雨が連れてきたもの
~雨が連れてきたもの~
演劇祭は無事に終わった。けれど演劇祭練習の途中から紗枝の機嫌がわるいことが多かった。演劇のシナリオを見てはよく形部と討論をしていた。けれど形部が「最後まで見ていればわかる」という言葉を聞いてから練習も真剣にするようになった。どうやら俺の知らない所で二人は話し合って、何かを決めたらしい。明石からは「大変だね」と言われたが、大変なのは明石なんじゃないのかと思った。明石はどう見ても形部が好きだろう。俺は勝手にそう思っている。だが、二人は友達の距離を縮めようとしない。形部に一度明石のことをどう思っているのかを聞いたところ「夏目漱石が好きそうなタイプだよね」と返ってきた。簡単に言うとはぐらかされたのだ。明石に「形部に告白しないの?」と聞いたら「そういうんじゃないんだよ」と返された。これまたよくわからない。だが、気にならないのだろうか。紗枝はかなりの美人だ。そこにいるだけで世界が明るく感じるくらいにだ。現に4月に転校してきてから何回か告白をされたことを紗枝自身から自慢されたのだ。「また、告白されたよ。今度はどうしようっかな。ねえ、仁はどうしてほしい?」
「なんで俺に聞くんだよ」
「言わないと付き合っちゃうぞ」
「好きでもないのに付き合うな。そんな思いなら俺が紗枝と付き合うと言うぞ」
なんて言ったらびっくりした表情をして黙ったんだったな。そして、いきなり走ったかと思ったら「断ってきた」って満面の笑顔で言うからこっちがびっくりした。
「相手傷ついているんだろうな」
「大丈夫、他に好きな人がいるからって言ったから。ちなみに、相手は仁ってことにしたから。明日から噂広まるかな」
「おい、なんてことを」
ただでさえ一緒に住んでいて、毎日一緒に通学している。しかも自転車に乗っけていて俺がいないと学校にもどこにもいけないお姫様なんだ。しかも紗枝は俺以外の自転車に乗らないのだ。なんだか調子が狂うらしい。だからちょっとした買い物にも俺は駆り出される。一度「不便だろう、自転車乗れるよう特訓するか?」と聞いたら「大丈夫、仁がどこへでも連れて行ってくれるから」と言われた。正直紗枝のような美人にそう言われて嫌な気はしなかった。けれど、それも、演劇先が終わって6月に入り、梅雨入りしてからはそうじゃない。雨の中自転車を漕ぐのは結構大変だ。これが雪ならばあきらめて歩いていくんだけれど雨だとレインコートを着て、自転車に乗る。
「何これ?レインコートにズボンなんてあるんだ」
紗枝が初めて見たときにそう言ってきた。スカートだからいやだと言っていたのだが雨が跳ねるから無理やり履かせた。そしたら傘をさしてくれるのはありがたいが頭の先をつんつんついてくるし前を隠したりする。
「前が見えないんだけれど」
「いいじゃん、私は見えているよ」
「いや、見えてないだろう。覗き込んだら濡れるだろう」
「心配してくれるの?ならちゃんと傘をさす」
なんて、話していたのも1日目くらいなものだ。雨が続いたら「つまんない」としか言わなくなった。雨の音がうるさくて紗枝の声が聞き取りにくいから余計なのだろう。そんなある日のことだった。
「ねえ、あのZtubeの動画の再生数見た?すごくない?」
そう言ってきたのは渋沢さんだった。そう言えば、演劇祭以降紗枝は渋沢さんとハグの挨拶をしなくなった。そしてもう一つ。渋沢さんが俺と話している時は、紗枝は気が付いたら形部や明石と話している。最近はこのメンバーに演劇祭以降笠原さんもよく混ざるようになった。
「ほら見てよ」
そう言って渋沢さんが顔を横に近づけてきた。あまりに近かったから思わず体を話してしまう。どうしても渋沢さんのかわいい顔立ち、大きな目が近くに来るとドキドキしてしまう。渋沢さんの携帯にはZtubeの動画回数が3000回を超えているのが見えた。
「え?3,000回ってどういうこと?俺らそんなにクリックしたっけ?」
正直、初めのころみんなでクリックをして見まくっていた。特に最後の助手が説明するところはアドリブだったので変な緊張感が見ていても伝わってくる。渋沢さんが言う。
「違うよ、それだけ注目されているの」
これが明石あたりだったら「取材が来るわ。とうとう私も女優になるときが来たのね」なんて言うんだろうなと思った。残念だがこの動画を見ても目立っているのは紗枝と渋沢さんだ。笠原さんはさすがに舞台映えするが、やはりこの二人には勝てそうにない。紗枝が映っている所を見ていたら渋沢さんがこう言ってきた。
「囃子さんって、東京に彼氏いるみたいね。なんかフラれた男子がそう言っていたわ」
初めて聞いた。紗枝に彼氏がいるだって。まあ、あれだけの美人なら彼氏がいてもおかしくはないかもしれない。しかも東京だ。こことは違って人も多い。出会いもあるのだろう。紗枝を見る。笑っている紗枝、形部と明石と討論をしている紗枝を見ているとやはり輝いて見える。彼氏がいるのか。でも、なんでそんなことを知っているやつがいるんだろう。渋沢さんが言う。
「ま、あくまで噂だからね。気になるなら聞いてみたら確か石嶺くんが告白したらそんな感じのことを言われたって言っていたよ」
言われて教室にいる石嶺を見た。石嶺は野球部でもないのにいつも坊主だ。どうやら楽らしくバリカンでいつも母親に髪をかってもらっているらしい。野球部に入ればいいのにと誰かが言ったらしいが、石嶺はサッカー部に入っている。ここ新潟ではアルビレックス新潟があるためか野球よりサッカーの方が人気だ。たまに父親からチケットがもらえる。そのことを紗枝が知ってから次チケットが入ったら見に行きたいと言ってきた。サッカーを生で見たことがないらしい。東京ならいくらでもあるのにと思っていたが、紗枝が言うには「色々あるから何を選んでいいかわからないの」と言われた。そう言うものなのだろうか。俺にはわからないことが多い。梅雨時期だけれどチケットが手に入ったから今週末紗枝と観戦に行く予定だ。その話しをしたら紗枝はかなりテンションが高くなっていた。と言っても新潟駅まで出ないといけない。駅まで車で送ってくれると言ってくれた。帰りも駅まで迎えにきてもらわないといけない。両親に話すと「紗枝ちゃんが喜んでくれるならいいよ」と言っていた。家での中心も今では紗枝になっている。ま、お客さんだから仕方がないことだ。
「石嶺くんに聞きに行く?」
渋沢さんがポンと肩をたたいてきてそう言った。その時にチャイムが鳴った。HRが始まる。
「ああ、後で」
そう渋沢さんに伝えて話しは終わった。1時間目が終わった休み時間に石嶺に聞いたら答えてもらうこともできずキレられただけだった。紗枝に直接聞けばいいことなのかもしれないけれどなんか聞きにくい。何かの機会にまた渋沢さんに聞いてみよう。
授業が終わる。外は雨だ。レインコートを羽織って帰るか。
「今日はどうするの?まっすぐ帰る?」
紗枝がそう言ってきた。形部に声をかける。
「今日行っていいか?」
形部には聞きたいことがあった。演劇祭以降ずっと気になっていたことがある。あのラストはおそらく形部が望んでいたことではないはずだ。でも、形部はあえてそのまますすめさせた。それが納得できなかった。だって、配役まで細工までして変えさせたのに、どうしてあのラストなのだと思っていたからだ。だが、明石も何も言わない。明らかにあのラストはありえない。衛藤久実が犯人だと思えなかったからだ。それが聞きたい。形部は軽く頷いて了承をしてくれた。紗枝に言う。
「今日も形部の所に行こうか」
「あ、私この前読んだ密室トリックの話しがしたい。回転するトリックのやつ」
「大がかりなアトラクションみたいな建物って本当に作れるのかな?」
「さぁ、でもロマンがあるじゃない。私憧れるわ」
「そして、そのトリックを使用して俺が殺されたり」
「いいね。それ。建物が出来たら招待してあげるわ」
「いいね。だが、断る」
そんな風に紗枝と話していたらどこからか視線を感じた。振り向くとそこにいたのは石嶺だった。石嶺はすぐに走って行った。
「どうしたの?」
紗枝が声をかけてる。
「いや、さっき教室の入り口に石嶺がこっちを見ていたような気がしたから。石嶺って紗枝に告白したんだろう?なんて言って断ったんだ?」
そう言うと一瞬びっくりした表情になって、その後にやにやと紗枝は笑い出した。紗枝が言う。
「気になる?気になるんだ。どうしようっかな。話してあげてもいいけれど」
あ、これめんどくさいやつだ。
「いや、やっぱりいいよ」
そう言ったら脇腹をつねられた。
「き・に・な・る・よ・ね?」
「・・・はい、気になります」
なんだこの仕打ちは、こう言わないとずっとつねってきそうな勢いだ。
「どうしようっかな」
ここにきてさらにこの仕打ち。
「教えてください」
もう、こう言うしかなかった。紗枝は満面の笑顔でこう言ってきた。
「前にも言ったじゃない。好きな人がいるからって断ったよ」
「その好きな人ってだれ?まさか東京にいるとか?」
バン。
思いっきり鞄でおしりを殴られた。「先に自転車の所に行っているから、知らない。ばか」って言われた。わけがわからない。そう思っていたら明石に背中をポンとたたかれ「あれはないわ」と言われ、続けて笠原さんにも「もうちょっと考えたら」と言われ、最後に形部には「頑張れ」とだけ言われた。まったくもって意味がわからない。とりあえず、俺以外は何かわかるらしい。だれか紗枝の取扱説明書でも作ってくれたらいいのにと思ってしまった。自転車乗り場に行くとあれだけ嫌がっていたレインコートを上下ともに着た紗枝が立っている。
「遅いよ。早く」
傘を振りながらそう言っている。少し離れたところでは渋沢さんが渡り廊下を使ってトレーニングをしていた。
「早く、早く」
紗枝にそう言われて自転車を漕ぐ。
「さあ、行くのだ、仁号」
そう言って傘で頭をつんつんしてくる。
「へいへい」
とりあえず雨の中ペダルを漕いだ。
形部の家は広い。本館があって、離れがあり別館がある。別館と言っているがそこは2階は本棚がずらりと並んでいて1階はテーブルとイスとソファーだけが置かれてある部屋が2つある。後はキッチンとトイレがある。しかもトイレは男女別になっているので家というよりまるで店のようだ。
形部の家に行っていつも立ち入るのはこの別館と呼ばれている場所だ。まるで本屋のように本がきれいに並べられている。といっても本屋との違いは出版社ごとでならんでいない。新書、文庫とわかれていて、各々が五十音順に本が並べられている。初めて紗枝がここを見たときにびっくりしたのを覚えている。なんせちょっとした本屋以上に本があるからだ。ちなみに、漫画はなぜか地下にお置いてある。地下と言っても正面玄関から入れば地下に見えるが斜面にこの別館は立っているのでぐるりと回れば出口もある。ちなみに、絶版本とかはこの別館にはなく本館に置かれているらしい。ここは形部の趣味の場なのだ。そして、それをみんなでシェアしているのだ。演劇祭が終わってから笠原さんがこの別館を訪ねてから参加するようになった。どうやら劇作家の本や演出家の本もあるらしいので読み老けているらしい。実際1階のテーブルでお茶を飲みながら読書をするか、議論をするかだ。テーブルがある部屋も2部屋あり、片方が読書、片方が議論する部屋とわかれている。
形部の家に着くとすでに読書部屋に形部、明石、笠原さんがいた。キッチンには形部の妹の乃愛がいた。
「乃愛ちゃん、こんにちは」
紗枝がレインコートを脱いで形部の妹、乃愛に挨拶をしている。乃愛は形部の影響を受けてなのか、髪を茶色に染めている。お兄ちゃんと一緒がいいと言ったらしい。ただ、メガネはかけていない。理由を聞いたら「だって、乃愛視力わるくないんだもの」と言われた。乃愛はいつも形部にくっついているイメージだ。白いシャツに紺のスカートをはいている。学校帰りだ。去年までは同じ中学校に通っていて、休み時間の度に乃愛が教室に遊びに来ていたのが懐かしい。来年は乃愛が休み時間の度に遊びに来るだろう。
「紗枝お姉ちゃん、こんにちは。紅茶でいいですか?」
「うん、お願い」
紗枝はコーヒーが苦手だ。苦いからダメだと言っていた。お子様だなと言ったら「うっさい」と言い返された。まあ、ここのキッチンには色んなものがいつもおいてある。形部の家はいつもそうらしい。
「乃愛ちゃん、俺コーヒーね」
コーヒーをおいしいと思えたのはいつからか覚えていないが、絶対にここでコーヒーを飲んだからだと思っている。どこの喫茶店よりもここのコーヒーがおいしいからだ。形部に聞いたら「豆から挽いているからじゃないか」と言われた。だから一度紗枝にコーヒーを進めたのだが「苦い」と言って返された。そう言えばこの前ようやく笠原さんもマイカップをここに置くようになった。紗枝のマイカップを選ぶために買い物に付き合わされたのが少しだけ懐かしい。なんだかこだわりがあるのか色んなところを見に回って、気が付いたらマグカップ以外のものも買っていた。女の買い物は怖いと思ったのだった。
「はい、コーヒーと紅茶、淹れましたよ。どこに置けばいい?」
「あ、談話室の方に」
「え?何々、本読むより私と話したいの?」
紗枝が検討違いのことを言ってくる。
「いや、形部と話したいんだ。悪いけど乃愛ちゃん形部を呼んできてくれる?」
「はい、わかりました」
乃愛はそう言うと形部を呼びに行った。紗枝はスリッパで思いっきり足を踏みつけてから二階へあがって行った。その様子を見てか明石と笠原さんが何やら話し合っている。
「ういっす、お待たせ」
形部がコーヒーを手に持ってやってきた。短い髪を茶髪にして、ゴーグルのようなどこで買ったのかよくわからないメガネをしている。一見すると趣味が読書とは思えない風貌をしている。容姿から不良と間違われることもあるが、成績もかなり優秀だ。しかもこの地方では大地主でもある家柄、教師は何も言えない。かといって性格も面倒見がいいし、何か学校の企画があれば結構ノリノリで参加する。本当に友達でよかったと思う人物だ。
「待って、私も」
そう言って乃愛も入ってきた。手にはミルクティーを持っている。実は乃愛もコーヒーが苦手なのだ。だから紅茶派の紗枝が来て喜んでいたのは乃愛だ。ちなみに、明石も笠原さんもコーヒーを飲んでいる。
「私もいいでしょう。だって、私とお兄ちゃんは一心同体だもの」
「いいよ、乃愛ちゃんも」
そう言って扉を閉めた。
「で、話しって何?」
形部がソファーに座って話しかけてきた。その形部にもたれかかるように乃愛が座っている。仲のいい二人だ。私はこう形部に聞いた。
「演劇祭でのこと。あの結末って形部の臨んだ結末じゃなかったけれど、あれでよかったのか?」
「よいもなにも時間がなかったからな。それに演劇祭は終わってしまったしな」
そう言ってコーヒーを少しだけ形部は飲む。
「いや、あの事件だと絶対衛藤久実は犯人じゃない。理由はわからないけれど、何か見落としている気がするんだ。それにあのラストには違和感がある」
「そりゃ、推理と違うからだろう。けれどあの事件を紐解くには後一つだけピースがいる。ま、僕の推理が正しければだけれどね。ま、実際何が起きたのかはわかったつもりだよ。でも誰が犯人なのかを特定するのは難しい。彼女か、彼女かどっちかなんだよ。でも、もう推理はしない。真実がいいことだとは限らないからね。真実の蓋を開けるには勇気がいるからね」
おどけながら形部はそう言った。形部には推理がほとんどできているらしい。実際あの演劇でのシナリオには二つあった。一つは助手である栗栖が事件の解明をどういう形であればした場合は見守ること、もう一つは形部が考える推理の話しをすることだった。だが、どちらにしてもその時言っていたのは「後ちょっとなんだ。あとちょっとで真実がわかるんだけれど」と言っていた。それが今はもうほとんど推理は終わっているみたいだ。形部のこの言い方だと後は確証がほしいだけなのがわかる。そして、その確証を手にするつもりはないらしい。
「わかったよ。なら、この話しはもうなしだ。じゃあ、戻るかな」
そう言って、扉を開けたら扉の近くに紗枝がいた。
「何しているの?」
そう聞くと紗枝は何も言わずに地下に降りて行った。読みたいマンガは今の所ないから2階にあがって本を探していた。
しばらくして、明石が「そろそろ帰りましょうか」と言って今日はお開きとなった。レインコートを着て紗枝を乗せて自転車を漕ぎだす。しばらくして紗枝が話してきた。
「ねえ、仁はあの演劇で衛藤久実が犯人じゃないって思ってるんだよね」
「聞こえていたか。まあ、いいけれどな。なんか理屈じゃないんだけれどひっかかるんだよ。衛藤久実は犯人じゃない。でも、じゃあ、誰が犯人かと言われるとわからないんだけれどね」
「そっか」
それだけだった。次に紗枝が言ったセリフはよくわからなかった。
「ねえ、もし私が事件の容疑者の親族だったらどう思う?」
「大変だろうなって思うな」
「それだけ?」
「ああ、それだけ」
それ以外に何があると言うんだ。紗枝が言う。
「ほら、殺人者の親族だから危ないとかって思ったりしない」
「俺を殺そうとするのなら危ないって思うけれどな。ま、親族だからどうこうじゃなく紗枝は紗枝だろう」
「うれしい」
そう言って傘を上下に動かしてきた。
「テンション高いのはわかったけれど前が見えなくなるんですけれど」
まあ、機嫌がわるいよりかはいいか。そう思いペダルを漕いだ。家の前に見たことがないバイクが止まっていた。誰かお客さんかな。今日は雨だから家に母親もいるし誰が町内会の人が訪ねて来たのかと思った。
「ただいま」
自転車を止めて家に入る。母親が玄関にやってきてこう言った。
「紗枝ちゃんに東京から友達が来ているわよ。『天童』って人」
奥から背の高いすらっとした男性が出てきた。切れ長の目、きりっとした眉、高い鼻、すらっとした顔立ちだった。まるでモデルのように見える。
「純、どうしてここに?」
「紗枝がどうしているか気になってな」
「外で話しましょう」
そう言って紗枝は傘を持って外に出て行った。あまたの中で「囃子さんって、東京に彼氏いるみたいね」と渋沢さんが言っていたセリフがこだまする。
雨の音だけがやけにうるさかった。




