覚めると学校の机に突っ伏してて、真冬が「貴女また寝てたの?」って怒ってくれないだろうか。
いや、そうじゃなくてもいい。朝、会ったら「やっぱり勇気が出ないから、今日の告白はやめるわ」って言ってくれないだろうか。私に手伝ってって言ったくせに、全部自分で決めちゃってそんなの狡い。
勝手に宮守とファーストキスして、勝手に宮守を名前で呼んで、勝手に宮守と仲良くなって、勝手に私にのファーストキス奪って――
「そんなの、狡すぎるよ」
いつの間にか目頭が熱くなっていた。枕が濡れていく。
凉花は、真冬も宮守も責めるつもりはなかった。狡い、と言いつつも自分が一番卑怯だったのは理解している。
『宮守と仲良くしたい』、という口実につけ込んで、誰よりも真冬に近づいていたのは自分だった。
真冬のことが好き。これは揺るぎない事実だった。
しかしながら、女の子を好きになってしまったという事実に凉花は酷く動揺していた。なにが正解か、弱冠十六歳の凉花にとっては分からなかった。
時間が、欲しかった。
気持ちの整理をする時間を欲しかった。きっと時間さえあれば、真冬のことが好きでも、宮守に告白する応援ができる。一言、「頑張れ」って声を掛けられる。純粋に、彼女の背中を押してあげられる。
しかし、今の凉花ではそれすら叶わなかった。
告白するっていうのが嘘ならいいのに、告白する勇気がなくなってしまえばいいのに、あまつさえフラれたらいいのに。
湧き上がる醜い感情に、息を止める。
もう何も考えたくなかった。このまま自分が消えたらいいのにとさえ思った。濡らした枕を抱き締めて、真冬の意識は遠のいていく。
それでも世界は廻り続けるわけで。
いくら凉花が逃げようと、朝は毎日決まってやってくる。カーテンから漏れた日差しで目を覚ますと、慌てて時計を見た。
時刻はまだ早朝六時。普段の起きる時間まで一時間以上は早い、その真っ直ぐ一本線な指針に安堵しつつ胸を撫でおろす。
ぐぅ、と腹の虫が鳴いた。
思い返すと、昨日は夕食を食べずにベッドへ寝転がりこんでいた。面倒そうにベッドから立ち上がり、脚を引きずるようにキッチンへと向かう。
食パンを二切れ、トースターにいれて、ただぼんやりとそれを眺めた。
「……真冬に会いたくないなぁ」
本日の第一声であった。




