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結局最初の一度を除いて、後方車両まで誰かが来ることはなかった。
かたかた、とごく小さな反動を伴いながら、列車が減速する。減速にかかる距離もほんの数十メートル。列車はすぐに止まり、ぷしゅう、と間抜けな音を立てて外へとつながる扉が開く。
先に私がそこから顔を出して周囲を確認した。ジョンは後ろに下がり、ヴィクトールが跳び出さないように抑える。
「…前方車両に人がいるけど、気づかないで降りられると思う」
「了解」
ヴィクトールは大人しくしているようだった。ジョンが彼を腕に抱え、駅の端から飛び降りる。私も前方車両の方向を警戒しながら続いて降りた。
雪が積もっていて、ただでさえ緩和される着地の衝撃は全くない。その代わり、制服によって軽減されていても非常に空気が冷たい。吐いた息は白く凍りついた。
時計の地図機能を起動する。妨害によるノイズがひどく、自分の居場所を探知するのにやけに時間がかかる。…細かい位置はわからないが、ルーゼンの首都キエフだろう。
それ以上時計に頼ることを諦め、私は肉眼で周囲を確認した。駅の端のホームのようで、人影はほとんどない。他のホームが並んで立っているが、列車の行き来も近くのホームには今のところなかった。
線路は有刺鉄線で街と区切られているが、今これを乗り越えれば、ひとまず人目に付かず街に紛れることが出来るだろう。
「妨害がひどくて、細かい位置はわからない。首都キエフのどこか」
「了解。とりあえず行くか」
「うん」
ヴィクトールを抱えたまま、ジョンがひらりと有刺鉄線を飛び越える。私もそれに続き、人目に付かないように気を配りながら線路から離れた。
駅前は一応、繁華街のようだった。しかし、まだ夕方なのにもかかわらず、首都付近とは思えないほどしんとしている。
店は申し訳程度に開いているが全く活気がなく、出歩いている人間もほとんどいない。たまにすれ違う人間は、視線を下げて周りを見ないように早足で歩いている。
「暗いとこだな」
「そうだね…ま、クーデター直後だし」
「まあな…あ、警官」
前方から歩いてくる警官から一応隠れるため、さりげなく路地に曲がって陰に身を潜めた。万が一相手がソレイユ候補生の制服を知っていれば存在が咎められる可能性があるからだ。まあ、セント・エトワール国外に候補生の制服まで浸透しているとは思えないけれど。それでも油断は禁物だ。
「どうすっかな…」
「どうしよう。現金持ってる?」
「いや、あんまり」
「私も。時計で降ろせるかな?」
「どうだろうな…国際銀行があれば普段は降ろせるけど…でも、いま国交断絶中だからな。凍結されてる可能性が高いし、監視されてたら最悪捕まるな」
「ううーん、そうだよね…」
「ノキア先生に連絡は?」
「するけど、妨害が強くて通信確定に多分時間がかかるから…もう少し落ち着いてからの方が無難だと思う」
「確かに。とりあえず、もうちょい目立たなさそうな方に移動するか」
「うん」
頷いて立ち上がると、突然、ジョンに抱えられていたヴィクトールがジョンの腕からひらりと跳び出し、雪上に着地した。
「うわっ」
「あ、ちょっ、おいで。ヴィクトール」
「おい、逃げるなよ。大丈夫だから」
猫なで声を出す私たちをちらりと一瞥して、ヴィクトールはそっぽを向いて数歩進む。
疲れるし、あんまり手荒な真似はしたくなかったんだけど…仕方ない、と捕獲に入ろうとすると、ヴィクトールが立ち止って振り向いた。尾をゆらゆらと揺らしながら、首だけ回してこちらを見ている。
「…?」
「なんだ?」
数歩近づくと、ヴィクトールも数歩離れ、そして止まって振り向く。私たちが困惑しているのを分かっているかのように、にゃあ、と鳴きさえする。
「?」
「ヴィクトール、こっちにこいよ」
「あ、いっちゃう…あ、止まった」
「あーもう、なんなんだ?」
「さあ…そのうち飽きるかな」
「さあな…まあ、繁華街からは遠ざかってるから、いーんだけどさあ」
ぼやきながら、私とジョンは優雅に歩くヴィクトールのあとを追った。




