100”Eckzturha-2”
「え、なんで?
どうして?」
まだ私はゆきひろだとは名乗っていない。
なのにみんな私を指差してこう言うのだ。
ゆきひろだ!
ゆきひろが来たぞ!
「ちょっと、どういうこと?」
思わずメガネ男に問い質してしまった。
お門違いなのはわかっているけれど、そうせずにはいられない。
「そ、そりゃあ、わかるっしょ。
周り見てみ、ゆきひろ」
ああ成る程。
直ぐに合点がいった。
天才少女として有名なゆきひろ。
少女と呼べそうな年齢の女性は、この場には私しかいなかった。
歓声の中、私は僅かな異音を聞き取った。
アルビノという単語だった。
私は日傘を強く握りしめる。
「み、皆さん!」
負けたくないと思った。
ううん、負けるはずがない。
だって、今の私にはあいつがいる。
しーんと静まりかえる広場に向かって、私は声を張り上げる。
まあ、これでやっと普通の人が話すくらいの音量なんだろうけど。
「私が、私がゆきひろです!」
うおおおおおおっっっ!!!
そんな感じの雄叫びすらあがった。
正直私には、どうしてそんなに盛り上がれるのかがわからない。
けれど、なんだかわからないが少し楽しい気分になった。
「そして、私は……わ、私は。
け…」
「「「「「け?」」」」」
「け、けけ…」
「「「「「けw?」」」」」
「結婚っ!!………しま…しゅ…………けほ……」
噛んだ。
ついでに舌も噛みたくなった。
それでもあいつらは何事も無かったかのように応えてくれた。
おめでとうだとか、爆発しろだとか、いろいろ。
パチパチと誰かが拍手をし始めた。
合わせて同じようにする人や、何故か服を脱ぎだす人、ブレイクダンスのようなことをしだす人など、広場は混沌に包まれる。
それもひとしきり収まると、誰かがヒソヒソ声で口にする。
で、相手は誰なんだ?
大体みんなそんな事を話しているようだった。
きっとあいつは、丁度今私達の後ろで何か悪いことをしているのだろう。
何か、私にも何か出来ないだろうか?
「皆さん!」
呼びかける。
応えるかのように場が静まる。
「私の好きな人は今、きっとこの中で…」
後ろを振り向いて指を差す。
大きくて尊大な建物。
私は好きじゃない。
「とても悪いことをしているんだと思います」
こんな抽象的な言葉でも合点が行くようで、みんなは口々に溜息を漏らしたり興奮したように何事かをまくし立てたり、それぞれの反応をした。
「でもきっとそれは、あの人なりに何か考えがあってやってることなんだと思います。
…無理にとは言いません。
そういうのはNちゃんねるらしくないです。
でも、私はあくまでこの場にいる一人の人間として、皆さんにお願いしたいです。
あの人を助けてあげて下さい」
〜桂木捕縛後〜
あいつと話したりしたい。
抱きついたりもしたい。
頭を撫でられたいし、してあげたい。
もちろん、もっと、凄いことも、したい。
けれどそんなの無理だ。
だってみんなが見てる。
だから仕方がないので、私はしみったれたおっさんを虐める作業に戻る。
……何かがおかしい気がする。
まあいいか。
恐ろしいことに、私はこの行為に若干の楽しさを見出してしまった。
これも悪くない。
まだ焦らすか、それとも最終兵器の桂木玲子を持ち出すべきか迷っていると、桂木を挟んで向こう側に変な奴が立っていることに気がついた。
「日高!」
あいつが変な奴に呼びかける。
知り合い?
時々話してくれた友達だろうか?
それにしては少し、苦い顔をしている気がする。
「やあ、京ちゃん。
大体三十時間振りだね」
「何しに来たの?」
自称あいつの妹が冷ややかな声を日高という人物に投げつける。
何者なんだろう?
何か物騒な事を話し出したと思ったら、日高さんは上着を脱いで四角い何かを手に取った。
「やはり、やはりか…」
「え?」
ずっと黙りっぱなしだった桂木が何かを口にする。
「あいつ、ここら一帯を全部吹っ飛ばすつもりだ!!
全員走れ!!
死ぬぞ!!!」
誰かが叫ぶ。
死ぬ?
死ぬってどういうこと?
「やはり人間の本質は暴力だ。
欲が暴力を産み、暴力に恐怖した者が恐怖から暴力を産み出す」
「何を言ってるの?」
「お前は逃げなくて良いのか?
まあ逃げても仕方がないとは思うがな。
アレの威力なら、人間の足で走った程度では逃げられん」
「アレって、あの箱?」
「そうだ。
折角だ、アレが産み出された経緯を教えてやろう。
真田昭二の事件は知っているか?」
真田昭二。
日本史上最悪とまで言われた大量殺人犯だ。
二ヶ月くらい前のNちゃんねるのニュースカテゴリでは、彼のスレッドが立たない日は無い程だった。
確か彼が用いた凶器は爆弾。
「当時現場にいたうちの隊員からの意見でアレは開発された。
随分用意周到な犯人だったようで、あいつの側には常に無数の爆弾が張り巡らされていたそうだ。
近づきたくても近づけないどころか、近づかれてやられると。
隊員の意見はシンプルだった。
あいつの爆弾より範囲が広く、威力の高い爆撃が出来る兵器を作れと。
私は微塵も迷わずにその意見を採用した。
日に日に死体の位置が私に近くなっていったからだ。
そうして出来上がったアレは、無事事態を沈静化させたものの、民間人にも相当の犠牲を強いた。
まあ、数十分前の私はそんな事どうとも思わなかっただろうがな。
今は激しく後悔している」
理解が追いつかない。
「つまり、どういうことよ」
いや、わかっている。
わかりたくないだけ。
「もう、ダメだ。
我々はここで死ぬ」
京之助が日高という男に殴りかかったようだ。
それと同時に日高がアレを真上に放り投げる。
ようやく私は理解した。
ここでみんな死ぬんだ。
唐突に。
呆れる程唐突に、たった一人の手によって。
せめて最後に、ちゃんとしたキスくらいはしたかったな。