魔女と黒猫 1
「お、なにこれ空家?」
「おおー!」
「やるじゃんヴィクトール!」
「冴えてるー!」
ヴィクトールのあとを追って辿り着いたのは、街の外れにある小さな空家だった。扉には鍵がかかっているようだったが、ヴィクトールが鍵のかかっていないらしい窓を器用に開けて中に入る。何こいつマジ賢い。巨大猫であるヴィクトールが通ることのできる窓ならば、ジョンは難しいけれど私はどうにか通ることが出来る。
窓から私が中に入り、扉を開けてジョンを迎え入れる。家の中に入るだけで、少し寒さが軽減した。中は少し埃っぽくて殺風景だったが、狭いながらもいくつか家具が置いてあり意外と綺麗に整っている。快適そうだ。暖炉に火を入れれば十分に暖もとれる。
「見つかるまでは、ここ使うか」
「良いね。偉いぞヴィクトール!」
そう言ってヴィクトールを見ると、彼は床の上をうろうろと歩き回っていた。進路上に立っている私とジョンにぶつかると、邪魔だ、とばかりににゃあと鳴く。私とジョンは慌ててその場から退いた。ね、猫なのになんだろうこの有無を言わせぬ感じ…いやむしろこれは、こちらサイドの問題?ついつい従っちゃうモブ習性?
「切ない…」
「多分俺も同じこと考えてる」
「にゃあ」
ジョンと横目で慰め合っていると、ヴィクトールが大きく一声鳴いた。えっ、無駄口も許されませんか?そう思って顔を上げると、
「わっ」
「え、なにこれ」
床に、さきほどまではなかったはずの文様が淡く光っている。見覚えのない文様は、何らかの紋のように見える。校章とか、家紋とか。え、でもいったいなんだこれ。ぱちぱちと瞬きをしていると、ヴィクトールが悠然と進み出て文様の中心に立った。そして、
「!?」
「ヴィクトール!」
消えた。慌ててその後を追って文様の中心に立つと、一瞬、視界が暗転する。覚えのある感じ。これは…
「ゲート?」
「ゲートだな」
魔力を応用した瞬間転移術。ゲート、と呼んでソレイユ候補生が日常的に使っているそれの感覚だ。暗転のあとに立っているのは、思った通り見覚えのない空間。
さきほどの空家のリビングと同じくらいのあまり広くはない空間に、ファイルがぎっしりつまった本棚、人1人くらいは寝られそうなソファ、木製の上等そうな机と、その上にはコンピュータ端末。天井はそう高くなく、窓は1つもない。恐らくは、地下。
ヴィクトールは端末の前に座り、端末を弄っていた。
「いや、おかしいだろあれは」
「絵面的に許されないだろ」
「肉球で端末操作はねーよ」
「ねーよ」
ジョンと私の囁き声に、ヴィクトールがちらりとこちらに目線を向けながら、たん、とenterキーらしき部分を押した。押せるんだ。押せるんだね。猫ってすごい!私、猫のこと少し勘違いしてた!
死んだ目でそれを見送っていると、端末からどこか聞き覚えのある声が聞こえる。
『お前か?』
「にゃあ」
『やはり話せないのか…それは面倒だ』
「にゃあ」
端末に向かって、ヴィクトールは真面目くさった様子で鳴いている。
「えっ、おかしくね?」
「もう何もかもがおかしい」
「猫は普通話せないよな?」
「面倒とかそういうアレじゃないよね?」
「でも若干あれだな」
「和むよね」
「そうそれ」
「猫なのに超頑張ってる」
こそこそと話しているこちらを振り向いて、にゃあ!とヴィクトールが強い声を出す。思わず、はい!と良い返事をして私とジョンは端末に駆け寄っていた。端末には何も映像は映っていないが、通信中、と右下のウインドウに青い文字が出ている。どこかと通信中なのは確かだろう。
『ジョンとマリーはいるか?』
「え…あっ、この声、先生?」
「ノキア先生ですよね?」
『そうだ。上手く潜めたようだな』
「いえ、はあ、まあ…」
「ヴィクトールがここまで連れてきてくれましたが…」
『ヴィクトール、ね。そこはそいつの隠れ家だ。とりあえず、そこを拠点に動け。ルーゼン国内では安全な方だろう』
「了解です」
「了解です」
『不思議に思ってるだろうから、言っておく。ヴィクトールは本来は猫じゃない。人間だ』
「そんな気はしてきてました。変化魔術ですか」
「すごいですね、完全な動物化なんて、あんまり見ません」
『そりゃあそうだな。王宮魔術師が全力で掛けたんだろう』
「王宮魔術師…(えっと、それってつまり…)」
「王宮魔術師…」
『ヴィクトールはクーデターで排された前王の息子だ。名前もヴィクトールじゃなくて、アレクセイ皇太子だな…まあこの隠れ家からの通信以外で本名呼ぶのはやめとけ、一応』
「うわあ…」
「またそういう…そういう…」
『乗りかかった船だ、今後しばらくアレクセイの指示に従って護衛にあたれ』
「あー絶対そういうあれになると思いました」
「うわあー」
『危険に晒して申し訳ないと思ってるが…お前らならやれるだろ?地味だが仕事は確かなコンビだ。俺は評価してるんだぞ』
「いや、危険はいいんですけど」
「地味って言うのやめてください」
『息あってんなー』
ノキア先生はけらけらと笑う。しかしすぐに真面目な声音になった。
『まあ、本当なら今お前らに頼むような仕事じゃない。なのに、列車から跳び降りるのを許可しなくて悪かった。すぐに助けたいとは思ってるが…こっちも色々あってな、ルーゼンにはまだ手が出しづらい。どうにかするから待っててくれ』
「はい…あの、前も言いましたが、そもそもこれが乗りかかった船になったのは私の責任です」
「いえ俺も、自分の責任だと思っています。危険性については気にしません、任せてください」
『…そうか、頼んだ。アレクセイも、無茶な指示はやめるように』
アレクセイ…ヴィクトールは、ノキア先生の言葉にこたえるようににゃあと鳴いた。それから、何かあったらいつでも連絡すること、しかしこの端末を使って以外の通信は控えること、ただし緊急の場合はその限りでないこと、などの注意事項を加えてからノキア先生は通信を落とす。
沈黙が走り、一瞬だけジョンと視線を交わす。それから、私は意を決して高貴な黒猫に向き直った。落ち着け、頑張れ、…こ、これは猫ではない!王子である!猫王子とか超かわいー…じゃなくて!
「…ええと、アレクセイ皇太子」
「みゃっ!」
「そうですね、ヴィクトールと呼ばせて頂きます」
「にゃん」
おお、意外に意思疎通できる。
「これまでの無礼、申し訳ありませんでした。先ほどの通信通り、これから私ブラウン・マリーとこちらのスミス・ジョンはヴィクトールの指揮下に入ります。指示がありましたらお願いします」
「みゃう」
偉そうに頷かれた。おいジョン笑うな、堪えろ、私も吹き出しちゃうじゃないか。
心中で無駄な修羅場になりながら、私とジョンはヴィクトールの指示を待つ。ヴィクトールは本棚にひらりと飛び乗ると、濃い紫色のファイルをてしてしと肉球でたたく。ほほう。
「こちらですね」
言いながらファイルを引き出し、机の上に置く。ヴィクトールは、置いたファイルをばさりとめくった。私とジョンも脇に立ってそれをながめるが、いかにもやばそうな感じである。色々な人の顔写真が載っていて、色々な情報が載っている感じである。見ないようにしよう、なるべく。そう思って目を細める。よし、ぼやけてきた。
「にゃ!」
「あ、ええ、はい…めくりますね」
しかし、どうやら端末のキーボードが打てるヴィクトールにも、限界はあるらしい。当たり前か。仕方ないのでなるべく目を細めたまま、ヴィクトールがめくった中央辺りの部分から、1枚ずつページをめくっていく。
10枚ほどめくったところで、ヴィクトールが、てしてし、とファイルの端を肉球でたたく。おいジョン笑うな。彼は真剣なんだぞ!
「ええと、こちらですか…バーバ・ヤーガ…様?」
「にゃあ」




