~駒場~
~駒場~
上越新幹線に乗り、上野まで出てきた。降りたってまず思ったことは『暑い』ということだった。今までいた新潟が懐かしく感じる。景色がいつの間にか横から縦にかわっていき、どこからこんなにも人が現れるのか不思議に思ってしまった。駅が大きいのと、ここからどうやって井の頭線の駒場まで行けばいいのかわからなくなっていた。
何度駅員に聞いたかわからない。誰もがみな不親切に感じた。これが東京というところなのかと不安だけしか残らなかった。
人にもみくちゃにされ、ぶつかられ、押され、ようやくへとへとになりながら駒場についた。少し前に携帯に連絡をしていたから駅に従兄の太一さんが来てくれているはずだ。太一さんは大学3年生だ。東京の大学に通っていることは聞いていたが今回押しかけるまでどこの大学に行ったのかなんて興味がなかった。親族が騒ぎ立てていたのを覚えていたが駅名をみて初めてその意味がわかった。
そう最寄駅が「駒場T大前」なのだ。そこで初めて親族が騒いでいた意味がわかった。確かに太一さんは変わり者だった。勉強ばかりしていたというイメージはない。けれど思考パターンが俺とは全然違うのだけはわかっていた。
突飛なんだ。思考も行動も。そしてもう一つ暗算が得意だということも記憶している。電卓がこの人にはいらないのだ。複数でいて割り勘をするときもすぐに答えを出す。親族で集まった際なんて太一さんがいれば「電卓がいらないね」なんていうことはよく聞いていたものだ。
実際、この東京への来るのも太一さんが受け入れてくれたから皆が納得をしてくれたのだ。太一さんに勉強見てもらえるのなら安心できるということだった。
だが、実際何度か太一さんと電話で話したが勉強を教えてもらえるのかどうかは微妙だった。理学部のため実験やレポートで忙しいし、あまりまともにアパートに戻ることもないらしい。風呂も学部にあるシャワーをつかうこともあるらしい。なんでも薬品をかぶってしまったとき用にシャワーがあるらしいのだけれど、そこを常時使っているらしい。
「お、仁くんか、大きくなったな」
そこにいたのはメガネをかけて無精ひげを生やしている人だ。明らかに不健康そうに痩せこけている。
「大丈夫ですか?」
思わず出たセリフがこれだった。明らかにいつ倒れてもおかしくないような感じだ。食事もちゃんと食べてなさそうだし、目の下にできているクマが何かを物語っているのもわかった。
「ああ、ちょっと今実験レポート中でね、とりあえずさっき機械動かしたところだから大丈夫だよ。アパートまで案内するね」
そう言って太一さんは歩きだした。5分くらい歩いたそこに木造のアパートがあった。歩くときしむ薄いさびた鉄製の階段を上がって2階にある202号室の前に立った。
「ここだよ。あ、掃除とかよろしく。じゃないと眠ることもできないと思うから。それじゃ実験に戻るから。多分夜遅くには戻ってくるからね」
そういうと太一さんは階段を降りて行った。目の前にはごみ屋敷のようになっている部屋があった。確かに掃除をしないと眠るどころか部屋に入ることすらできない。俺はとりあえず一旦引き返して途中に合ったドラッグストアでごみ袋と消毒剤、洗剤やぞうきんを買ってこのゴミたちと格闘することになった。
ごみを片付けながら黒い彗星を倒して行った。汗だくになり持ってきた荷物からバスタオルを出してシャワーを浴びた。少し前まではこの場所はゴミ置き場みたいになっていたが今ではきれいなものだ。重曹とかってどうしてあんなに活躍をしてくれるのだろうと思いながら今日の晩御飯を何にするか考えていた。
この東京へ来るにあたり両親からは家事が一通りマスターできることというのが条件に出されていたおかげである程度の料理は出来るようになっている。とりあえず駅前からここまでの間のスーパーを確認しておこう。安い材料できちんとした料理を作る。限られた仕送りだけでやりくりをしないといけない。それだけだと足りない。バイトをしないともいけないかもしれない。でも、一番は彼女、『紗枝』を探し出さないといけない。紗枝がいる場所は高校の場所しかわからない。どこに住んでいるのもわからない。そう、俺は何も知らないのだ。知らな過ぎるのだ。
紗枝がどうして一人だけで新潟に来たのも、紗枝の家族がどういう状況なのか。そう、父親から聞いた内容をもとに調べてもらった。だが、紗枝は東京に戻っても、紗枝が住んでいたという家には戻っていないらしい。けれど高校には通っているらしい。すべて伝聞だ。だからもう一度だけでいい。紗枝に会って聞きたいことがある。本当の気持ちを。『あの時』のことの意味を。
熱いシャワーを浴びながら考えがまとまらない。あれだけの決意を持って東京までやってきたのに。9月も半ば。こんな時期に休学するなんておかしいだろうと言われた。だが、9月から紗枝はすでに東京に戻っている。まだ何も解決していないのに。どこにいるのかもわからない。わかっているのは高校の場所だけだ。だから紗枝の通っている学校前までずっと張り込みをしておく。それを繰り返すだけだ。だが、会えるかなんて保証はない。けれど、あのまま新潟にいたって何もかわらない。だから飛び出してきたんだ。
シャワーを止めて外に出る。窓からかすかに入ってくる風が心地いい。バスタオルで体を拭いて、Tシャツに短パン姿になった。ベランダに出る。そこには灰皿が置いてあった。太一さんがタバコをすうのだということが掃除をしている中でわかった。タバコを吸いたいと思ったことはないが、ベランダに出て空を眺めるのは気持ちがいい。空だけは変わらない景色だからだ。東京でも、新潟でも。
ガタン。音がしたので玄関を見た。鍵をかけていなかったのを思い出した。そこにはサングラスにバンダナで顔を隠した二人組が一人は金属バットを持って、もう一人は掃除に使うのだろうか銀色をトングが手に持ったものが猛スピードでこっちに向かってくる。
「ちょっと、待って」
振りかぶった金属バットはしゃがんでよけたが、鼻っ面に向けられたトングをよけようとしてしりもちをついた。その瞬間に抑え込まれた。
「この部屋に金目のものなんてないですよ」
それは事実だ。だが、俺のズボンのケツのところに刺さっている財布には全財産が入っている。これがなくなると今月はどう過ごしていいかわからない。暴漢は言う。
「おい、お前ここで何をしているんだ!」
女性の声だ。金属バットが頭の上をかすめる。もう少しで頭がミンチになるところだ。
「ここに今日から住むんだよ。お前らこそ何なんだ」
大きな声で言いたかったが背中を押さえつけられているので何も言えない。ケツの財布が抜き取られる。やはり物取りか。やはり東京って怖いところだったんだ。このまま殴られて死ぬのだろうか。
そう、思っていたら何やら財布の中で何かを探し出したのか二人がこそこそ話し合っている。
「おい、お前『かりあつ』というのか?」
男性の声だ。びっくりした。いや、女性が男性の声に変わったからびっくりしたのではない。二人組なんだから男女のペアなのだろう。男女ペアの暴漢だからといってびっくりしたわけではない。びっくりしたのはその呼び方だ。俺の苗字は狩集と書く。読み方は「かりあつ」だけれど知らないとこう読むことはないと思っている。珍しい名前だからだ。
「ああ、そうだ」
そういうと、二人がまたひそひとと話している。
「お前、太一さんの知り合いか?」
女性の声だ。一体二人は何を話しているんだ。耳を澄ませる。「いや、偶然の一致かもしれない」「確認しよう」「どうやって?」「太一さんに電話しよう」数分後に解放された。
「いや~びっくりしたよ」
今の状況はこうだ。テーブルを挟み奥に俺が座り、手前右に髪の長い女性、左に男性が座っている。男性がこう軽く話している。さっき拘束は解かれたが状況が呑み込めない。
女性が言う。
「あんたが紛らわしいことをするからいけないんだからね。いきなり太一さんの部屋に入って大きな袋を持ち出すし泥棒かと思うじゃない」
「ホントびっくりしたよ。花楓がいきなり『泥棒が隣にいるよ、どうしよう』って叫びだしたから。だから完全武装で戦いに挑んだってわけよ」
二人はそう言ってサングラスとバンダナを取り外した。二人ともきれいな顔立ちをしていた。女性のほうは少し茶色がかった髪が肩よりも長いくらいでそろえられていた。男性のほうは短く刈り上げている。スポーツか何かしているのか前髪が少し上にぴんと上を向いているだけで他はものすごく手触りがよさそうな感じに刈り上げられている。
そして、よく見ると二人とも似たような顔立ちだ。兄弟なのだろうか。二人を交互に見ていたら男性の方が話し出してきた。
「じゃあ、自己紹介からはじめましょうか。僕らは太一さんの隣の201号室に住んでいるんだ。僕は楠凪、そしてこっちは花楓だ。二人ともS高校の1年生なんだ。君と同じ年だよ。これ返しておくね」
楠凪と名乗った男性は俺の財布をテーブルの上に置いた。財布を手に取って中身を見る。
「何、私たちが中身を盗ったとでも思ってるの。やだやだ」
花楓の方が話す。カチンと来たのでこう言った。
「さっきのを見たら暴漢に襲われたと思うだろう。それにこれは俺の全財産なんだ。このお金がないと明日から食べるのも困るんだからな」
だが、花楓と言ったほうが悪びれもせずにこう言ってきた。
「なんで、現金をそんなに持ち歩いているの。そのほうが危ないじゃない。それとも銀行ということも知らないの?どこの田舎から出てきたんですか?くくく」
「なんだと。お前新潟をバカにしているのか」
「お米がおいしいところでしょう。それしかイメージないわ~」
花楓と言った女性は手を横に振りながらこう言ってきた。なんだこいつ女性でなかったら殴ってやろうか。いや、今なら許されるんじゃないか。グーだとまずいけれどパーぐらいならなんだか許されそうな雰囲気だ。
「さすがにもう打ち解けたみたいだね。これなら安心だよ。花楓。バイトに行ってくるから後はよろしくね」
「え~お兄ちゃん。もう行っちゃうの?なら私も部屋に戻る。じゃあね。知らない人」
そう言うなり二人とも部屋を出て行った。一体何だったんだ。まるで台風みたいだ。なんだか気が抜けてそのまま倒れてみた。天井が近い。昨日までいた家はここまで天井が低くなかったな。そう思いながら携帯を取り出す。アドレス帳を動かして『囃子紗枝』を選択する。「おかけになった電話番号はお客様の都合により通話ができなくなっております」何度も聞いたアナウンスだ。メールアドレスは使われていない。電話は通じない。そう、それだけで他人になってしまうのだ。
とりあえず明日からのことを考えようと思った。自転車で移動をしてここからM女子高校までの道のりを見つめる。地図とストリートビューで何度もイメージトレーニングをした。会えるかな。だが、会ってまず何を話せばいい。
そう言えば、それは考えていなかった。気が付くと「囃子紗枝」と出会った時のことを思い出していた。
そう、俺が全員の反対を押し切ってまで東京に会いにきたその理由につながる物語を。




