002
「なでぃちゃん、私と付き合ってください」
その日、小学五年生の秋だったわ。
私は夏紀に告白した。初めて、自分は「女の子が好きなんだ」って自覚したのもこの頃だわ。
ほら、私ってこういう性格だし、人付き合いは苦手だったから。小学校の男子なんて乱暴だし、汚いし、意地悪だし。男性不信からの衝動だったのかもしれないけど。
そんな中で、唯一小さい頃からの親友だった夏紀に恋心を抱いてしまったのも、我ながら無理はないなと思う。
今もだけれど、私は、私が一番嫌い。そんな私といつも仲良くしてくれたのは夏紀だった。唯一の友達だった。親友、だった。
夏紀は今でこそああだけれど、小学生の頃は虐められていたの。ほら、あの子ってハーフだけれど、見た目はまんま外国人でしょ? 差別って奴ね。本人はあまり気にしてない様子だったけど。
私も私で、小さな頃はいつも怯えていた。夏紀を助けるどころか、夏紀の後ろにいつも隠れるような卑怯者。
五年生にもなって、気がつくと私達はクラスどころか、学校でも浮いた存在になってたの。
それでも、良かったわ。夏紀といられるなら、私はそんな境遇も甘んじて受け入れられた。
その日ね。放課後の誰いない教室で、私と夏紀はいつものように他愛もない話をしていたの。
今でも覚えてる。放課後の学校の静けさ、教室をオレンジ色に染める綺麗な夕日、夏紀の笑顔。
私はふと言葉に出したの。
「なでぃちゃん以外の皆が消えちゃえばいいのに」
クラスメイトはもちろん、先生にも、親にも、誰にも頼れなかった、いや、頼らなかった私にとって、夏紀はそれくらい特別な存在だった。その感情が“恋心”と錯覚するのには時間もかからなかった。
錯覚。どうなのかしらね、本当に好きだったかもしれないわ。
私の言葉を聞いた夏紀は、嬉しそうに問いかけてきた。
「私のこと好きなの?」って。
私は二つ返事で返したわ。大好きよってね。
そして、夏紀が言ったの。
「わたくしと恋人になりたい?」
心臓が跳ね上がったわ。比喩なんかじゃなくて、本当に痛いくらいに胸が締め付けられた。身体の震えが止まらなかった。でも、私はここしかないと思って勇気を出したの。
「なでぃちゃん、私と付き合ってください」
少し間を開けてから、夏紀は私に微笑みながら質問してきた。
「わたくし以外の誰も要らないって言える? 誰も必要ない? どんな事があっても、離れない?」
首が取れるんじゃないかってほど、私は頷いた。
そしたら、夏紀は「好きよ」って一言。晴れて私達は恋人になれたってわけね。
その日から私の世界は大きく変わった。怖いものが何もなくなったの。お母様やお父様にも最近明るくなったねって言われるほど変わっていった。
状況は好転に好転したわ。いつもムッとして誰も寄せ付けなかったけれど、笑顔の増えた私にクラスメイト達は一人、また一人と話しかけてくれた。
とても楽しかったわ。学校にいったら、みんな私に「おはよう」って声をかけてくれるの。宿題を教えてあげたり、先生の悪口を言い合ったり。
でも、やっぱり夏紀と一緒にいられる時間が一番楽しかったわね。放課後、誰もいなくなった教室で彼女と話すのが何よりも幸せだった。
それは冬休みに入る直前だったわ。私はクラスメイトに初めて遊びに誘われたの。有頂天の気分で夏紀に報告したわ。そしたら夏紀は途端に機嫌が悪くなって――
「嘘つき」
って。あの時の彼女の冷たい表情は今でも忘れられない。恐ろしくて、怖くて、震え上がったわ。
その日からぱったり連絡が取れなくなって、結局冬休みは夏紀にも、誰にも会えずに静かに終わったの。
そして新学期の登校日。クラスメイトに会えること、何よりも夏紀に会えることで私は浮かれ気分で登校した。肌を刺すような寒さも気にならないくらいにへっちゃらだったわ。
でも、現実は違った。
教室に入って、クラスメイト達に挨拶をすると怖いくらいに静まり返ったの。視線が痛い、とはまさにこの事ね。別世界にでも飛ばされたんじゃないかっていうほど、冬休みが明けた、その教室は異質だった。
嫌な予感がしながら自分の机に向かうと、たくさん机に落書きがしてあったわ。『バカ』『きもい』『かえれ』、幼稚な罵倒ばかりよ。
そんな罵倒ばかりの机に、黒々と大きくマジックペンで書かれた文字。
『レズ女』
その時の私は全身が青ざめていたんじゃないかしら。そしたら、くすくすと、教室の中心から聞き慣れた笑い声がしたの。
振り向いたら夏紀だったわ。たくさんのクラスメイトに囲まれて、私を愉しそうに笑うの。誰かが言ったわ。『レズ女は帰れ』って。
それを皮切りに「帰れ」コールの大合唱。悪い夢でも見てるんじゃないかって思った。
その日のそれからはあまり記憶にないわ。ただ気付くと部屋のベッドで寝ていて、心配そうにお母様が見つめていた。初めて、心配をかけたかもしれない。私は気丈に振舞って、翌日からすぐに学校へ通い始めたわ。
でも、事態もどんどん思わしくない方向に進んでいく。日に日に、『レズ女』ってあだ名が学校に広まって、虐めも激化していく。靴や物を隠されたり、机や教科書に落書きなんて当たり前。朝、学校にいったら机が教室の外に出されてたなんてこともあるわ。
私はどんどん焦燥していったわ。
それとは正反対に夏紀は打って変わって、学校の人気者になっていったの。夢なら早く覚めて欲しかった。
ある日、放課後。日課のように私は誰もいない教室で泣きながら、油性ペンで机に落書きされた文字を雑巾で拭いていたら、夏紀が来たの。
「お元気だったかしら?」
悪びれもせず、彼女は挨拶をしてきた。脚が震えて、立っているのも精一杯だったわ。
「なんでこんな事するの」
震える声で私は言った。夏紀はくすくすと笑って、私に言い放ったわ。
「真冬、笑顔の方が可愛わよ」
誰がその笑顔を奪ったのよ。
「答えになってない」
じりじりと近付いてくる夏紀が妙に恐ろしく感じた。そして彼女は手を差し伸べた。
「助けて、あげようか?」
その一言は悪意と畏怖に満ち溢れていて。
私は思わず教室から逃げ出した。
それから、私は不登校になって初めて両親を頼った。「転校させてください」、心の底から懇願した。
そして両親は一つ条件を出してきたわ。その条件を受け入れて、私が小学六年生になるとともに、雪代家はここに引っ越してきた。
……その条件? まぁ、それはまたの機会ね。言うべきときに、ちゃんと言うわ。
ええと、そうそう。引っ越してきてからね。
中学生にもなると私は皆を拒絶した。裏切られるのが、怖かったからね。人間不信に陥ってたわ。
それからというもの、つまらないけれど平穏な毎日だった。家政婦として雇われたゆかりが相談相手になってくれた事も大きいわ。彼女がいなかったら、私はもっと塞ぎ込んでたかもしれないわね。
高校に入学して、“雪女”なんてあだ名もつけられても平気。だって『レズ女』なんて言われるよりマシだし、そのあだ名のお蔭で皆、私を避けてくれた。こっちとしては好都合ね。
……何故か、その、こ、告白してくれる人は多くなったけれど。
ある時、放課後。クラスメイトに呼び出されたの。告白、だったわ。もちろん、お断りした。
でも、その男が言ったの。
「レズ女の癖に生意気だな」
って。よくよくその男子を見ると、小学生のときのクラスメイトだったわ。
……まぁ、後は知ってのとおりよ。カッとなって殴り飛ばしたら、全治数週間の怪我を負わせて、私は停学。きっと、夏紀はその男子生徒から情報を聞き付けて、私を見つけたんだと思う。
ね? 面白くはないでしょ。これで私の話はおしまい。




