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The Chamber Actors  作者: snow
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3




 机の上に、黒猫が座っている。その黒猫が、金と銀の瞳でこちらを見下ろしている。


 魔女の小屋から無事にヴィクトールの隠れ家へと戻り、私とジョンはソファに座って、机の上のヴィクトールの顔を神妙な面持ちで見上げていた。あまりにもシュールである。しかしそんなこと思ってはいけない。相手は真剣なのだ…それに、慣れてくればまあ猫顔も、凛々しいと言えば凛々しいし、体も大きくて立派だし、成年男性の声も似合わなくは…いやびっみょおおおおお。


「申し訳ありません、巻き込んでしまって」

「あ、いえ…とんでもありません」


 ヴィクトールの言葉に、私は慌てて首を振った。ジョンも首を振っているが、無言である。まあ喋らないほうがいいな、笑いそうだからなこいつ。


「どうしても、国のことが心配で…猫では何もできませんが、ただ戻りたかったのです」

「ああ、はい、し、心中お察しします」

「私がどうしてこうなっているのか、話しておいた方が良いでしょうね」


 ヴィクトールは憂いを帯びた声で言う。そうすると、表情のあまり分からない猫顔までも憂いを帯びたように見えてくるから不思議なものだ。いや、笑ってはならないと言うプレッシャーの見せる幻覚かもしれないが…。


 少しだけ私たちから視線を逸らして、ヴィクトールはぽつぽつと語り始めた。


 そもそも今回のクーデターが起こるきっかけとなったのは、数年前に、彼の異母兄を名乗る人物が突然王宮に乗り込んできたから、らしい。


 異母兄の反乱…どこかで聞いたような話である。どこかもっと暑いところ…ああそうだ、サンズ王国で。サンズ王国のミカイル王太子は痛くもかゆくもなさそうな顔で自分を餌に異母兄を釣ったりしていたが、やはりアレがおかしいのであって、普通はそれなりに難しい問題なのだろう。ヴィクトールの声は力ない。


「父は覚えがないと言いましたが、母は疑っていました…多くの家臣も同様です。王宮は混乱して少しずつ力を失っていきましたが…私は、何もしませんでした」


 くたりと耳と尻尾を下げて、ヴィクトールは呟くように吐き出した。人間だったら頭を抱えているか…私たちの前なんかじゃなければ、泣き出しているかもしれない。

でも私たちはただの、他国から偶然巻き込まれた護衛の人間だ。私は何も言えずに黙っていた。


「あの日…あの日も私はヴィッテの元で、王宮はつまらないところだと愚痴を吐いていました。魔術も技術も遅れている、と。本当は両親に告げるべきだったのです。いくら日々の生活に追われていようと、避難のためにゲートを用意しない王宮なんてありえないと。…しかしすべては遅すぎました。異母兄を担ぎ出した内通者たちにより城は焼かれ、私はヴィッテに猫に変えられ、セント・エトワールへと送られました」


 そしてヴィクトールは口をつぐんだ。金と銀の瞳は、どこか遠く、記憶の中の光景を見ていた。

 ヴィッテ、という名前には聞き覚えがある。さきほど魔女もその名を口にしていた。恐らくは魔女の弟子で、王宮魔術師だったのだろう。それほどの魔術師なら、王子を猫に変え、ゲートなしで転移術を自力で組んで、猫1匹を他国に送るくらい出来たのかもしれない。いや…違うな、それが限界だったのだろう。


 それ以上ヴィクトールが話そうとしないので、私は口を開いた。


「ありがとうございます、状況を把握しました。指示を頂ければと思います」

「そうですね…しばらくはこの姿で潜伏せざるを得ませんので、明日以降は共に情報収集に当たってもらいます」

「「了解です」」


ジョンと口をそろえて言い、椅子に座ったまま略式の敬礼をする。ヴィクトールは少し笑ったようだった。


「私みたいな人間が、貴方たちに指示なんておかしいですね…ですが仕方ありません。それでは、私は就寝します」

「…」


 別に何もおかしくない。そう思ったが口に出すタイミングを失い、私は黙ってうなずいた。今の私たちの前では彼は泣けないのだから、言葉にはあまり意味がない。口に出したい色々なことは、これから私たちが、行動で表して行かなくてはならないのだ。

 寝床をどうしようか、と迷っている風なヴィクトールに、私は意を決して話しかける。


「あの、その前に伺いたいのですが、こちらにお風呂はありますか?」

「ああ、そうでしたね。ありますよ。そちらを進んで右の扉です。ご自由にどうぞ」

「ありがとうございます。ではヴィクトールが先にどうぞ」

「え?いえ、私は無理ですよ」

「…その、お嫌でなければどうにかしますので」


 猫の姿では、頭も体も洗えない。シャワーだって使えない。心まで猫ではないのなら、ずっとそのままで気分がいいものではないだろう。いやまあ、お風呂嫌いであればその限りではないだろうけど、自分は無理だと言ったヴィクトールはちょっと残念そうな顔をしていた。多分、きっと…お、恐らく。

 私はジョンに視線を向ける。ジョンは頷いて、ヴィクトールに顔を向けて口を開いた。


「僭越ながら、僕が手伝わせていただきます」

「え?あ、いえ、でも」

「なるべく触れないようにはしますので」

「えっと…あの、ですが、護衛の貴方たちにそこまでしていただくわけには」

「それは、お気になさらず。普段から割と、地味…いや、色々な仕事をやる感じなんです僕たちは」

「え、ええと…でも」


 ヴィクトールは戸惑っている。嫌がられただろうか、と思って猫顔の奥の瞳を覗き込むが、困惑以外の感情は読み取れなかった。こ、これはまだいける、はずだ!とか言って嫌われたりしたら目も当てられない。死にたい。不安だ。

 でも女は度胸、そしてこの場合は男も度胸である。頑張れよ。私はジョンに向けて頷いてみせてから、立ち上がった。


 ヴィクトールに言われた方に進み、右側のプラスチック製の扉を開ける。うんうん、ここか。

 使っていなかった感じはあるが、そこまで汚いわけではない。シャンプーらしき容器とボディソープらしき容器はおいてあるが、数か月前にヴィクトールがこの国を離れたことを思うと…微妙かなあ。とりあえず床に置かれたお風呂用洗剤を手に取ってリビングに戻る。


「ヴィクトール!この洗剤はまだ使えますかね」

「え?ああ、ええと恐らく…」

「じゃあお風呂洗っとくので、ジョンと一緒にシャンプーとかを買ってきてくれませんか。どこに行けば買えるのか分からないと思うので」

「えっ」

「あ、もうお店、開いてないでしょうか。なら今日はお湯だけで我慢しましょうか」

「えっ…あ、いえ、開いてると思いますよ。そうですね、私が居ないとゲートも通れませんし、行ってきます」

「そうですか!ありがとうございます」


 ヴィクトールはひょいと机から飛び降り、床をうろうろと歩く。恐らく、ゲートを発動させるための印として特定の軌道をなぞることになっているタイプのものだ。印を結ぶ形じゃなくて良かった。もしそうだったら猫になっては使えない。もしかしたらそれも、万が一を考えた王宮魔術師ヴィッテの指示だったのかもしれない、と頭の片隅で思う。


 発動したゲートを通り、ジョンとヴィクトールは転移していった。発動にかかる時間の短さや、設備なしで発動していることから考えて、恐らくは隠れ家の1階と地下を結んでいる短距離のものだろう。それでも、実用的なレベルの転移魔術の発動は非常に難しい。

 

 ヴィクトールは魔女の弟子らしかったし、王宮魔術師が死力を尽くして逃がした存在だ。相当に優秀な魔術師で、そして優秀な王子だったはず。いや、過去形じゃなくて、今だってそうだ。猫になっても転移魔術を発動できたし、逃がされたのに国まで自力で戻ってきた。

 私たちが彼のためにできることがどれだけあるか分からない、でもだからこそ、何でもやるべきだろう。モブだろうが地味だろうが、仕事を選ばずこなすことにかけては、私とジョンは一流だ。…多分。


「よし、じゃあ…とりあえず洗うか!」


 気合を入れて、私は床に洗剤を撒いた。




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