001
「真冬の下駄箱は、ここだよね」
至って凉花は冷静だった。真冬の下駄箱を開けると、そこには雨で濡れたローファーが一つ。
と言うことは、真冬はまだ校内にいる。行く場所はそんなに多くはないはずだ。
「ナディのって、出席番号的にここだよね?」
確証はなかったが、ついでにもう一つ下駄箱の扉を開ける。ピカピカの真新しいローファーが綺麗に揃えて置いてある。恐らくナディーヌので間違いないだろう。
揃いも揃って校内にいるなんて、流石は幼なじみと言ったところか。意外と思考回路が似通っているのかもしれない。
とにもかくにも、もたもたはしていられない。あれだけの大騒動になったのだ。校内を教師達が巡回して、見つかってしまうのも時間の問題だろう。
凉花は踵を返して、再び階段を駆け登る。
そして呆気なく見つかったのは、ナディーヌ。
勢いよく屋上の錆びた扉を開けると、扉のすぐ隣にナディーヌがしゃがみ込んで、すすり泣いていた。
雨で濡れた屋上は、ところどころ水溜りが出来ている。泣き声と同調するような、その寂しい濡れた屋上は、まるでナディーヌの涙で濡らされているようだった。
「ナディ……」
「うぅぅ……」
ナディーヌの隣にしゃがんで、寄り添うように顔を伺う。膝を抱えたまま俯くナディーヌは、ひたすらに涙を流していた。
「……ねぇ、三島さん」
「なに?」
「わたくし、真冬に嫌われたかしら」
驚愕のあまり、凉花は声が出せなかった。「嫌われたかしら」? そんな事を今更?
ナディーヌには悪いが、とっくの昔に嫌われていると思うが……
「……えぇと、聞いてもいい?」
「なにかしら……」
「ナディーヌって、真冬の事が嫌いで、嫌がらせしてたんじゃないの?」
その一言に、涙で真っ赤に充血させた瞳を凉花に向けて、驚きながら否定する。
「そんなわけないじゃない!! わたくしは真冬の事を愛していますわ!!!」
「は、はぁあ!?」
いつもの様な演技ではなく、迫真の顔で凉花に迫るナディーヌに少したじろぐ。ますます訳が分からなかった。一度は冷静になった頭も、再びぐつぐつと沸騰してしまう。
「だって、ナディ。私、真冬から小学生の頃の話聞いたけど……」
「全てお聞きになりましたの?」
「う、うん……」
「そらなら、わたくしの“愛”わかってくれますわよね!?」
「ちょっと待って! なんか行き違いがあると思うんだけど!! ナディの口から小学生の頃の話、教えてくれない!?」
凉花の肩を掴んで、今にも襲い掛かってきそうなナディーヌを無理矢理引き剥がす。全部聞いたんじゃなかったのと、ナディーヌは訝しげな顔をしたが、一呼吸置いてからぽつり、ぽつり、と話し始めた。
「真冬とは小さい頃の幼なじみなの。お父様同士が会社の関係でお付き合いがあって、初めて会ったのが幼稚園の時だったかしら」
「そうなんだ……」
「それでね、小学生に入ってからわたくし、肌の色とかで虐められて。と言っても無視されたりする程度だったけれど。幼稚園でお友達だった子も、みんな離れていったわ」
恥ずかしげに苦笑いする。ナディーヌは続けた。
「でも、真冬だけは違ったの。いつもわたくしの傍にいてくれて……真冬だけは、わたくしの味方でしたわ。あの子の笑顔も、弱々しい顔も、全部脳裏に焼き付いているくらい、真冬が好き」
「じゃあ、なんであんな事したの?」
「あんな事?」
「真冬が、その……女の子が好きって言い触らして、虐めたりしたって聞いたけど……」
「虐め? 何を言ってますの?」
きょとんとしたナディーヌに思わず、凉花は面をくらった。
「真冬は、わたくしだけいればそれでいいって言ってくれましたのよ?」
「うん、聞いてるけど……」
「でも、実際はなんでか友達を作って、いつもわたくしではなく友達の話ばかり……あの子は嘘をついてましたの……」
雲行きが怪しくなってきた。
「クラスメイト達が憎かったですわ……本当の真冬の事を知っているのはわたくしただけ……真冬の友達は、恋人は、わたくしだけ……真冬にはわたくし以外必要ない……真冬は……」
「ナ、ナディ?」
ぶつぶつと呪文を唱えるようなナディーヌは、目が座っていた。まるで天使のような容姿には不釣り合いの暗黒のオーラを纏う様は、堕天使だった。
「真冬をまともに戻してあげなきゃと思いましたわ。だから、わたくし以外必要がない状況にしてあげようと思いまして……」
「あ、あ、あ……」
――愛が重過ぎる!!!!!!!!
凉花は開いた口が塞がらなかった。
「つまり、ナディーヌは真冬のことがずっと好きなの?」
「勿論ですわ!!! あの子がいなくなってから、クラスメイト達はもう用済みでしたの!! だから、素っ気ない態度をしていたら、そこから高校生になるまでずっと虐められていましたの。でも関係ないわ、真冬以外になにをされようと、興味ありませんもの!!!!」
興奮したようにナディーヌは語気を荒らげる。
「高校に入っても、エスカレーター式のわたくしの学校では虐めはなくなりませんでした。ある時、風の噂で真冬の居場所がわかりまして!! わたくしはクラスメイトに初めて感謝致しましたわ!! 虐めを理由に転校が出来るのですもの!!!」
でも……とナディーヌは肩を落とす。
「何故かわたくしは真冬に嫌われていましたわ……それなら、また真冬がわたくしだけを必要な状況にしてあげようと思いまして……」
凉花は愕然とした。
ナディーヌは本当に真冬のことが大好きで堪らなかったのだ。それはもう、“真冬すら”見えないくらいに、盲目になっていたのだ。
愛が、大きく歪み過ぎたのだ。ただ、ナディーヌは不器用過ぎただけだったのだ。
凉花は大きく深呼吸をして、ナディーヌの目を真っ直ぐに見つめた。
「ナディ、落ち着いて聞いてね」
「え、ええ……」
「ナディは真冬のためって言ってるけれど、それは自分の為だよ」
「ち、違っ!!!」
「うん、わかる。ナディが真冬のことが大好きっていうのは伝わってる。でもさ、そのやり方は真冬を傷つけてるだけだよ?」
「そ、そんな……」
「真冬、すごい悲しんでたよ。大好きなナディーヌに追い詰められて」
「う、うぅ……うううう……!!!」
そんな……と、初めて告げられた真実にナディーヌは力なく項垂れて、涙を零す。
そんなナディーヌを凉花は胸元に抱いて、背中を摩った。
そして優しく、言葉をかける。
「大丈夫だよ、ナディーヌ。ちゃんと謝ろ? 真冬も許してくれるよ。だってナディーヌはこんなにも真冬が大好きなんだもん。私も一緒についてくよ」
「み、三島さん……」
やがて忍び泣きが大きくなり、瞼を焼くような大粒の涙を嗚咽と共に流した。己の過ちを悔いるような鋭い痛みがナディーヌの胸を突き刺す。
凉花はただ無言でナディーヌを抱き締め続けた。彼女の痛みと間違いを、ただひたすらその胸で分かちあった。
「……三島さん、ありがとう。わたくし、真冬にちゃんと謝りますわ」
「うん、応援するよ」
「……それで。あの、その」
「どうしたの?」
抱きつかれていた腕がギュッと強くなる。もじもじとするナディーヌに、思わず髪を撫でる手を止めた。
「……わたくしと、本当のお友達になって下さりませんか?」
自信なさげな小さな声に、凉花はぷっと吹き出して笑ってしまう。
「な、わたくしは勇気を出して言ったのよ!」
「ご、ごめんごめん!」
「そ、それで返事はどうですの!?」
「えーと――」
凉花は笑うのを堪えて、息を吸う。
そして、口を開いた。
「もう、友達だと思ってた」
ナディーヌは凉花の胸から離れて、拍子抜けたように力を抜かした。その様子に再び凉花は笑い出してしまう。
意地悪ですわ、と膨れるのも一時。凉花と一緒に笑い出したナディーヌの笑顔は、誰よりも眩しい笑顔だった。




