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雪女と咲かせる花は百合なのか?  作者: 花井花子
紙飛行機ラプソディ
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003

 大変なことになった、凉花すずはなは脱力した彼女を抱き抱えながら慎重に階段をくだる。とうに19時を回った校内は午後の生徒達の雑踏がまるで白昼夢だったように静まり返り、凉花の足音だけが寂しく響いていた。


 一階まで辿り着くと、ふと抱えていた彼女がもぞりと動く。凉花は心配そうに歩みを止めると、小さな声で「もう大丈夫」という声が聞こえたのを確認する。



「本当に?歩けるの?」


「いい。平気よ、それより下ろして。暑いわ」


 凉花は驚くほどに軽い彼女をそっと階段へと座らせた。項垂れるている彼女を心配そうに見下ろし、隣へと自らも腰掛ける。彼女の顔は少し青白く、貧血のようにも見えた。


「……ありがとう、助かったわ」


 ぽつりと彼女が漏らす。


「あ、うん。全然平気、雪代さん軽いし」


 重い空気に耐えきれない様子の凉花すずはなが少しおどけた調子で答えた。


「違うわよ、ううん、それもそうだけれど…さっきのことよ」


 ばつが悪そうにそっぽを向きながら雪代は少し声を控えて囁いた。


「あぁ、まぁ、うん。私も悪かったし、お互い様だよ」


「それでさっきのことなんだけれど…」


「それは!もちろん宮守には言わないし、言い触らしたりもしないから」


 はっきりとした意思を伝えるように隣に座る雪代に向かい直して、一呼吸置いた凉花は続けた。


「その、信じられないとは思うんだけれど、安心して欲しいんだ、それは」


 小さく口を開けたまま意外そうに雪代は凉花の目を見つめる。その表情からは少し驚きも伺えた。少しの間、呆然と見つめていた雪代だがふいにキュッと唇を結ぶ。


「どうかした?」


 雪代は目を伏せ、無言になる。蝉の声も、風の音も、何も聴こえない階段。今、この世界に二人以外の誰も存在しないのではないかと思わせる静けさ。自分の鼓動が相手に聞こえてしまうんじゃないかと思う程の静寂。それは十秒か、一分か、はたまた十分か。時間感覚さえ置いてけぼりにされた空間を、ぽつり、ぽつりと項垂れたまま言葉を紡ぎだした雪代が動かす。


「……やっぱり、変、かな。女がさ、女を…その、“好き”、になるなんて。変、だよね。普通じゃ、ないよね。有り得ないよね」


「分かってるの。駄目なことなの。有り得ないことなの。でも私は“欠陥品”だから」


「じゃあ、この気持ちはなんなのかしら。私は、“好き”を履き違えてるのかしら。この気持ちは、私の勘違いなのかしら。私のこの気持ちは、嘘なのかしら」


 最後に「気持ち悪いよね」と独り言のように呟くと、また雪代は黙り込んでしまう。


 凉花の胸の中に鈍く、それでいて鋭利で、混沌とした痛みが走った。雪代は所謂、『同性愛者レズビアン』なのだろう。その雪代が、きっと今まで一人で苦しんでいた“痛み”を凉花に見せてくれた。どれ程、悩んだのだろう。どれ程、苦しんでいるのだろう。その“痛み”を見せるなんて、どれ程勇気がいるのだろう。

凉花すずはなは胸が堪らなく苦しくなり、そして張り裂けそうになる。鼓動が速くなる。何も考えられない。彼女を救ってはあげられない。そんな自分が悔しくて、悔しくて堪らなかった時には気付くと雪代を強く抱き締めていた。


「気持ち悪くなんかない!」


 抱き締められる雪代が胸の中でびくっと身体を強ばらせる。


「馬鹿じゃないの?『普通じゃない』?『駄目なこと』?『欠陥品』?ふざけんな!」


 自分でも何を話してるのか、これから何を話すか、全く理解していない。凉花は心の中でつっかえる苦しいものを子供のように手当たりしだい雪代へぶつける。


「女の子が女の子に恋しちゃいけないなんて、誰が決めた?先生か?社会か?神様か?それならそんな奴ら、私がぶん殴ってやる!それにね、“それ”を決めるのは誰でもない、雪代さん、あんたでしょ!」


「なにが勘違いだよ、なにが嘘だよ!もう雪代さんの気持ちは決まってるでしょ!?」


「そうじゃなきゃ、今どきラブレターなんて古臭いもの送らない!放課後に教室にきて、告白の練習なんてしない!それでも、それでもその気持ちが嘘だっていうなら……」


 凉花はぐっと一つ息を呑み、吐き出すように言葉を漏らす。


「……なんで泣いてるのよ」


 雪代は小さな嗚咽を漏らしながら、その小さな手で、長い指で、凉花を抱き締め、凉花の胸を濡らしていた。まるで彼女の苦しみが、悲しみが、想いが温もりを通じて流れ込んでくるようで、心のキャパシティをオーバーした“それ”が雫となって凉花の瞳から頬を伝い流れ落ちる。


 別に理解しようとも、味方になろうとも、そんな大層でいて難しいことは出来ないし、正直分からない。


 でも言葉が止まらなかった。涙が止まらなかった。


 二人は小さな子供のように泣きじゃくり、身体を決して離さなかった。離せなかった。この気持ちが何かは分からない。何かは分からないけれど、心の暖かみを共有しあう二人は圧迫死しそうなくらい抱き締めあった。


 どれくらい時間が経っただろう。涙を枯らした二人の鼻を啜り上げる音が同時に廊下へ響き渡る。

へへへ、と笑う凉花。ふふふ、と微笑む雪代。


「なんで貴女が泣いてるのよ」


「わかんないよぉ」


 凉花が震える声で笑いながら答えるとその様子に思わず雪代が吹き出す。


「もう泣きすぎよ」


「雪代さんだって」


 またもや二人で笑い出す。抱き抱えられながら凉花を見上げる雪代の頬と鼻は赤く染まっていたし、それを見つめる凉花も涙で顔がぐちゃぐちゃになっていた。それを見て、また二人は笑い合う。


 ――バタンッ


 不意に階段の上から、何か物が落ちたような大きな音がなる。この展開は見覚えがある、デジャヴだ。嫌な予感が二人の胸をいなずまのように駆ける。恐る恐る階段の上方に二人は目を向ける。


 ―忘れていた。今日は“とことんツイてない日”なのだ。予想できただろう。こんな事はわかっていたはずだ。普段ならアイツのジャラジャラとしたキーホルダーの音で察せたはずだ。あぁ、今日はなんて最悪な日なんだ。神様がいるなら出てこい、この野郎。


「や、やっぱりそういう関係だったんだね……」


 そこに立つのはやはりと言うべきか、既視感が感じられるような驚きと羞恥でスクールバッグをずり落とした宮守、その人だった。


「宮守!ち、ちが……!」


「いいの!何も言わないで!誰にも言わないし、私は二人の事応援してるから!!そ、それじゃあまた明日ね!!お幸せに!!」


 二人はバッと身体を離すが時すでに遅し。宮守は真っ赤に染めた顔で口早に伝えると、鞄を乱暴に拾い上げ階段を電光石火の如く駆け上がってしまった。


(い、行っちゃった……)


 取り残された二人は呆然とする。

 

「ど、どうするのよ」


「雪代さん、追いかけなよ!」


「私が!?貴女じゃなくて!?」


「え、だって雪代さん告白するんじゃないの!?」


 そこまで凉花すずはなが続けると、じとっとした目付きで雪代は睨む。


「ええ、そうね。どっかの誰かさんに邪魔された挙句に遠回しで振られてしまったけれど」


 ふっ、と自虐気味に続けた雪代の瞳に冷気が宿る。


「待って、待って。ごめんなさい、本当に」


「あら、謝ってくれるの?ありがとう、じゃあまたあの世で会いましょう」


 にこりと柔和に微笑む貴婦人のような雪代。


「わかった!手伝う!手伝うから!」


「手伝う?なにをかしら?」


「宮守と仲良くなれるように、手伝うから!」


 むむ、と考え始める雪代。すっかり調子が戻ってはいるものの、やはり宮守に未練があるのだろう。もう一押しだと言わんばかりに凉花が焦った様子で続けた。


「もう、本当に!夏休みも宮守と仲良くなれるように手伝うし!だから殺さないで!ね!?」


「うーん」


「なんなら付き合うまで雪代さんの為に何でもするし!」


ぴくりと“雪女”が動く。


「…なんでもしてくれるの?」


「する!します!いやさせてください!」


「ふーん、それじゃあ貴女は私の“所有物”なのね」


「所有…え?」


「いいわ、それで許してあげる」


 凉花が理解する暇を与えず、冗談交じりに「所有物」と言ってのけると腰掛けていた階段から立ち上がる。スカートを優雅に手で払い、タイを両手でピッとつまんで綺麗に直した。まだ目元に残っていた悲しみの雫を人差し指で拭うその姿は、同性から見た凉花でも引き込まれてしまうような、そんな完成された美しさであった。


「じゃあ、また明日ね、凉花すずはな


 突然呼ばれた名前に驚き、少し目を見開く。


「な、名前……」


「あら?間違ってたかしら」


「合ってるけど」


 突然名前を呼ばれた事に凉花は柄にもなく気恥ずかしさを覚えた。そんな、もじもじとしている凉花をくすくすと笑いながら雪代は続けた。


真冬まふゆでいいわ」


「え?」


「私の名前よ、そう呼びなさい」


「あ、うん。……真冬」


「あぁ、帰る前にこれ返さなきゃ」


 真冬は思い出したようにスカートからぐちゃぐちゃになった紙を取り出す。受け取った凉花は訝しみながら、それを広げるとすぐにそれが昼に凉花が飛ばした紙飛行機だと理解する。


「貴女、こんなの作ってる暇があったら少しは勉強した方がいいわよ」


「なっ!」


 鼻で笑われ凉花は反論しようとするが、この点数では何を言っても無駄である。真冬はそんな凉花を勝ち誇った顔で見下していた。


「それじゃあもう時間も遅いし、私は先に帰るわね。明日からよろしくね、赤点さん」


 嫌味をいいながら皮肉の笑顔で手を軽く何度か振り、真冬はしっかりとした足取りで行ってしまった。今日はなんという日なんだ、凉花は疲労困憊した様子で天井を仰いだ。明日のことを考えたら、鬱になりそうだ、と凉花はげんなりする。


 こうして凉花は晴れて“雪女”の秘密を知ってしまった。


 そして、それに何故か優越感を感じる自分がいるのが不思議でたまらなかった。その気持ちが妙に納得のいかない凉花は、「弱味を握ったからだ」と一人言い聞かせたのである。


 握り潰した紙飛行機こと前世小テストがくしゃりと音を立てた。まるでそんな凉花を嘲笑うように。

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