002
「ゆっくり買い物してね」と声を掛けられたものの目上の人を待たせている訳で。手早く夕食の材料を手早く揃えると、一番空いてるレジへと並んだ。
森ゆかりは何歳くらいなんだろうか、凉花はぼんやりと考えていた。真冬よりは少し身長は低いか。手入れされた黒髪を涼し気にハーフアップしていた。見た目的には二十代中盤だろうか?
ややあって買い物を済ませた凉花。小走りでスーパーの入り口に行くと、ゆかりは退屈そうに空を見上げていた。
「ゆ、ゆかりさん、遅れました」
すみませんと頭を下げる。すると社交辞令であろが、「そんなことないよ」とにこりと微笑んだ。しかし、この人は腹の底が見えてこない、凉花は警戒するばかりである。
「あ、いま私のこと『腹の底が読めないやつ』って思ったでしょ」
「え!?い、いや、思ってませんよ!!」
思わず心を読まれて、挙動不審になる凉花。その様子を目を糸みたいに細めて笑う。
「ええと、あっちの公園でお話しない?ここらへんに住んでるんだよね」
「は、はい。よく住んでる所わかりましたね……」
「んー、じゃあもっと当ててあげようかな。住んでる所は、そうだな。あっちの住宅街で、ここまで三分くらいの距離かな?」
愉しげに「合ってる?」と微笑みかける。全て完璧に言い当てられた凉花は目を丸くしながら、小刻みに何度も頷くしかなかった。
「どうして分かったんですか!?」
「んー、家政婦だからね」
「ええ〜!?」
悪戯っぽく唇に指を当てて笑うゆかりに困惑する事しか出来ない凉花。「さ、行こう」と凉花にアイスを一つ手渡すと公園に歩みを進める。魔女みたいな人、それがゆかりに対する第一印象であった。
「ええと、真冬迷惑かけてない?」
木漏れ日が気持ちいい日陰のベンチ。ソーダ味の氷菓を舐めながらゆかりは話し掛けてきた。
「迷惑もなにも、こっちが迷惑かけてるっていうか……」
謙遜しながら凉花が答える。ゆかりはふぅんと鼻を鳴らして黒目が大きいその瞳でじっと見つめる。公園まで歩いて来た時も度々あったその視線。なんだか心を読まれてるようで凉花は少し苦手だった。
「ああ、ごめんね!黒目が大きいの生まれつきだからさ、よく怖がらせちゃうんだよね」
「そ、そんなことないですよ!」
心を読まれてる“よう”ではない。確実にゆかりは心を覗くことができる。凉花はどぎまぎしながら視線を逸らした。
「まぁ、目は気にしないで。私、人のことよく見ちゃう癖あるみたいでさ。あの子いまなにやってるの?」
「多分、テレビ番組見てるかと思います」
「この時間は、関西弁の人が司会のやつかな?」
「よくわかりましたね!そうです!何でわかるんですか!?」
本当にゆかりは凄い。何でも知ってるように、全てを当てていく。この人は家政婦じゃなくて探偵の方が天職なんじゃないかと凉花は思った。
「あの子、最近『なんでやねん』とか言うようになったから関西弁にハマってるのかなと思って」
今度はゆかりが困ったように笑う。
「あぁ、なんかすみません……」
「別に三島さんが謝ることじゃないわよ。私がもっとあの子に色々と教えてあげるべきだったなぁ。最近、反省してるんだ」
「真冬とどれくらいのお付き合いなんですか?」
「ええと、あの子が小学校五年生の途中で引っ越してきたから……大体四年くらいかな?」
凉花は無意識にゆかりの年齢を逆算する。大体、二十代中盤なのは間違いないか。はっと気づくと、またゆかりに見つめられていた。反射的に「すみません」と謝ると「お姉さんの年齢は秘密だよ」なんて、またも心を読まれてしまう。
「真冬は普段、家で何をしてるんですか?」
話を逸らしがてら、実際に興味があった事をゆかりへ質問する。少し驚く様子のゆかり。
「あの子とはそういう話しないの?」
「なんか……あまり、自分のこと話したがらなくて………」
「あはは、そっかぁ……ふーん」
含みのあるような言い方が引っかかるが、凉花はゆかりの次の言葉を待った。
「……真冬ね。うん。最近は三島さんのことばかり私に話すかな」
「私の事ですか!?」
予想外過ぎて驚く凉花。
「最初にあの子から聞いたのは半月前くらいかな?『友達と遊びに行くのだけれど、服を選んで頂戴』なんて、顔を真っ赤にしながら私に話してきてね」
けらけらと笑いながら話すゆかり。その真冬の様子を想像したら、なんとなく想像がついて凉花もくすりと笑う。
「四年も一緒にいるけれど、あの子の口から『友達』なんて言葉が出てくるの初めてだったから凄く驚いたなぁ。しかも、一緒に遊びに行く?私、あの時絶句しちゃったもん」
「そんなにですか」
「帰ってきてからは毎日、三島さんの話。奥様と旦那様は帰りも遅いし、そもそも帰ってくることがあまりないから基本的には私と二人でご飯食べてるんだけど。夕食の時なんかは、今日なにをしたかとか、あれを教えて貰ったとか」
なんだか凉花は嬉しい気持ちになった。少し気恥しい気もするけれど、決してその気恥しさは悪いものではない。
「ある時、私が聞いたの。『その人はどんな人なの?』って。あの子には悪いけれど、私は『家政婦』って建前だけれど、あの子の監視役も兼ねてるから。奥様と旦那様には報告義務があるし……」
頬を細い指でぽりぽりと掻く。『秘密だよ』と言いづらそうに念を押されると、凉花は大きく何度も頷いた。
「そしたら、あの子嬉しそうにね。『身長が高くて、髪を茶色に染めてるの。凉花はきっと黒髪が似合うのに、なんで染めてるのかしら?顔はぶっきらぼうに見えるけど、とても端正な顔立ちよ。それに友達思いで』なんて、まくし立てるの」
そこまで話すと、吹き出すように「あはは」とゆかりが笑い始める。そんな事を言われていると思わなかった凉花は、今度こそ恥ずかしさに負けてしまい、顔を赤くして俯く。
「それからずっとよ。睫毛が長いだとか、物知りだとか、普段どういう服装してるだとか、毎日ずっと三島さんの話。だからさっきスーパーで会ったときに、あの子の話してた人物そのままの女の子がいたから。思わず話しかけちゃった、驚かせてごめんね」
そういう事だったのか。なぜ自分のことがわかったのか、その疑問が一つ解けると凉花は「あぁ」と大きく頷いた。しかし、一つ引っかかる言葉がある。
「ふ、服装って……」
「着慣れたよれよれのTシャツと中学校時代の短パンとかって」
凉花は自身の服を確認する。襟のよれた量販店で買った安いTシャツと、話題に出た中学校時代の指定ジャージの短パン。途端に羞恥心が襲いかかる。
「ひぃぃ、恥ずかしい!!こんな格好ですみません!!」
「あはは、そういう格好楽だよね。私も一人暮らしの時、部屋じゃいつもそういう格好だったよ。楽だよね。あの子もそういう格好がしたいって最近うるさいんだけど、流石に奥様が怒るから厳しいんだよね」
「うわぁ、今度からせめて近所でも外に出る時は着替えよう……」
「その格好なら歩いて三分くらいかなと思って、さっき住んでる所を予想してみたんだよね」
くすくすと笑いながら、先程の手品のような推理の種明かしを説明するゆかり。言われてみると簡単な推測だったと凉花は感心する。
「まぁ、いずれにせよ三島さんとは少し話したいとは思ってたからさ」
「私と、ですか」
一呼吸置いて、ゆかりが真面目な顔になる。
「あの子のこと、どこまで知ってるの?」
どきりとした。ゆかりの細く切れ長な目は、凉花の心を探るように真っ直ぐと凉花の目を直視する。
「え、ええと」
「安心して?あの子には今日の事は言わないし、奥様方へ報告しようとかは思ってないの。ただ、言うなればあの子の『姉』として、どこまで知ってるのか確認したくて」
凉花は視線を逸らして考える。逆に、どこまでゆかりが真冬の事を知っているのか。正直なところ、凉花にとって『森ゆかり』という人物はまだ信頼していい人物かも分かっていない。それもそうだ、いくら雪代家の家政婦と言えども会ってからまだ数十分の仲。
それに全てを見通すようなその視線は凉花にとって恐怖でしかない。今だって、心の中を勝手に覗かれてるようで心拍数が上がっているのも事実。
ゆかりは今度は何もフォローを入れようとせず、じっと真冬に穴を開けるように、静かにじっと見つめていた。
「ど、どこまで……」
「ん?」
意を決して、真冬が口を開いた。
「ゆかりさんは、どこまで知ってるんですか」
我ながら失礼だなと凉花は思う。焦燥感にも似た感情がひしひしと込み上げるのを額の汗と心のざわつきから感じる。
ゆかりは視線を決して逸らそうとはせず、しかし何かを考えるように口を少し噤んだ。
「どこまで知ってる、か」
「はい」
「そうね。これだけはハッキリ言えるかな?」
くすりと少し笑って、続ける。
「三島さんよりは、真冬の事を知ってるわ」
今度ははっきりと心のざわつきを感じる。意地悪そうにゆかりはそんな凉花をくすりと笑う。少しむっとした凉花は意地になったように言葉を返した。
「そ、そりゃ、ゆかりさんの方が真冬と長いし、一緒に住んでいるから真冬のこと知ってるんだろうけど、」
「けど?」
「……いや、あの」
またしても黙ってしまう。誘導尋問にも似た会話がとても居心地が悪い。正直、この場から逃げ出してしまいたい。自分の心が読まれるばかりで、何が目的なのかさっぱり凉花にはわからなかった。夕方と言えども、日中に蒸し返してた熱気が凉花を包む。
早く帰りたい。真冬は何をしてるんだろう。遅くなって怒ってないかな。暇じゃないかな。
現実逃避にも、思うことは真冬だった。
「そっか」
無言の静寂に終止符を刺したのは、意外にもここまで受け手に回っていたゆかりだった。
「え?」
「意地悪しちゃって、ごめんね」
苦笑いしながら、凉花の髪を優しく撫でる。正直な所、ここまで敵視をして苦手だったゆかり。しかし不思議と撫でつけるその手は嫌ではなかった。
「私も真冬の『お姉さん』だって勝手な自覚があるから。あの子がどう思ってるか分からないけれどね
」
寂しそうに、そして自重気味にゆかりが笑う。
「だからさ、もしあの子の事を傷つける可能性があるような子だったら、ここで三島さんとあの子を離そうって思ってたの」
「そ、そんなことありません!私は、」
「うん、大丈夫そうだね」
凉花の言葉を遮るようにゆかりが続ける。
「あの子は心を閉ざしてしまって、他人との繋がりを心地よくは思ってないの。私だって完全には信用されてないと思うな」
凉花は今度は黙ってゆかりの言葉に耳を傾ける。
「心を閉じてしまったことは、そうね。これはあの子自身から聞くべきだと思う。きっといつか話してくれると思うよ」
そこまで話すとベンチから立ち上がり、ゆかりは大きく背伸びをする。
「だからさ、それまであの子と仲良くしてね?私は駄目だったから。私の代わりに、あの子を幸せにしてあげて」
寂しそうな笑みを浮かべて、もう一度呆然とゆかりを見つめる凉花を優しく撫でる。ゆかりの手は、暖かった。
「じゃあ、お姉さんのお話は終わり。今日話した内容は真冬には内緒ね?世間話でもしたって言っておいて。じゃあね」
ぽんっぽんっと凉花の頭を柔らかく叩く。凉花に背を向けて帰っていくゆかり。凉花には、やはりその顔は寂しそうに見えた。
「あの!!」
凉花が叫ぶ。伝えたいと思った。伝えなければならないと思った。
「ゆかりさんのこと、真冬は『姉』みたいって言ってました!」
遠くまで歩いて行ったゆかりが振り返る。その顔は驚きから、安堵に代わり、嬉しそうにニコッと笑った。『ありがとう』と口が動いた。
「だから、あの……駄目なんて事はないと思います!!上から目線かもしれませんけど、きっと真冬にとってゆかりさんは大事な人です!!『駄目だった』なんて言わないで下さい!!」
「あーもう凉花ちゃんはいい子だなぁ!!真冬が待ってるから早く帰りな!!また話そうね!!」
「はい!!」
初めて『凉花ちゃん』と名前を呼んだゆかりは大きく手を振る。気のせいかもしれないが、ゆかりの瞳から涙が光ったような気がした。
凉花は返事をすると、ゆかりと反対方向へ走りだす。真冬の待つ家。早く帰りたい。真冬に会いたい。心から湧き出してきたその感情。
凉花が見えなくなるまで、ゆかりはその背中を見つめていた。
「あーあ、高校生に泣かされちゃうなんて。久しぶりに涙が出たなぁ。ふふ」
ゆかりは溢れる涙を指で拭う。
「『姉みたいな人』か。そう思っててくれたんだ、真冬」
ゆかりは嬉しそうに笑った。一呼吸置くと、歩き出す。その身体は、なにか背負っていたものを下ろしたかのように軽くなっていた。はやく明日にならないかな。ゆかりもまた、真冬に会いたい一人であった。