001
凉花の気分は浮かなかった。
真冬と宮守がキスしたあの日から。どうにも真冬の様子が少しおかしい気がした。
具体的に何がおかしいと聞かれたら、それは凉花もはっきりとは答えられない。しかし、“違和感”だけははっきりと分かる。
いや、一つだけ顕著な例はあったか。真冬があの一夜から宮守を『五十鈴』と名前で呼ぶようになったこと。それにどうやら最近は二人で遊ぶようにもなったらしい。
寂しいと言ったら、寂しいのかもしれない。半月以上ほぼ毎日一緒にいた友人の連絡が、突然少なくなったのだから。
「なんか、懐いてた犬が他人に持ってかれた感じ」
虚しい独り言が、部屋に寂しく溶ける。
友達に独占欲なんて良くないことなんだろうけど、凉花は少し宮守に嫉妬した。
(まぁ、真冬にとって宮守は好きな人だもんね。最初から私は宮守とくっつける為にいた存在なんだから、仕方が無いけどさぁ)
そうは思いつつも、この鈍重な気持ちはまったく晴れることは無かった。
おもむろに携帯を見てみる。最後に真冬から連絡があったのは三日前だった。
「あと夏休みが終わるまで五日か」
憂鬱な昼下がり。携帯を握りしめながら、気持ちは淡く揺れ動いていた。
唐突に携帯の画面が切り替わる。
故障か?と思ったのも束の間、それは着信が原因だと直ぐにわかった。
画面には大きく『雪代 真冬』と四文字。
あまりにもタイムリー過ぎる着信に少し怖くなる程だ。
「も、もしもし!?」
『……貴女、昼下がりでも元気ね。今時の若者はバイタリティが足りないとか揶揄されているけれども、貴女だけは心配なさそうね』
「余計なお世話だ!」
そうは言ったものの、全く不愉快にならないどころか、先程までの陰鬱な感情が晴天のようにスッキリと消え去る不思議な感覚。
一言で言うなれば、真冬から連絡があって嬉しかった。
「で、どうしたの?」
『凉花、今日この後暇よね?』
「まぁ、うん」
『夏祭り、行かない?』
「え、夏祭り?」
『そう。今日、隣町であるらしいのよ。良かったら、一緒にどうかしら?』
「い、行く! すぐ準備するねっ」
『焦らないでいいわよ。駅前に六時集合でどうかしら?』
「わかった!」
それじゃあね、と真冬から電話を切った。
凉花はたかが三日ぶりと言えども、久々に会うように感じる真冬にときめきのような何かを感じていた。
浮かれ気分で、タンスを漁る。
「……真冬、浴衣でくるのかな」
きっと真冬なら似合うのだろうな、と思いつつも自分の浴衣姿を想像する。
「いや、ないない。そもそも浴衣持ってないし」
祭りはどんな服装で行けばいいんだろうか。
彼氏と初デートをする少女のように、凉花はあれよこれよと服をタンスから散らかしていくのであった。
◇◇◇
「お待たせ〜……ってあれ」
「お久しぶりだね、凉花ちゃん」
「やっほ〜」
前回の反省を生かして五分前に駅に着いた凉花。
そこには真冬の他に二人の影が。宮守五十鈴と森ゆかりである。
「あ、お久しぶりです。宮守も久しぶり、かな」
なんだ二人きりじゃないのか、少し気落ちする。
それと同時に少し拗ねてしまいそうな、幼稚な感情がひたひたと心に広がっていくのを感じた。
「凉花、申し訳ないわ。一応、保護者としてゆかりも着いてくるって言うから」
「ごめんね、凉花ちゃん。みんなの邪魔しないようにはするから」
申し訳なさそうに手を合わせるゆかり。
全然大丈夫ですよ、と慌てて凉花は手を振った。
きっと真冬の両親が頼んだのだろうなと、なんとなく察しはついた。
ゆかりはさして凉花にとって問題はなかった。
ただ宮守。宮守かぁ、と少し肩を落とす。
別に宮守を嫌いになったわけでも、苦手になったわけでもない。それは確かだ。揺るぎない。
でも今は会いたくなかった、そんな気持ちが出てきてしまうのも確かだった。
現に今、宮守は真冬に寄り添うように何か談笑しているし、それを見ると胸が少し苦しくなった。
「それにしても雪ちゃんと森さん、ほんと浴衣似合ってるよねぇ。私も浴衣着てくればよかったかな?」
誰が言う訳でもなく駅のホームに向かう一行。
宮守が目を輝かせながら、二人の艶やかな浴衣姿をしきりに褒めていた。
「確かに。ゆかりさん緑色が凄い似合います!」
「なんか照れるなぁ。この年齢じゃ、ちょっと派手すぎないかな?」
「そんな事無いわ。ゆかりは美人だもの」
照れるように頬を掻くゆかり。本人こそは年齢を気にしているものの、誰がどう見ても大学生くらいにしか見えない若さが彼女にはあった。
「真冬も、綺麗だよ」
真冬は凉花の思わぬ一言に目をぱちぱちさせると、着ている藍色の古風な浴衣に恥ずかしげに視線を落とした。
「あ、ありがとう」
「わぁ、雪ちゃん照れてる可愛い〜!」
「もう、五十鈴!」
真冬の頬を宮守が茶化して指で突つくと、そのままじゃれ合って凉花とゆかりを置いてけぼりにして行った。
本来は宮守のポジションは自分だったのに、浅ましい妬みがふつふつと湧いてくる。
「……私って、こんな嫌な女だっけ」
思わずぽつりと呟いた。
不意に後ろから貫かれるような視線を感じる。
「へぇ〜」
(……また、あの目だ!)
振り向くとゆかりがにやにやと凉花を見つめていた。凉花が苦手な、全てを見通すような怖い瞳で。
「ゆかりさん、人の心を読むの辞めて下さい」
「読んでないわよ? 別に凉花ちゃんが醜い嫉妬心を宮守ちゃんに抱いてるとか、全然思ってない」
やっぱりこの人苦手だ!、凉花が困り顔で後ずさりをする。
「まぁ、でも悩むことは無いよ」
「え?」
「恋する乙女は、醜いくらいが丁度いいのよ」
小悪魔のような笑みを浮かべると、ぽんっと凉花の肩を叩いて、真冬と宮守の後を追う。
「い、いや、恋って……」
「あら、恋じゃないなら、その感情はなんなの?」
「それは……」
それは凉花の方が聞きたかった。恋、のはずはない。ただ友達が取られて、悔しいだけ。
しかし、凉花の中ではそれも釈然としない。
「まぁ、若いうちは悩むといいよ。でもアドバイスするなら『命短し、恋せよ乙女』って所かな」
「なんで、そんな楽しそうなんですかゆかりさん……」
「一言で言うなら、『面白い』から?」
あはは、と笑って凉花を置いてけぼりにする。
(絶対、ゆかりさんはドSだ……)
ゆかりさんは天敵だ、一人悪態を付きながら三人の後をとぼとぼ歩く凉花であった。
「あの」
「え?」
唐突に声を掛けられる。
振り向くとそこには外国人がいた。
白金のような美しく、ウェーブの掛かったロングの金髪に、真っ青でいて少し垂れている丸い目。鼻は小さいながらも、輪郭をはっきりと残して高かった。
――お人形さんだ……
身長こそは日本人女性の平均程ではあるが、異世界から来たような西洋人風な彼女に唖然とした。
「いきなり話しかけてごめんなさい。あなたは雪代真冬のお友達?」
流暢な日本語で話しかけてくる。見た目は英語しか話せなさそうな英国貴族のご令嬢の様な彼女が、日本語をすらすら話してるなんて、なんだか真冬は不可思議な気分だった。
「え、えっと、そうです?」
「そうなのですね、へぇ」
彼女は小さな口でニコリと笑う。
「あ、あなたは?」
「申し遅れましたわ。わたくしは真冬の幼なじみですの。でも、今日の事は内緒にして頂けますか?」
「え、でも話しかければ、」
「サプライズがしたいので」
内緒、とばかりに白魚のように細く、色素の無いような白い人差し指を自身の口に当てる。
なにか真冬の家でパーティーでもあるんだろうか、なんとなくそんな事を考えながら彼女の提案にこくこくと頷く。
「お時間取らせて申し訳ないですわ、それではご機嫌よう」
「あ、はい」
「また後ほど」
「……また?」
彼女は美しい鏡のように光を反射する髪を靡かせて、身を翻すと足早に駅構内へと消えてしまった。
「凉花、貴女なにぼうっとしてるの?」
「わ、ごめん、今行く!」
気付くと真冬達とは大分離れてしまっていた。
夏の陽炎に化かされたような、彼女との出会いを真冬に打ち明けるべきか思い悩んだが、サプライズを壊してはなるまいと、凉花はそっと心に閉まった。




