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雪女と咲かせる花は百合なのか?  作者: 花井花子
混沌メランコリー
29/34

003

「真冬、風邪ひかないでね」


「大丈夫よ、本降りになる前だったし」


 白い、花のついた刺繍のハンカチで濡れた前髪をゆっくりと拭く。幸い、小雨のうちに学校がついたようで、びしょ濡れとまではいかなかったようだ。


「……すごい雨だね」


 凉花は窓の外に目をやる。グラウンドを池に塗り替えんとばかりに轟々と打ち付ける雨を物憂げに見つめた。遠くでは雷の激しい光が見える。なんだか胸騒ぎがした。


「そうね。でも、今日のマラソンがなくなった良かったわ。隣に座る何処かのお姫様気取りのせいで、酷く気分が悪かったから」


「あらあら、酷い言われようですわぁ」


 凉花と真冬に割り込むように、白色のような色素の薄い金髪をふわりと靡かせて、真冬の顔を悪戯げに覗いた。ナディーヌを取り巻いていたクラスメイトは、異様な状況に訳がわからず、ただざわついていた。

 真冬も朝の侮辱には頭にきているのだろう。普段は無視の一つでも決め込むのだろうが、やり返さずにはいられなかった。


「『御機嫌よう、夏紀』。今日も金魚の糞を侍らして、楽しそうね。ちょーうける」


「あら、私の真似をしても下賎な言葉をつかう貴女には優雅さが足りませんわ。それにしてもクラスメイトの皆さんを『金魚の糞』!!! なんて酷いですの!!!」


 クラスメイトを焚きつけるようなその言葉。しかし、取り巻き達は慄くばかりで、怒りすら顕にしない。本人達も“金魚の糞”について自覚はあるのだろう。


「……ちっ、腰抜け共が」


 取り巻きには聞こえない小さな声で、思わず悪態をついてしまうナディーヌ。


「ふっ、飼い慣らせてないようね。うちの凉花と大違い」


「はっ!?」


 思わず反応する凉花の制服の襟を真冬はグイッと引き寄せる。そして頭を胸元に抱くと、貴婦人が膝に乗せたペルシャを撫でるような仕草で、凉花の茶色に染めた髪を優雅に撫でる。

 貴女の躾のなってない野良猫とは違うの、と真冬は挑発的にナディーヌを見遣ってほくそ笑んだ。


 わなわなと震える拳を握り締め、ナディーヌは苛立ちながら自らの席へ着席した。「ナディ、大丈夫?」「何か言われたの?」「私たちは味方だから!」、口々に発される取り巻きの声。

 今のナディーヌには、その“表面上の心配”が心底気に触ったが、ぐっと堪えて微笑みで返した。


「……いいわ、その減らず口も今日で最後にしてやる」


「ん? ナディちゃんなんか言った?」


「え!? あ、何でもありませんわ。皆さん、心配有り難うございます。私は皆さんのような友人を持てて、とても幸せですわ」


「やーん、ナディちゃんすごいいい子!!」


「可愛い〜!!!」


 周囲にちやほやされながら、誰にも見えぬようにナディーヌは不敵に微笑んだ。




 その笑みを凉花が知ったのは、昼休み前の最後の授業、ナディーヌが楽しみだと言っていた例の“四限目”だった。

 小雨にはなったもののグラウンドは酷くぬかるみ、今朝に真冬が言っていた通り、授業内容は変更。保健体育の授業、凉花が予測した通り、性の授業となった。


 この頃になると、ナディーヌの発言なんてすっかり忘れて、凉花は隣の真冬と手紙のやり取りをして遊んでいた。

 普段は熱い指導で定評の若い体育教師も、保健体育には身が入らないのだろう。小声で話す生徒や、机に突っ伏して動かない生徒を注意するわけでもなく、ただ教科書の内容をなぞるだけの退屈な授業を展開していた。


「あ〜、次のページ開いて。性的思考として――」


「真冬、出たよ“性的”」


「ふふ、やめなさいよ、凉花」


 こそこそと話す二人。昨日のキスなんて忘れて、すっかりいつも通りになった二人。後ろの特等席をいいことに、手紙や小話などやりたい放題だった。

 普段なら、授業中に凉花が真冬に話しかけることはおろか、集中してないだけで猟奇的な瞳で授業への参加を促す真冬も、急遽変更になった保健体育というあまりに身にならない授業には消極的で、すっかり自習気分で授業を聞いていなかった。


「あっはっは!!!!」


「やめてくださいよー!!!」


 生徒達の大きな笑い声で二人ははっと教師がいる壇上をみた。そこには大袈裟なリアクションで大笑いする教師が。


「じゃあ、先生もホモなんすか?」


「そうだぞぉ、男子高校生がな。じゅるり」


「怖えええ!!!!」


「わっはっはっ!」


 涎を拭く仕草をして、質問した生徒に襲いかかるふりをする教師。

 教科書に視線を落とすと、どうやら同性愛の授業内容中に教師が茶化して注目を浴びていたようだった。


「いや、でもな。俺は体育大出身なんだけど、そのとき先輩がゲイの人でさ。襲われそうになったことあるぞ」


「えー、まじ!?」


「先生、イケメンだからなぁ」


「そうなんだよなぁ、先生イケメンだからさ」


「自分で言うなよ〜!」


 どっとまた笑いが起きる。そのやりとりに凉花も少しくすりとした。その時だった。


「先生、レズってどう思います?」


 ナディーヌが少し声を張って、教師に尋ねる。

 教師は少し考えて、無難な回答をした。


「うーん、女の人が好きな女じゃないか?」


「知ってますわよ、そんなこと」


 くすくすと生徒達が笑う。ナディーヌは続けた。


「でも、レズって怖いですわ。わたくし、小学生のころレズの方に襲われかけましたの」


「きゃー! ナディちゃん大丈夫だった!?」


「大丈夫でしたわぁ。でも怖いですわよね、レズって見境ないのですもの」


「そうだよねぇ、私も襲われたらどーしよ!」


「レズなんてそうそういないでしょ」


 取り巻き達が騒ぎ立てて、クラスはレズビアンについての話題一色になった。その様子に不服を申し立てたのは三島凉花。


「ちょっと、ナディ。言い過ぎじゃない?」


 じっとナディーヌを睨む。しかし、ナディーヌはふっとそれを鼻で笑った。


「え? 何をそんなに怒ってらっしゃるの? あ、もしかして三島さん、レズでした? きゃあ、襲われてしまいますわぁ」


「は、はぁ!?」


「皆さん気をつけて、三島さんレズらしいわよ。好きな人もこのクラスにいるらしいわ」


 そのナディーヌの言葉に、クラスメイト達はくすくすと笑い始める。冗談のやりとりと判断したのか、教師までも笑っていた。


――あまりにも、酷すぎじゃないか。


 その状況に凉花は愕然とした。どうして、そんなに同性愛者を馬鹿に出来るのか。どうして、そんなに全員で笑えるのか。酷い、酷すぎる。


 しかし、無理もない。悪意を持ってるのはナディーヌただ一人。他のクラスメイトは誰一人、凉花が本当に同性愛者だとは思っていない。


でも。


「ナディ、やり過ぎだと思う」


 同性愛者の軽口で盛り上がる教室で、凉花は近くのナディーヌに小声で話しかけた。


「あら、何がですか?」


「別に、あんなに盛り立てなくても――」


「偽善者」


 凉花の言葉を遮るようにナディーヌは一言発した。


「貴女だって、ホモセクシャルの話題のとき笑ってらしたわよね? それが、レズビアンのときにだけ怒って。貴女だって、共犯者なのよ」


「そ、それは」


 それは、そうだった。

 ナディーヌの言っている事は正しい。凉花にはこの話題を止める権利なんてないのだ。凉花はそれを、むざむざとナディーヌに思い知らされた。


 そもそも、なんでこんなに躍起になってしまったのだろう。どうしてこんなに頭に血が昇ったのだろう。その理由は考えるまででもなかった。


「真冬……」


 襲われるだの、怖いだの、根も葉もない話で盛り上がるクラスメイトを尻目に、真冬を見た。

 力なく項垂れた、その真冬の姿に胸がとても苦しくなる。無力な自分を、悔いた。


 刹那、真冬が勢いよく席を立つ。そして、椅子を片手で持ち上げて――


 黒板に向かってぶん投げる。


 放物線なんて生温いものじゃない。レーザーのように真冬から射出されたその椅子は、大きな爆発音を立てて黒板に突き刺さる。


 教室にいる全員が真冬を見て、そして息をするのすら、いや、鼓動すらしていなかったのかもしれない。とにかく、真冬に目を奪われた。


 教室を焼き尽くして凍らすような蒼い炎を瞳に爆散させて、殺意の波動に駆られた、鬼のような“雪女”がそこにいた。


「誰が……お……か……」


 呪いの言葉のように、小さく呟く真冬。

 そして、意を決したように吠えた。


「誰がお前らブスを好きになるかぁあああ!!!!! ふざけんじゃっっっねぇえええええええええ!!!!!!!!」


 ドゴォンと空手割りの如く、自分の机を叩き割る。クラス中から悲鳴があがった。


「うるっせぇえええええ!!!!!!!!!!」


 その一言で、支配されたように静まる教室。


「夏紀ぃぃいいっっ!!!!!!!!」


「は、はい!!!!」


 思わず飛び跳ねて返事をするナディーヌ。


「お前なんか大っっっ嫌いじゃあ!!!!!!」


「ひ………」


 凉花は驚愕した。いや、教室にいる全員がぎょっとしただろう。それは、真冬の宣言に対してではない。宣言されたナディーヌが、酷く悲しんだ表情をしたと思えば、その美しい顔をくしゃくしゃにして大泣きし始めたのだ。


「わ、わたくし、あな、あ、貴女が好きなのよ!!!」


「……夏紀」


 は? え? なにが?

 誰も理解出来なかった。真冬の奇行で頭がパンクしているのに、ナディーヌの謎の告白。ある程度、状況を察している凉花や宮守ですら訳が分からないのだ。何も知らないクラスメイトや、勢いに飲まれてる若い教師は、ただ呆然と口を開けていた。


 涙を流しながら告白するナディーヌに、真冬は落ち着きを取り戻したようにナディーヌの肩を両手で抱いた。そして、息を大きく吸い込んで――


「知るかボケぇえええええっっ!!!!!!!!」


「うわぁあぁああああん!!!!!!!!!!!!」


 地獄絵図。

 鞄を手に取り、真冬は扉を荒々しく開けて何処かへ駆け出して行った。誰も止められはしない。


「真冬ちゃんの馬鹿ぁああああっ!!!!!!」


 そして、続けて飛び出したのはナディーヌ。涙を散らしながら、一心不乱に廊下へ駆けていく。


「せ、先生!!」


「な、なんだ、三島!!?」


「つわりが酷いので早退します!!!」


「つ、つわ……!? おい、三島、三島ぁあ!!!?」


 最後に走っていったのは凉花。

 残されたのは頭がパンクした生徒と教師。あとは割れた机に、黒板に突き刺さる椅子のみ。

 この日、“雪女伝説”にまた新たな一ページが刻まれたのは、言うまでもない。

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