003
「ねぇ、君達何歳? 高校生?」
タンクトップを着たガタイのいい男が、ビールケースに腰をかけている凉花の目の前にしゃがみこみながら質問する。
微かに臭うアルコール臭と煙草臭さが、気持ち悪く二人の鼻についた。
「いや、あの、はい」
「まじかよ、JK!!」
「ぎゃははは! 犯罪じゃね!?」
「お兄さん達と遊ばね? ここで休むより良いとこ知ってんだわ」
「ラブホとかな」
「ばっか、おめー言うなや!!」
下賎な笑いが狭い路地裏に響き渡る。
体格のいい三人に囲まれ、凉花は恐怖に支配されていた。
「こんなとこにいるより、楽しいことしよーぜ」
ぴきっ
「うーわ、浴衣の子まじマブいっ」
真冬の浴衣の襟を触る男。
ぴきぴきっ
「てか、君も可愛いよね〜どこ高?」
凉花に顔を近付ける。
ぴきぴきぴきっ
「ま、とりあえず行こーや。ぎゃははは!」
凉花の肩をガシッと掴んだ。
ぷつん。
凉花が糸のような物が切れる“雰囲気”を感じた。
凉花の肩に掛かる手が振り払われる。
「私の凉花に汚い手で触らないで頂戴」
真冬が平手打ち一閃。凉花の肩に置いた、男のゴツゴツとした手を振り払ったようだ。
「はぁ?」
「痛ってぇ……」
「俺達優しいからって、調子乗ったか?」
真冬の浴衣をグイッと引っ張る男。
「ちょ、ま、真冬……!!」
脚が竦んで動けない自分が情けない。
真冬は臆すること無く、男達を睨んでいた。
その瞳には畏怖の権化である蒼き絶対零度の炎を宿して。
「凉花、少し離れてて」
「おい、てめぇ、無視しんてんじゃ」
真冬は野球の投手のように右腕を大きく引くと、弾けるように拳を男の顔面に振り抜いた。
炸裂音染みた音が路地裏に響き渡る。
男が“重さ”という概念を失ったように、白目を剥きながら後ろへ吹き飛んでいった。
「いいわ、遊んであげる。次はどなたかしら?」
浴衣の振袖を肩まで手繰る。白く美しい肩から、彫刻品のような綺麗な腕を露出させた。
「おい、ふざけんなよ」
怒りに狂った男が、見境なく渾身の拳を真冬の顔に向かって振り抜いた。
しかし、真冬は片手で軽々とそれを否す。
そのまま、左手で男の顔面を掴んで、固いコンクリートの地面へ勢いよく叩きつけた。鈍い嫌な音が、凉花の耳にこびりつく。
「あら、ごめんなさい。少し強過ぎたかしら?」
叩きつけられた男は、漫画のようにびくりと身体を痙攣させる。どうやら失神したようだ。
「あとは貴方ね」
「ぎゃははは! 女の癖にやるじゃ〜ん。お前ら油断しすぎだっつーの」
「さっきから貴方の笑い方、汚くて耳障りなのよ」
「ぎゃははは! ……っおらぁ!!!!」
「っ!!!!」
汚い笑い声をあげる男は手元にあったビールケースを真冬に投げつける。
幸いにも勢いこそは腕力の問題で強くはないが、腕で防いだものの真冬は痛みに顔を歪めた。
「ぎゃははは!!!!」
喧嘩キックのような、正面の真冬に向かって重い蹴りを繰り出す。真冬は後ろの壁に背中を勢いよく叩きつけられた。
「なぁ、さっきの勢いどうしたよ!?」
男は真冬の襟を乱暴に掴むと、壁へ強引に押し付けた。
「はぁ、全く」
「ぎゃははは!!!! 降参か?」
「……少し、遅いのよ」
「あ?」
「申し訳ありません、お嬢様」
男は後ろを振り向く。それとほぼ同時。横っ腹に鈍痛。まるで車に引かれたようなその痛みの重量。
「え、な、なんで……」
凉花は驚いた。
一体いつの間にゆかりがここに居たのか。
ゆかりが常人には目にも捉えきれないブローを男の腹に入れたと思うと、男は痛みに耐えきれず地面へ無様に跪いた。
「もう少しで私は汚い手で触らられるところだったわ」
「申し訳ありません。お嬢様は外へと。花火がとても綺麗ですよ。河川敷で宮守様がお待ちになっております」
「ええ、そうさせてもらうわ。行くわよ、凉花」
「え、で、でも、ゆかりさんが……」
「わたくしは大丈夫です。お嬢様方へはとてもじゃないですが、見せられないので」
凉花の知っているゆかりではなかった。にこりとゆかりは微笑むと、男の髪を引っ張りあげて無理矢理立たせる。
「ひ、ひぃぃ!!!!!!」
男は狂ったように怯え、ゆかりの頬を殴った。
「ありがとうございます、それでは正当防衛を始めますね」
一発、腹へ拳をめり込ませる。
一発、寸分も狂わず同じ所へ。
一発、またも同じ所へ。
気絶させないように、丁寧に威力を管理した精密な拳が男の内蔵を蝕むように痛みつける。
「ご、ごめ、ごめんなさっ」
「申し訳ありません、お嬢様を守るのもわたくしの“義務”なので。貴方を気絶させて、お嬢様らの危険を排除しなくては」
またも同じ箇所へ鋭く鈍重な一撃。
しかし、それは致命傷を与えないように。
生きながら殺す。半殺しという言葉がしっくりくる。
「ね、大丈夫でしょ」
「いや、でも、ゆかりさん……」
「彼女は私の師匠なの」
「師匠?」
思わず聞き返す。
「護身術のね」
「護身術って……」
護身術と言うのにはあまりにも暴力的過ぎる。
「サディストなのよ、彼女」
依然として攻撃は止まない。
目をひん剥きながら今にも気絶しそうな男。
狂気の笑みを浮かべて男に制裁を加えるゆかり。
「さ、行きましょ。あいつらも女子高生に手をかけようとしたのだもの。自業自得よ」
「う、うん」
男の泣き声を背に、路地の外へと歩き始める。
「真冬、あの……助けれなくて、ごめん」
凉花は河川敷に向かう途中、押し潰されそうな声で小さく謝罪した。
「真冬が危ない時、脚が竦んで動けなくて……」
「ふふふ、別に気にする必要はないわ」
真冬はそんな凉花が面白くて、思わず笑ってしまった。
「貴女にはたくさん助けられてるわ」
「え?」
「それに凉花、貴女は私のものなの。誰にも触らせはさせないわ」
至って真面目に真冬が言い切った。
「『私の』って」
恥ずかしさがこみ上げてくる。
それと同時に思わず口元が緩む。
「あら、違ったかしら?」
悪戯っぽく真冬が微笑んだ。
「……違わないかも」
「ふふ。好きよ、凉花」
「わ、私も、好きだよ」
胸が苦しくも心地よく締め付けられた。
真冬の手を握る。いつも通り彼女の手は冷たかった。
「手が冷たい人は、心が温かいんだって」
「あら? じゃあ、貴女は冷酷なの?」
「はぁ!?」
「ふふふ、嘘よ。あっ」
真冬が空を見上げた。
オレンジ色の小さな火の玉が、ひゅるひゅると声を上げながら空を駆け上がる。
一瞬、その光が見えなくなると、次の瞬間には空に大きな大輪の花を咲かせた。
その光は夏の夜空を惜しむように、儚い閃光を残して消えていく。
「……綺麗」
「うん」
二人は火花が消えても、吸い込まれそうな夜空を見上げていた。
「おーい! 凉花ちゃ〜ん!」
そんな空気をぶち壊すように綿飴をブンブン振りながら宮守が走ってきた。
「お、宮守」
「会えた良かったぁ〜。こっち来て、こっち!」
宮守が真冬の腕を掴んで、また走り出す。
「え!? ちょっと宮守さん!?」
「雪ちゃんのお友達が待ってるよ!」
「真冬の友達?」
人混みを掻き分けると、その場所にはあまりにも異質な少女が立っていた。
「あ、駅で会った人……」
「ご機嫌よう。お元気だったかしら、雪代さん」
「あっ……えっ……な、なんで……」
少女がゆっくりと真冬に近づく。
「え、真冬どうしたの?」
最初に異変に気付いたのは凉花だった。
真冬は火打ち石のように歯をがちがちと震わせ、その白い顔を真っ青に染めていた。握る手は硬直したように硬くなっている。
「ねぇ、雪代さん、『お元気だったかしら』?」
「や、やめて……」
「相変わらず綺麗なお顔ですこと。『四年前から変わっていないわね』」
「ご、ごめんなさ……」
「あら、どうして謝るのですか? 雪代さんったら、面白いですわ」
白いシルクのような金髪を靡かせて、ゴシック調のドレスを着た彼女が真冬の顔を覗く。
「ちょっと真冬、大丈夫?」
「貴女、雪代さんと仲が宜しいのね」
「え、あ、うん……」
「そう、とっても良いことだわ。少ししゃがんで下さる?」
「へ?」
訳が分からないが、凉花は少し屈む。
刹那、小さな顔が近づき、頬に口づけをされる。
「っ!?!?」
「わたくしとも仲良くして下さいな。これは親愛のキスですわ」
「うぇ!?」
思わず後ずさりをする。別に嫌悪感はないが、驚きのあまり反射的に逃げてしまった。
得体の知れない恐怖が込み上げてくる。
「雪代さん、この方は貴女の“大切なもの”?」
「ち、ちが、ちが……」
真冬は小さく何度も首を横に降る。
凉花はこんな動揺をする真冬は初めてだった。
「あら、違うの? じゃあ、“貰っていい”のね?」
「い、いや、いやだ……嫌だ!!!」
「わっ!?」
真冬は凉花と宮守の手を持って、人混みへと駆け出した。凉花と宮守は何が起きたのか、全く理解出来ずに、そして抵抗を出来なかった。
ただ真冬が怯えているという事実だけは、悲痛にもはっきりと理解出来る。
取り残された金髪の少女は妖しく笑った。
「また、逃げるのですね」
笑いを我慢出来ないという様子で口を抑える。
「虐めたくなるのよね、あの子の顔って」
それは波乱の夏を感じさせるような、熱帯夜の出来事であった。彼女の独り言が空に溶ける。
「もう、逃がしませんわ、雪代真冬……」




