001
最近、真冬に避けられている気がする。
昼休み前の退屈な授業を受けながら、凉花は真冬の方へちらりと視線を送る。彼女は勤勉とばかりにノートにペンをすらすらと走らせていた。その流動的な動きと、細い指に凉花は見とれてしまう程だ。
理由は幾つか心当たりはあった。
真冬が凉花を避け始めたのは、ナディーヌと二週間前の昼休みに話し合ったあの時から。それは顕著過ぎて、普段鈍感な凉花も容易に察しはついた。
原因の主な部分はきっとナディだ、凉花は真冬の隣に座るナディーヌを見遣る。その視線に気づいたナディーヌは、いつものような愛くるしくも美しい微笑みを振りまいて、小さく手を振ってきた。
そしてナディーヌは口角を上げるのを我慢しながら、真冬を挑発するように見る。
真冬のペンが止まったが、それも一瞬。何事も無かったように教科書と睨み合う。
これだ。凉花は頭が重くなる思いで小さく溜め息を吐いた。
半月前に昼休みを共にしたあの日から、やたらとナディーヌが自分に付き纏ってくるようになった。
初めこそはスキンシップの激しいタイプなのかなと思っていたが三日もすれば気づいた。
どうにも自分に付き纏ったり、仲良い素振りをすることで真冬の反応を愉しんでいるらしい。
休み時間、真冬に話しかけようとするとナディーヌが阻むように間に入ってくる。そうするといつも真冬は機嫌が悪そうに教室を出ていってしまう。
宮守もその妨害にあっているらしい。とにかく、ナディーヌは真冬を孤立させようと目論んでいた。
一度、ナディーヌ自身にその事を辞めるように伝えたが、何を言っているかわからないと言った様子で恍けられてしまった。「ただ貴女と仲良くしたいだけなのに……」と、まるで凉花が悪者になってしまったのには凉花自身も参ってしまった。
証拠がない以上、強くは言えない。無念。
しかし、真冬も分かっているはずだと思うが。
何度かナディーヌの目を掻い潜り、真冬に話しかけても無視されるばかり。自分が何かやったかと言えば、ナディーヌと仲良く(仲良くは無いと思うが)している事が原因だろうとは思う。
そんなこんなで奮闘も虚しく、半月程真冬とは疎遠になってしまっていた。
ナディーヌはと言うと、たった半月でクラスカーストの最上位どころか、学内で一番の人望の持ち主として君臨してしまったから恐ろしいものだ。
数日でファンクラブが発足したかと思うと、校内の男子生徒はほぼ入会、噂を聞きつけた他校生まで巻き込み、会員数は有に500は超えると言う。
同級生、上級生問わず同性にも絶大な人気を誇り、もはや学校全体がナディーヌ教の信者と化していた。
不意に前の生徒が立ち上がる。それに続くように続々とクラスメイト達が立ち始めた。
どうやら、ぼんやり考え事をしている内に授業が終わったようだ。
と、なれば
「三島さん、お昼食べましょ?」
るんるんとナディーヌが駆け寄ってきた。いつものパターン。そして、真冬が鞄を持って何処かへ行く。いつものパターンだ。「また、昼休みはあいつかよ」、クラスメイト達から送られる妬みの視線。そう、いつもの……
凉花はうんざりしたように溜め息を吐く。この頃は溜め息で呼吸しているんじゃないかと思う程だ。
「ねぇ、ナディ。たまに他の人とご飯食べたら?」
「あら、わたくしと食べたくないのかしら?」
その一言にぎろりと睨みつけて来るような視線を方々から感じる。
「……はぁ、食べますよ」
その一言に何処かから「チッ」と苛立つような舌打ちが聞こえた。一体、私はどうしたらいいんだ。凉花がクラスから孤立するのも時間の問題ではないかもしれない。
◇◇◇
それは休日の出来事だった。
早朝、と言っても凉花にとっての早朝。時刻は八時を少し過ぎたとき。
「えぇ……何……」
寝起きには騒々しいくらいのインターホンで目を覚ました。急かすようにもう一度インターホンがけたたましく鳴る。
「あー……いま出ますよっと」
寝癖を指で梳かしながら、のろのろと寝惚け眼で限界へと這っていくように歩む。
今日、宅配便でも頼んだっけか。定まらない思考で玄関の扉を開けた。
「ご機嫌よう、三島さん」
扉を閉める。
なんだこのデジャヴは。夢か。そうだ。よし、もう一度ベッドで寝よう。おやすみ世界。
がちゃりと扉が向こう側から押される。
「親友が来たのに、その態度はいくら何でも酷すぎはしませんこと?」
「……なにしにきたの」
目に眩しいくらいプラチナの髪から光の粒子を飛ばして、ナディーヌは微笑んだ。
「親愛なる三島さんに会いにきましたわ」
「そっか、ありがと。じゃあ、月曜日学校で」
扉を押して、ナディーヌを締め出そうとする。
ナディーヌは柄にもなく慌てて、玄関にするりとその細い身体を捻じ込んだ。
「ちょ、ちょっと、あまりにも失礼でございませんこと?」
「私の睡眠を妨害した罪は重い」
不機嫌そうに凉花は自室のベッドへ、荒々しく戻っていく。ナディーヌは玄関に靴を綺麗に揃えると、その後をとてとてと追った。
そんなナディーヌを無視して凉花はタオルケットをかぶり直して夢の世界への帰還を試みる。
「……三島さん、親友が遊びにきてますわよ?」
「親友になった覚えはありませーん」
目を瞑り、ナディーヌの存在を頭から消そうとする。
ぎしりとベッドが軋んだ。ナディーヌが座ったのか。そんな事はどうでもいいと枕へ頭を沈める。
タオルケットが少し捲られたかと思うと、温かい体温を背中に感じた。
「……なにしてんの」
「一緒に寝ようと思いまして」
うなじに吐息が掛かって少しくすぐったい。
今月何百回目か分からない溜め息をついた。
「もういいや……邪魔しないでね。起きたら構ってあげるから」
「ええ、もちろんですわ」
大きく息を吸って、落ち着く。
すぐに睡魔が迎えに来る。これだ、この感覚が堪らない。凉花は睡魔の虜になる様に、微睡みの世界へ落ちつつあった。
不意に腹部に手を置かれる。ムッとしたが、ここで構ってしまってはナディの思う壷と凉花は無視を決め込む。
しかし、その手はそれだけでは収まらなかった。
ジリジリと、ゆっくり、牛歩より遅く、下半身の方へ、一センチ、いや、一ミリずつ下ろされていく。
何故か心臓が高鳴る。いやらしいその手付きがどうしても気になって寝付けない。
気が付くとナディーヌは凉花の背に密着していた。彼女の吐息が艶めかしく耳を愛撫する。
手にばかり気を取られ、いつ身体を寄せてきたのか凉花は全く気づかなかった。
「ナディ」
「はい?」
「手、邪魔」
「ああ、申し訳ないですわ」
そう言ってナディーヌは、腹部に置いてる手と逆の手を凉花の頭の下へ無理矢理差し込んだ。
「は?」
思わずぱちりと目を開ける。所謂、腕枕をされてしまった。目の前には汚れの知らない、彫刻品のような白い腕と手がある。
「なにか?」
「こ、こっちの手じゃなくてお腹にある方の手が邪魔なんだけど」
「ああ、これは失礼。まぁ、お気になさらず。それより寝ないのですか? それなら、わたくしとお話しませんこと?」
悪びれもせず言ってのける。
もはや怒る気にもなれない。
「ほんっっっとに寝るから。次、邪魔したら追い出すからね」
「なら、早く寝たらいいのに」
無視だ、無視。ナディはこうやって人をおちょくって遊んでるだけ。寝る。絶対に夕方まで寝てやる。
凉花は固く目をもう一度瞑る。これから始まるナディーヌの攻撃が悪化を極めるとは、知らずに。




