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「……」
「……」
キメラの咆哮は止まず。避難ポッドは何故か動かず。あれからまだ数分しか経過していないが、何時間も経った気分だ。なにしろ、この避難ポッドの魔物避けがどのくらいの効果があるものか分からないのだから。
訓練施設の入口は絶大な効果だが、こっちはあくまで避難用であって籠城用では…あっもう考えたくない。キメラは今のところは遠巻きに様子を伺っているようだが、様子を伺えるってことは飛びかかれる可能性も…あっもう考えたくない。だれかたすけてー。
頭のすぐ上で、リストが思いのほか落ち着いた声で呟いた。
「これは、死ぬかもしれないな」
「…残念ながら、そのうち」
「まさか僕がこんな目にあうなんて」
「人生わかんないなあ…ってか超くさいんだけど体液」
「…僕が一番嫌だ」
「だろうね、だから責めたいわけじゃない。ただもう少し離れてください」
「無理、もうスペースがない」
「もおおおお!苛々するううう!」
「…悪い」
「へっ」
殊勝な声に、私は思わず顏を上げる。リストは俯いていて、いつもやや上から見下してくる紫の瞳が、どこか下の方を向いている。誰だこいつ。
「巻き込んだな」
「えっ…?いや、別にそうは思わないけど」
「見慣れないモンスターも斬ってみた。多分、術封じはあれの体液だ。結構浴びた。それに少し気が立っていて、キメラを引き寄せるほど派手に殺してしまった」
あ、そういえば大事なときに術封じとかにかかってたなこいつ!そういえば!いやいやでも、私がイライラしてる原因は、避難ポッドの不具合と、モンスターの体液のにおいがすべてである。
「いや、それは仕方ないよ。術封じをしてくるような新しいモンスターが入ったなんて、聞いてないな私」
「僕も聞いてないけど…実戦訓練施設だし、わざわざ知らせないかもね」
「ああ、まあ…でも原因はポッドの不具合で、これは完全に事故だよ」
「だけど…」
「ここで粘ってれば多分、助けがくる」
「それまでもてば、だろう」
「…いやまあそうなんですけど」
正論はやめて!先ほどよりも近づいているキメラの足音と、警戒音ではなく獲物への威嚇音と相まって、リストの発言は意味深すぎる。意味深と言うか、まあ、うん、死ぬかもねっていうそれだけなんだけど。
「とにかく、別に巻き込まれたわけじゃない。実戦訓練中なんだから」
「…ああ、まあアンタはそう言うと思った」
「ちょっと、何ごそごそしてんの?」
リストは上の方できょろきょろしてみたり、ポッドの壁を触ったりしている。ただでさえ狭いんだから、あんまりスペースをとらないでくれないだろうか。
「スイッチを…」
「何度も押したじゃん。もう一回やってみる?」
「いや、開ける方…緊急用に一応あった気がする…あ、これか、これだ」
「はあ!?」
確かに、あった気がする。実際に使うのは初めてだが、避難ポッドの使い方は授業で習うし実戦訓練もする。そのとき、万が一避難ポッドが不具合で開かなくなった場合の、シェルターを開けるスイッチについても習った気はする。がしかし。
「えっ…え?開けるの?死期が早まるだけだと思うけど」
「…」
「まじか!あーまあ、最後は華々しく戦って散りたいよね分かる。でも、それはシェルターが傷つけられてからでもできなくはないかも…いや、そうしたら身動き取れないまま殺される可能性もあるのか…確かにそれは嫌だな…」
「これ、本当は一人乗りだろう」
「え?うん」
「一人なら動くかもしれない。僕は出て戦うから、アンタ一人で起動してみろ」
「え…いや、二人でも動くって習ったじゃん」
「動かなかったら隣に移れ」
「いやいやいや、何言ってんの」
「言うとおりにしろ、良いな」
「するわけないじゃん」
「邪魔しないでくれ。アンタは足手まといだ。僕一人なら、勝てるかもしれない」
「…」
顔を上げると、いつものように…いや、いつもよりも更に偉そうにこちらを見下ろしてくる、紫の瞳とぶつかる。全く、いけすかない男である。
「ふうん…了解」
「……じゃあ、3カウントで開けるから」
「了解」
「………3、2、1、」
ゼロのタイミングでスイッチを叩き、リストがポッドから飛びだす。反射的と言っていい速度でそれに牙を剥くキメラに、あらかじめ用意していたであろう火炎を叩きこむ。
「フ・ラム!」
轟炎に包まれて一歩だけ後退したキメラは、直後にリストにとびかかる。私はその瞳2つを狙って引き金を引いた。両目をつぶされてキメラがもう一度ひるむが…分かってる、あいつには、大して効いてない。即座に印を結ぶ。
「…!」
リストは苛立った表情を一瞬こちらに向けたが、すぐにキメラに向け吹雪を放った。キメラは獣型だが、その体は頑強で、物質系、とも言われる。物質系を相手としたときの教本通りの攻め方。火も氷も大して聞かないが、温度差に弱いのだ。次は私が火炎。
「フ・ラム!…っと」
こちらに向け放たれた尾の一撃を紙一重のところで避ける。次の瞬間には逆方向からリストの吹雪。キメラは苛立ったように、咆哮を上げる。私は右手に銃を構え、目を撃ちぬきながら直後に火炎。逆方向から交互に攻撃することでほんの少しだけ鈍らせてはいるが、それでも弾丸よりも数段速いキメラの攻撃をいつまで避けられるかが、こっちの寿命だ。
「っ…おい!さっさと行け!」
「喋ってる暇あったら攻撃!」
お前の言うことなんて聞くわけないだろバーーーーーーーカ!
それは、本当に唐突だった。唐突に、キメラの動きが鈍り、与えた傷が即座に回復しなくなる。すかさずリストは両目を撃ち抜く。すぐに回復するそれを、逆側から私が撃つ。キメラはめちゃくちゃに、手や蛇のような尾で攻撃してくるが…どうやら見えていない。修復が間に合わなくなっている。この機を逃すわけには行かない。
数度は攻撃がかすめたが、幸いにも毒を持つ尾の攻撃はかわせている。いま尾を喰らったらその時点で終わりだろうけど、でもまだいける。もうこれ以上、魔力を放出するどころか練って術印を結ぶことすらしたくないが、まだできないことはない。銃弾はさっき再装填できたから、まだ13発入ってる。落ち着いて、焦らず、同じ動きを―――
「…!」
「やったか!?」
数度の攻撃ののち、キメラは地に伏して動かなくなった。それでも安心できず、攻撃を加える。本来なら一瞬で傷を治すはずのキメラの体は、傷を増やし、流れ出す体液の量をどんどん増やしていく。それだけだ。相手がただの肉塊のようになって、ようやく私もリストも、手を下ろす。
「……」
「これ、もう…修復してない、よね?」
「多分…」
「……」
「……」
「やったああああああ!私生きてる!生きてるよおおお!ああ!殺伐とした実戦訓練施設の空気すらおいしい!」
「こっの…ふざけるな!死ね!」
「はあ!?」
「避難ポッドを起動しろと言っただろう!」
「私がリストの命令を聞く義理なんてどこにもないですううう!」
「死ぬとこだったんだぞ!!!」
「お前もな!!!」
「っ…!」
「よし、さっさと逃げよう今なんか来たらまじで死ぬ…あ」
「おい、大丈夫か!?」
入口の方向から現れたノキア先生を見た瞬間、膝がかくりと崩れた。うわ、と言いながらリストが慌てて私の肩を支える。おお、やばいもう立つのもだるい。疲れているぞ私。ノキア先生に抱え上げられながら、私はどうにか気力を振り絞って軽口をたたく。
「先生…これ、評定上がりませんかね…」
「うっわあまたキメラって…お前らこないだから何なの?死に急ぎ過ぎだぞ」




