001
明くる日。何よりも憂鬱なその曜日。世界に“現実”という名の“拳”を暴力的に振りかざすその曜日。今日くらいは遅刻してもいいよなと、凉花の怠惰な性格により一層磨きをかける月曜日。
おずおずと鳴り響くアラームを止めて、幸せそうに凉花はタオルケットにくるまった。最近はちゃんと学校に行って、しかも授業まで受けているのだ。一日くらいはご褒美があってもいいよね、と。
学校に行くのは普通だし、授業を受けるのも当たり前。しかし、凉花にとってはその行為が高尚なものになるくらいには、当たり前ではなかった。
二度寝は睡眠の種類でも、究極にして至高の睡眠。それに『授業があるのに』という“背徳感”の悪魔的スパイスが加われば、その快楽は増幅する。皆が授業を受けている間、私はタオルケットに包まれて幸せに寝息を立てるのだ。凉花は、駄目人間ぶりを思う存分発揮して再び眠りにつこうとする。
――学校……真冬……
無意識に微睡みの中、真冬を思い出した。なにかが引っかかる。真冬、真冬。頭の中で、白く輝きを放つ美しい彼女を思い浮かべながら繰り返す。
そういえば、土曜日、帰り際になにか言っていたような……
『月曜日から、また迎えにくるわね』
そうそう、迎えにく――
「真冬が迎えにくるんだった!!!!!!」
先ほどとは打って変わって、機敏な動きでその身を起こす。邪魔だとばかりに投げられた罪無き哀れなタオルケットは、はらりと打ちひしがれるようにベッドから落ちた。南無三。
そして凉花の憂鬱な月曜日は、他人より少し遅れてやってきたのである。
◇◇◇
「それにしても、よく起きていたわね」
「まぁ、当然だよね〜」
早朝の教室。凉花は得意げに答えたが、実際には慌てて準備したせいで下着は上下バラバラだし、朝食も食べていないし、極めつけは一限目の教科書が鞄の中に見当たらなかった。
微睡みの中では数十秒に感じられたその時間も、実際のところ二十分少し寝坊してしまう羽目となったのだった。
そんな事を知らない真冬に褒められて、凉花は無駄な見栄を張る。
「あ、ナディ!」
クラスメイトの誰かがそう叫ぶ。教室の入り口では微笑むナディ。一斉にクラスメイトを従えるように囲まれ、笑顔で挨拶に応えた。
「……なんか、ナディよく分かんないなぁ」
「夏紀の事がわかったら苦労しないわよ」
「それもそうか。……お、宮守だ」
ひょいっと手を振って挨拶をすると「おはよー」と眩しい笑みを浮かべて宮守は手を振り返す。
「見なさいよ、五十鈴の屈託のない天使のような笑顔。夏紀の気持ち悪いお面みたいに張り付いた笑顔の百億倍は可愛いわ。ほんっと、人間ってつくづく見る目ないわね」
うっとりと光悦したような蕩ける顔で宮守を見つめる真冬。そこまで言うかと突っ込んでおいたものの、宮守の笑顔はそれくらい可愛かった。
それはもう異性であれば、惚れてしまいそうなほどに。だからこそ、真冬が惚れてしまうのも無理はないと思った。告白を決意するのも。
――告白を、決意するのも?
そういえば、真冬は人間不信に陥ってたと言った。しかも原因が“同性に告白して、それをバラされたせい”である。それなのに、宮守に告白しようとしていた。
なんだ、なにか引っかかる。辻褄が合わない気がする。それほどまでに宮守に惚れたというなら、それまでの話だけれど、接点のない宮守にそこまでどうやって入れ込んだのか。一目惚れにしても、そんな簡単な理由で、“同性に告白”なんて高いハードルを安安と超えられるものなのか?
「ねぇ、真冬――」
「ほら、座った座った。朝のホームルーム始めるぞ〜」
真冬に問いかけようとするのとほぼ同時に、担任が大きな声を張り上げながら教室に入ってくる。その声にかき消されて、真冬には凉花の声は届かなった。
一度聞き逃せば、次の機会はなかなか現れないわけで。
放課後に入り、そんな事はすっかり忘れてしまっていた凉花は、授業に全て出席したという達成感、月曜日という強敵との殴り合いに勝ったという事実に、うきうきと顔を綻ばせていた。
「なにそんな発情した顔してるのよ、変態猫」
そんな凉花の顔を気味悪がって真冬は罵倒を浴びせてくるが、そんなことは「一向に構わん!!」と、顔を綻ばせ続ける。
今日は良い日なのだ。久しぶりに学校で真冬と話せたし、久しぶりに真冬と昼食を共に出来た。……ナディーヌに怪しいくらい動きがないのは少し引っ掛かるけれど、それでも今日はとても良い日だったのだ。
「ねぇ、真冬。どこか寄ってかない? 」
「ええ、いいわよ。五十鈴はどこかしら?」
少し凉花はムッとする。最近の真冬はすぐ五十鈴五十鈴って。今日くらい二人で遊んでくれてもいいじゃないか。そりゃ、確かに宮守は可愛いし、好きな人なんだろうけど。
少しくらい、自分だけを見て欲しい。
ん?
そのおかしな考えに途端に頭を振ると、真冬はぎょっとした目で「なにしてんのよ」と引いていたが、お構いなしと凉花は真冬の手を握って歩き出す。
「え、え、ちょっと。五十鈴は?」
「今日くらいは、二人で遊ぼうよ」
「い、いいけれど、学校で手を繋ぐのは少し恥ずかしいわ」
「誰も見てないよ。廊下に誰もいないじゃん」
「でも……」
「例えば――」
弱気になる真冬を見ると、悪戯したくなるのは凉花の悪い癖。階段の踊り場で、グイッと手をひいて、そのまま密着した真冬の身体を追い込むように壁におしつけた。
「こんな風して、私が真冬にキスしても、誰も見てないよ」
意地悪な笑みを浮かべて、真冬の両手首を拘束する。
その行動に真冬は驚いたのも一瞬、すぐに恥ずかしげに目を伏せて、顔は見る見るうちに茹で上がっていく。
その様子を上から満足気に見下ろす、凉花。なんでこんな事をしてるのかと言えば、事実本人もあまりわからない。
ナディーヌの言葉を借りるなら、追い詰められてる時の真冬は確かに可愛い顔をする。
その大きな瞳を潤わせて、恥ずかしげに長い睫毛を伏せるその表情も、いつもの強気な態度からは想像もつかない小動物じみた態度も、全てが愛おしいくらいに凉花の心をくすぐる。私って、サディストだったりして。
むにゅ。
むにゅ?
突然のその感触。なにが起きたか分からない凉花は目を白黒させる。視界に映るのは、固く目を瞑った真冬の顔。
そして感触を感じるのは、唇。
そして離される真冬の唇。離れる僅かな瞬間、ナディにベッドで悪戯された時の比ではない電流が身体を走る。思わず脚から崩れそうになって、真冬に抱きついた。
――真冬に、キ、キ、キス、され、たっ!?!?
「ざ、ざまぁ見なさいよ。私で遊んだ、仕返しよ」
そんな強気の言葉は、緊張で震える声のせいでイマイチ迫力はない。ないが、生々しさだけはより一層際立ってしまう。
心臓が今にも過労死してしまうんじゃないかという程、生命の唸りをあげる。抱き合っているせいで、真冬にこの鼓動が聞かれるんじゃないかと思う反面、この鼓動は真冬のものなのではないかとも思う。
結局、それはお互いの鼓動なのだろうけど。
階段の踊り場で抱き合った少女達の時間は、まだ動きそうにはない。




