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朝食を終え、私とジョンとヴィクトールは3人一緒に隠れ家から出発した。目立たないよう、地味な茶色のカーディガンと黒いボトムスに、黒いPコートを身に着けている。
全身真っ黒で逆にアレじゃないですか、とヴィクトールには心配されたが(そういうヴィクトールも真っ黒だ)、私たちを舐めないでいただきたい。だいたいどんな格好をしても、見た感じモブであることには定評がある。それならば、汚れの目立ちにくい黒が良いに決まってるよね!お金もないしね!
「わあ、全然オーラないね!諜報まじ向いてる!」
「その点では他のやつらに先んじてるよな!」
「元気出てきたね」
「な。ナイフが苦手でも存在価値はある」
「あるある」
ヴィクトールがこちらに可哀想なものを見るような目を向けてきたが、気にしては負けである。私は何も気づかないふりをして、にこやかに彼に問いかけた。
「それで、どこに行きましょうか?」
「ええと…酒場、ですかね」
「酒場ですか」
雪国であるルーゼンでは、体を温めるためにも飲酒は非常にポピュラーだと聞いたこともあるような気もする。いまはまだ昼間だが、それなりに人がいるのだろう。それに酒場では確かに、噂話がよく飛び交うと聞いたような気もする。行ったことないけど。私はとりあえず納得したが、ジョンは首をかしげた。
「昼間ですが、宜しいんですか?」
「情報収集とくれば酒場と、相場が決まっています」
「えっそんな理由ですか」
えっそんな理由なの?と私も思ったが、ヴィクトールはむっとした様子で耳をぴくぴくさせる。
「大丈夫です、当てはあります。それに私はこういうことにかけて運が良いのです」
「はあ…」
「運…?」
微妙に不安な気分になりながらも、私とジョンはヴィクトールの先導に従って酒場へと足を進めた。
***
「こ、これは…」
「場違いだ…」
テーブルで会話するオッサンたちの熱気、愛想よく動き回る女性たち。時折響き渡る怒号。なんだこれは…なんだ、これは…基本的にはお上品なセント・エトワール生まれセント・エトワール育ちの私とジョンは、酒場の入り口で固まっていた。
アンダーグラウンドやべえな!地上はあんなに静まり返っているのに、地下ではこれである。王子様にとっても場違いな空間だろうと思って視線を向けるが、ヴィクトールは平然としている。
「ヴィクトール…どうすればいいんですか」
「にゃあ」
「えっ!?あっそうか人前だからか…!」
にゃあとか言われましても!でも確かに、喋る猫っていうのは少なくともセント・エトワールでは一般的ではないし、ルーゼンでもそうなのだろう。目立つのはよくない。ここは自力でなんとかしなくては…と、意を決して歩き出そうとする前に、ジョンが前に進んだ。おお、偉い。
混雑の中をどうにか進んで、空いているカウンター席に座ると、店員が近寄ってきた。若い女性で、少しだけ怪訝そうな顔をしているが、場違いな自分たちを追い出したがっているわけではなさそうだ。
「ずいぶん若いね。酒は…ギリギリ飲めるの?それとも食事かな」
「ああ、いえ…お酒は飲めなくて…」
メニューを眺めながら、ジョンがこちらにちらりと視線を向ける。カフェオレで、と小声で言うと、カフェオレ2つで、と注文してくれた。女性が立ち去る前にすかさず話しかける。
「あの、俺たち田舎の方から来たんですけれど…観光っていうか」
「へえ。こんな時に?」
「いや、観光じゃないですね。その、キエフって最近どうなんだろうって気になって…いろいろあったから」
「ああ、まあね…そっか、田舎の方はあんまり変わらない?」
「うーん…いや、やりづらくはなりましたけどね」
「そうだね。まあ、税率がだいぶあがったからねえ…」
いつのまに君はルーゼンの田舎出身になったんだジョン。素晴らしいアドリブである。私は称賛の視線を向けた。それから、床に座ってジョンを見あげているヴィクトールを抱き上げて膝に乗せる。ヴィクトールは一瞬だけ体をこわばらせたが、大人しく従った。
「キエフは、今も相当ピリピリしてるよ。ここだけの話ね…」
そう言って女性はジョンの耳元に顔を近づけた。おおお、これは。耳寄りな情報フラグである。私も耳をそばだてる。
「前王家の生き残りが居るんじゃないかって、新王家は気にしてるらしい。大仰に見回ってるのは、それを探してるのさ」
「ああ…確かに、外に警官がたくさんいましたね」
「そうそう。だからみんな家にこもりっぱなしだ。外を歩いていたらすぐに捕まって、調べられる…関係あろうがなかろうが、ね」
「なるほど」
「あんたたちも気を付けなさい。しっかり彼女を守ってやらなきゃ」
「ああ、はい。そうします。どうもありがとう」
立ち去った女性を見送ってから、ジョンがこちらを向いた。
「だってさ。気を付けよう」
「うん、そうだね…やっぱり、物騒なのね。怖いなあ」
「ぶっ」
神妙に答えるとジョンがふきだした。おい笑うなよ。田舎から首都の様子を身に出てきた純朴な少女バージョンにそんなに違和感が?まったく、失礼な男である。でもぶっちゃけ自分でもすごい違和感だなとは思いましたけどね。だっていちばん物騒なのは、どう見ても現状反政府組織な自分たちの方である。
運ばれてきたカフェオレに口を付けながら、私たちはそれとなく周りの話に耳を傾けた。だが、別段目新しい情報が手に入るわけではない。
とりあえず分かったのは、新王家はヴィクトールのことを警戒しているということと、住民は新王家に不満があるということ。税率も上げるしやたらと徴兵するし見回りは厳しい…これでは不満が出るのも仕方ないだろう。クーデターを起こす輩なんて、概してそんなものだ。
これ以上得られるものはないだろう、と私はカフェオレを飲み干した。床に飛び降りたヴィクトールとジョンに続いて酒場を後にする。一歩出るだけで喧騒は遠ざかり、雪の積もった路上はやはりしんとしていた。




