001
「ちょっとは手加減してよ……」
両手でこめかみを抑えながら、頭を抱えて項垂れるのは三島凉花。自業自得とばかりに鼻を鳴らして、真冬は蔑んだ。
「それで、どうしてあんな状況になったか説明して頂戴。答えによっては貴女は地獄行きだけれど、嘘をついたら分かってるわよね?」
怒りが収まらない様子の真冬は、腕を組んで、蒼炎を瞳に揺らす。周りの熱を奪い去るような錯覚に、凉花は悪寒を催す。
「わ、わかってるよ。えぇとね……」
朝の事を思い出すように、眉間に皺を寄せて目をつぶった。
「八時くらいかな。突然、ナディが来てさ。で、寝起きで機嫌悪かったから無視してベッドに入ったら、ナディも寝てきて。そして、その……」
言いづらそうに真冬の顔を伺うが、「おら、早く言えよ、本物の地獄をこの世で見せてやろうか」と言わんばかりの形相に小さく悲鳴をあげて、観念したように続ける。
「それで、無視して寝ようと思ったら、なんかうなじ噛まれたり、服の中に手入れられたり……」
「……抵抗はしなかったのかしら?」
「いやぁ、多少はしたけど……絶対構ってやるもんかって意地になったっていうか……面目ないです」
抜が悪そうに苦笑いをして頬を掻く。真冬の怒りは今にも臨界点に達しそうで、凉花はタオルケットを盾の代わりと言わんように握り締めた。
「まるでサカった猫ね。発情変態猫」
「そ、そこまで言う?」
文句あるの?と言わんばかりに、真冬はそのギラギラとした猟奇的な視線を凉花に飛ばす。反射的に「すみません」と謝ってしまう凉花。
そもそも、なんでこんなに真冬は怒っているんだ?
凉花は一抹の疑問を持つ。
正直な所、不順異性交遊、いや、不順同性交遊に対して、真冬がこんなに怒っているとは思わない(交遊もしていないが)
ナディと寝ていたから?
もしかして――
「嫉妬してる?」
ハッと思わず口を抑える。思わず声に出してしまった、その一言。咄嗟に顔の前に手を出して、ぎゅっと目をつぶって、防御体勢を取る。殺される!! 冗談ではなく、凉花は危惧した。
しかし、いくら待てども攻撃がこない。
それどころか、真冬は言葉すらかけてこなかった。
恐る恐る、目を開ける。
ちらりと確認した真冬は、まるで沸騰したように顔を真っ赤に染め上げていた。若干、瞳を潤して、羞恥と怒りが混在した眼差しで凉花を睨む。
「……悪かったわね」
「い、いや、別に、悪くは、ないよ」
まさか本当に嫉妬してたなんて。凉花は予想打にもしない状況に、思わず言葉が途切れ途切れになってしまった。
暫しの静寂。気まずい空気が流れる。
「じゃ、じゃあさ、真冬も私と二人で寝てみる? な、なんちゃって」
あははは、とあまりにも凉花のぎこちない作り笑い。空気が淀むと、自分が何とかしなくてはと思うのは凉花の癖だった。
流石に神経を逆撫でしてしまったか。
俯いてしまった真冬を不安そうに見遣る。真冬はおもむろに口を開いた。
「……する」
「へ!?」
「する!!」
「お、おう!!!」
思わず男らしい返事を。
なんと言うか、いつも振り回されてばかりだが、今日の真冬は特に掴めない。
正直、こっちも聞きたいことは山々だが、どうにも凉花のターンはまだまだ回ってきそうにはなかった。
「ええと……じゃあ、寝るね?」
動きの少ない真冬を見やりつつ、凉花はベッドへ横になる。無地の白い壁が、凉花の視界を単色に塗り替えた。
それに続くように、もぞもぞとぎこち無い動きで、真冬が寄り添ってくる。遠慮がちに距離を少し開けるせいで、真冬の緊張が伝わってくる。
そこまでして私と寝たいものなのか?
少なくとも一友人と寝たいなんて考えは、凉花には持ち合わせていなかった。
「頭。少し上げて」
不意にかけられた言葉に、凉花は素直に応じる。
凉花の頭の下には腕枕が敷かれた。至り尽せりである。気恥しさと申し訳ないなさが混在する気持ちで、その腕に静かに頭を降ろした。
気まずい静寂が、二人を包む。
ナディーヌの時とは、明らかに違う気分の高揚。僅かな困惑も、真冬に伝染してしまいそうで、無意識に凉花は息を飲んだ。
「……申し訳ないわね」
静寂を絶ったのは真冬だった。
「なにが?」
緊張を悟られぬよう、平然を装って真冬が応える。
「私って、狡い女だわ。本当はこうしたかったのに、凉花の優しさを利用しちゃうの。本当の私は、嫉妬深くて、卑怯で、弱い」
幻滅よね、と真冬は続けた。淡く、切なく、小さなその声は、どこか真冬が初雪のように消えてしまうようで。胸が締め付けられた。
「ねぇ、真冬」
凉花は真冬の方に身体を向けた。目の前には驚く真冬の顔。吐息さえ生々しく感じられてしまう、一歩踏み出せば、唇だって触れ合ってしまいそうなその距離。
きっと私は林檎よりも、マグマよりも、真っ赤に顔を染めているんだろう。凉花は、恥ずかしさを押し込める。
「真冬の事がもっと知りたい。昔のことも、今のことも。真冬の全部が知りたい」
意を決したように、想いを伝えた。今まで避けていた事。怒られるかもしれない、嫌われるかもしれない、そんな事は今はどうでもよかった。
――真冬を知りたい。
距離を置かれたら、置かれる程ふつふつと湧くその感情。自分自身ですら理解し難い、初めてのその感情。初めて真冬に包み隠さずぶつけた、その感情。
真っ直ぐと真冬を見つめる。
「……手、繋いでいいかしら」
その言葉に凉花は頷くと真冬の手を優しく包む。ひんやりとしていて、繊細で、柔らかい、真冬の手。思わず笑みが零れた。
「ふふ、何笑ってるのよ」
「へへへ、なんか久しぶりだなぁって思って」
額を合わせて、二人はくすくすと笑う。今まで凍っていた想いが、雪解けのように溶けていく。
「……いつかはね、話したかったんだけれど。何も知らない凉花に八つ当たりばかりしてて、ごめんなさい」
「ううん、大丈夫だよ。まぁ、話しかけても無視されるのは流石に堪えたけどね」
ごめんね、と眉を潜めながらも真冬は笑った。
久しぶりに見た真冬の笑顔は、やっぱり特別に好きな笑顔だった。
「昔のことなんて、ゆかり以外には初めて話すわ」
確かに真冬は頑なに自分の事を語ろうとはしなかった。それどころか、隠していた。
真冬の秘密。凉花はきゅっと口を結ぶ。
「面白いことなんて一つないわよ」
そう言うと、真冬は過去を思い耽るように伏し目がちになる。
「そうね、ナディーヌと出会ったのは本当に小さい頃。確か、小学校に上がる前――」
そして明かされる、秘密の過去。




