003
「嘘……?」
思わずぽつりと漏らした。なんとも間抜けな一言であった。
そんな凉花にナディーヌは眉を曇らす。
「あの子の事、何も知らないのね」
可哀想ね、と言わんばかりに。同情する様な、何とも言えない目で憐れんだ。ナディーヌは続ける。
「真冬と知り合ってどれくらいなの?」
「……一ヶ月と少しくらいだけど」
「あぁ、それなら仕方ないわね。一ヶ月くらいで友情なんてものが築ける程、人間って簡単な生き物じゃないもの」
挑発等ではなく、それが世界の真理、常識としてナディーヌは事実を凉花に押し付ける。
心が騒がしい。凉花は胸を抑える。
「上辺ではいくらでも仲良くなれるわ。でも、心から信頼するのには、時間がかかるもの。しょうがないわ、三島さんと真冬ではその程度の関係なの」
ナディーヌは止まらない。
「真冬の好きなものは言える? 嫌いな食べ物は? 家族関係は? 趣味は? 小さい頃の話は?」
何も分からなかった。言葉が出てこない。
突きつけられていく現実に、真冬と過ごした一ヶ月が儚くも霞んでいく。
そんな様子の凉花を、夏の空より高く、深海よりも深い青色の悲壮染みた目でナディーヌは見下す。一つため息を吐いた。
「……申し訳ないけれど、わたくしは全部言えますわ。そうね、もっと言うと、あの子と会っていない四年間。彼女の四年間も言い当てれる自信だってありますわ」
最後に凉花の心にナイフを突き刺す。
「だって、貴女と違って、わたくしは真冬の事を知っていますもの。恋人であり、友達だから」
ナディーヌはにこりと微笑んだ。「さぁ、お昼にしましょう」と、今までの話がなかったように凉花の隣にお淑やかに腰掛けた。
凉花は頭が真っ白になる。真冬が虚空となって、実体を失ってくような感覚に陥った。
――真冬の事を、何も知らない。
ナディーヌの言葉を反復する。
何も知らない。真冬の事は知ろうとはした。現に夏休み中に真冬自身の事を何回も聞いた。……なにも教えてはくれなかったけど。
それは信頼関係が築けてなかったからだとしたら、一人で盛り上がってた私は何なのだろうか。
一方的に仲良くなったつもりだったのか。わからなくなってきた。
「……ねぇ、ナディ」
ぽつりと呟く。
「何かしら、三島さん」
赤くなった目でナディーヌを見つめる。
「真冬のこと、教えて」
恥を偲んで教えを請う。
真冬のことが知りたい。その思いは確かだった。
仲良くないならそれで結構と、凉花は決意したようにナディーヌに向き合う。
意外な言葉に、些かナディーヌは呆気に取られる。
数秒の静寂後、くすくすと彼女は笑い始めた。
「……じゃあ、一つ提案がありますわ」
「なに?」
「わたくしと、お友達になって頂ける?」
「うん」
即答した。
「あら、いいのですか? わたくしの事が嫌いじゃなくて?」
「嫌いだよ。人を馬鹿にするような態度も、同情するような目付きも、真冬のことを追い詰めるような事をするのも」
「別に追い詰めてるわけではないですわ」
「でも、真冬のことを知りたいから。だからナディの事も知りたい」
「わたくしの事も、ですか?」
「うん。だから、友達になろう」
睨みつける程、真剣な面持ちで凉花は言い放った。
その様子にナディーヌは「ぷっ」と吹き出した。
「三島さん、『友達になろう』なんて言うような顔じゃないですわよ」
「え、あっ、ご、ごめん」
「いいわ、わたくしも貴女の事が知りたくなってきた」
白魚のような白く、細い指を差し向ける。
「え?」
「仲直りと親愛の握手、しましょう?」
ナディーヌは美しく微笑む。凉花は決まりが悪そうに照れ笑いすると、おずおずとその手を握った。
「はい、仲直り」
「うん……それで! 真冬のこと!」
気持ちを新たに、食い気味で食らいつく。
「あら、わたくしの前に真冬のこと?」
「あ、ごめん……ええと、なんで転校してきたの?」
「真冬のことが好きだからよ」
「はぁ!?」
思わず声を荒らげる。
「まぁ、嘘よ」
「びっくりさせないでよ……」
「まぁ、好きは好きよ? あの子って虐めたくなるくらい可愛い顔をするの。ゾクゾクするわぁ」
ナディーヌは夢の世界に陶酔するようなうっとりとした顔を見せる。
うんざりしたように凉花は促す。
「……で、なんで転校してきたの」
「うーん、秘密」
「えぇ……?」
「じゃあ、次はわたくしの番ね。貴女は真冬のこと好きなの?」
「へっ!?」
「好きなの?」
「いや、まぁ。うん、仲良くなりたいよ」
「それは友達として?」
「も、もちろん」
「じゃあ、わたくしが真冬のこと貰っていいのね」
「貰う?」
「恋人として、真冬の側にいていいのね?」
何だろうか。心に靄がかかる。
その感情が分からず、凉花は答えに困った。
「ふふふ、はい。おしまい」
「ま、待って! 最後に真冬のこと何か教えてよ」
強制的に質問を終わらそうとするナディーヌに慌てて静止をかける。凉花にとってはこっちが本題なのだ。
「うーん、そうねぇ。じゃあ一つだけ」
そしてナディーヌは悪戯っぽく笑いながら、凉花に告げる。
「小学六年生の時、付き合いたいって言ってきたのは真冬の方からよ」
頭痛が走るくらい衝撃的な一言だった。
「雪ちゃん、結局戻ってこなかったね」
放課後。ナディーヌを取り巻いて皆出ていってしまった教室。ぽつんと寂しく残された宮守は、上の空の凉花に肩を落として呟いた。
「……うん」
心ここにあらず。凉花は真冬の席をぼんやりと頬杖を突きながら見つめる。
「ナディちゃんと昼休み何話したの?」
「……うーん」
「おーい」
反応が乏しい凉花の目の前で手を何度か振る。
しかし、相変わらず凉花は何処かに旅立ったままだった。
「はぁ、駄目だこりゃ」
呆れた様に宮守がため息をつく。
当分、動かなさそうな凉花に呆れつつ、宮守は窓の外を眺めた。何時もより真っ赤な夕日が、怪しくグラウンドを照らしていた。




