2
「まず、セント・エトワールでの私の飼い主役だった女性ですが…彼女は私の手の者です」
「えっ…あの、紫のオバサンですか」
「そうです。マダム・リラは、かつては非常に優秀な諜報員だった女性です」
「へえー!」
まじか。完全に、ただのお金持ちのオバサンだと思ってた。全然そういうオーラなかった。なんか親近感を感じるけど、私とジョンは生まれつきのもので、恐らくマダムの素振りは演技なのだろう。本物の諜報員ってすごい。かっこいい。
感心している私とジョンをちらりと見やってから、ヴィクトールは続ける。私たちの反応に期待するのは、どうやらやめたらしい。
「数年前に引退しましたが、引退後はセント・エトワール国での私の拠点として、駐在してもらっていました。私は貴方がたの国を、非公式でもよく訪れていましたので…」
座ってください、とヴィクトールに言われ、私とジョンはソファに並んで腰を下ろした。最初にここを訪れたときは机の上に座って高いところからこちらを見下ろしていた金銀の瞳は、今はソファの前の低いテーブルに座ってこちらを見上げている。
「今回の件に当たり、まず私はマダム・リラの協力を得ました。あの時点でも魔術を多少使えましたので、これはさほど難しくはありませんでしたが…不十分です。国を取り戻すためには、セント・エトワールの協力がどうしても必要だと、私は考えました」
「なるほど。それで、猫探しを依頼して、ノキア先生とコンタクトを取ろうとしたんですね」
「その通りです。ノキアが学園の戦闘実技訓練を担当していることは知っていました」
「そっか、お付き合いがあったんですよね…でも、どうしてすぐに名乗り出なかったんですか?」
以前に思っていた疑問が、相槌のあとに口を突いて出る。あ、話の途中だった。そう思ったが、ヴィクトールはそれをたしなめるそぶりは見せない。
「協力してもらえるかどうか、分かりませんでしたので」
「ああ…えっと、そうなんですか?」
「ええ。確かにセント・エトワール国王家は、今のところルーゼンの新王家を認めていません。しかしそれは、クーデターへの反対意思を示すため、というのが主な理由だと思います」
「はあ…」
「それなりのきっかけがなければ、干渉してまで新王家を倒そうとはしないでしょうね」
それに…と続けかけて、ヴィクトールはやめた。
「いえ、各国王家の話は、今は関係ありません。…とにかく私は、確実な協力を得たいと考えました。そして…そのために貴方たちを利用することにしました」
「俺たちですか?」
突然自分たちの話になって、ジョンが首をかしげる。利用と言っても…いやまあ、確かに巻き込まれてルーゼンまで行ってしまったから、この任務ではノキア先生の事後承諾をあっさり得られたのか。それで結果として2人分の戦力にはなっているわけだけど…自分で言うのもなんだけど、大したことじゃないと思う。
怪訝に思う私とジョンに、ヴィクトールははっきりと頷いた。
「ええ。私は貴方たちのことも、初めから知っていましたよ」
「えっ!?」
「なにそれすごい珍しい…!ありがとうございます!」
「……いえ、そろそろ分かってきてはいたんです…そういう反応がくることは…」
諦めたように呟いてから、ヴィクトールは続ける。
「私の捕獲担当に、すぐ貴方たちが付けられたのは幸運でした。私は運がいいんです…一番初めに来たチームを散々に手こずらせて、夜に自分で学園に行ったせいもあるかもしれませんが」
多分そのせいでしょうね。そう私は思ったが、話の腰をこれ以上折るのもなんなので黙っていた。
「私は二度目に捕獲にきた貴方たちをルーゼンに誘い込み、ノキアの協力をとりつけました」
ヴィクトールは一旦口をつぐんで、視線を俯かせた。ん?なんかいま、話が飛んだ気がするんだけど…。だが、彼は私とジョンがぽかんとしているのには気付かずに、話を続ける。
「ノキアが動けば何とかなるだろうと思っていましたが…いえ、きっともう少し待てば、セント・エトワールの後ろ盾を得て王権を取り戻すことが可能でしょう。ですが、もう良いんです。意味があるようには思えない。……結局私は、王権が取り戻したかったのではなく、ただ復讐がしたかったのでしょう」
そう一気に話し、ヴィクトールはまた口を閉じた。ええと…えっ、つまり、どういうこと?なんで私たちをルーゼンに誘い込んで、それでノキア先生の協力が得られたことになってるんだろう。わからん。私は首をかしげ、ジョンも疑問を口に出す。
「ノキア先生の協力と僕たちの存在とは、さほど関係ないと思うんですが」
「ありますね。彼がなんとかすると言い切ったのは、貴方たちがここにいたからでしょう」
「…?」
別にそんなことはないと思うけど。偶然ここにいたから護衛にはあてられたけど、それだけじゃない?だって、ヴィクトールがノキア先生と通信する前に、先生は列車の中で黒猫を保護するよう私たちに指示したはずだ。ジョンも同じようなことをヴィクトールに告げるが、ヴィクトールは首を振る。
「いいえ、関係あります。ノキアは非常に優秀な魔術師です。接触した段階で、私の正体は分からないまでも違和感は感じていたはずです」
まじか。全然私は違和感なんて感じてなかった。大きくて綺麗な猫だなーって思ってたくらいだ。ジョンにちらりと視線を向けるが、小さく横に首を振られる。だよね、わかんないよね。よしこれが普通だ、落ち込まなくても良いはずだ。うん。
「彼なら、列車の時点でこれが私の仕業ではないかと予想をつけるくらは出来ますね」
「うーん…まあ、元々知り合いでしたもんね」
「ええ。それもあって確かに元々、ノキアはどちらかと言えば私に協力的です。ですが、貴方がたという要素が加わったからこそ、すぐに本格的に新王家打倒に向けて動きました」
「そうですか…?」
「ノキアは相当に、貴方がた2人を気に入っていますから。自分に似ていて…救いだと話していたこともあります」
「に、似ている?」
いやいや、それはないだろう。気に入っているというのはあり得るかもしれないけど…絶対に似てはいない。
ノキア先生は若くして学園の教官になるような超エリートだ。私たちだってそこそこ実力はあるけれど、レベルが違う。学園に在籍していた時代のことは特に知らないが、恐らくもっと目立つ…リスト的な立ち位置にいただろう。ていうかまず、イケメンっていう時点でもう全っ然私たちには似てない…残念ながら。はああ。
「……お2人が考えていることは何となくわかりますけど…知らないでしょうが、ノキアには非常に優秀な兄が居ます。兄と自分を比べる癖があったようですね」
「それはまた…なんというか…贅沢な話ですね」
「…まあ」
「すみませんつい本音が」
ジョンがうっかり本音を漏らしたが、私は注意しないことにした。だって私も同意見ですもん。まあ、似ているかどうかは置いておいても、ノキア先生が私たちを気に入ってくれているというのは有り得なくはないし、嬉しいことだと思う。
そうだとしても、そんな理由だけでこんな大事への協力を即決するようなキャラクタじゃないだろう。なんだかんだ言って軍事施設であるセント・エトワール国立傭兵学園の教官に、そんなキャラクタの人間はまずいない。
恐らく元々ノキア先生にも、可能であれば旧王家の復興の方に持っていきたい、という思惑があったはずだ。そしてそれは恐らく旧王家と、そしてヴィクトールを好きだからっていうか…冷静に言えば評価しているからで…自己評価の低いヴィクトールはそうは思っていないらしい。まあ、その謙虚さがヴィクトールの可愛いところだ。仕方のない王子様である。
ふむふむ…つまりどういうこと…?とりあえず、今回の件についても、絶望的な状況に追い込まれてからすぐにソレイユ候補生を護衛につけてセント・エトワールからの協力を取り付けたのは、ヴィクトールの思惑通りだったということか。わあすごーい。
「すごいですねヴィクトール」
「頭いいですねえ。うちの国に諜報まで用意してたなんて」
「ち、違います!あれは諜報とかではなくて…単に技術先進国であるセント・エトワールに興味があっただけで」
「あ、そうなんですか…趣味的なアレですか」
「本当に運がいいんですね。王子補正ですかね」
「えっ…いやいやその辺はもうどうでもよくて…とにかく今の話で言いたかったのは…そう、貴方がたは私に騙されていたんですよ!偶然を装って、わざと巻き込んだんですよ!」
「え?ああ…そう言う話だったんですか」
「分かりましたけど、別に問題ありません」
「……ええと…いやその…まあ貴方がたならそう言いますよね…考えてみれば」
はああ、とヴィクトールは疲れた溜息をついた。うん、その通りだ。確かに意図的に巻き込まれはしたみたいだけど、私たちにとってはさほど問題ではない。気にせずに今後も使ってください、と私が言うより早く、ヴィクトールはふるふると首を振った。
「いえ、ですがもう……そもそも私が貴方がたを騙してまでここまでやってきたのは、自分には王権奪取と言う正当な目的があると思っていたからです」
「正当な目的、ですか」
「ええ。そう思い込んでいましたが…王権を優先するならば、今回のことは静観すべきです」
「それはちょっと」
さすがに、王と王妃が処刑されそうになっているのを静観するのはちょっと。無理があるよね。私はそう思うが、ヴィクトールはきっぱりと言う。
「いいえ。今回の件について、明らかに新王家はやりすぎです。これを静観し、国民の不満が高まったところで、ノキアの後ろ盾があれば…確実にスムーズに、比較的穏健な方法で王権を取り戻せますね」
「そうなんですか。いやでも…」
「ええ、そうする気にはなれません。その程度の想いだったんです。…そもそも貴方がたやノキアを巻き込んだのは私の我儘だったということが、ようやく分かりました。だからもう、王権は諦めます。これ以上、私の我儘に付き合わせるわけには行きません」
きっぱりと言い切ったヴィクトールを前に、私とジョンは顔を見合わせる。
何を言っているのかは理解できなくもないけど、全然納得いかない。王権を奪取することは正当な目的でも、両親が殺されそうになっているのを助けるのは正当な目的じゃないの?どっちも正当だと思いますけどね。いや、どちらかというと後者の方が切実な問題ですけどね。
王家って分かんないな。いや…分からないからこそ、王家は王家なのかな。ヴィクトールが王子様っぽくないのは、彼が王家になりきれないからだ。
いずれにせよはっきりしているのは、ヴィクトールがいま、私たちを遠ざけたがっているということか。ふうん、なるほどね。
「まあ…ヴィクトールの言いたいことは、一応理解は出来たと思います。それで王権を諦めるとして…今後どうするんですか?」
「今後は…ノキアに連絡して、方針の変更を伝え、貴方がたの任を解きます。なので貴方がたは私とは別行動をとってもらいます。いずれセント・エトワールがルーゼン新王家と国交を回復すれば、国に帰れるでしょう。それまでは…申し訳ありませんが、この隠れ家で生活していただくことになりますが」
「わお、猟師に転職ですね」
「はあ…そうですね、そうなりますね」
私のジョークに、ヴィクトールは久しぶりに少しだけ笑った。
さっそくノキア先生に連絡をとってみるとのことだったので、私とジョンはこれまで通り、余計な話を聞いてしまわないように、と言って寝室に移動した。




