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「…ちょっと、離れ過ぎじゃないか?」
「精神的な距離が」
「そう怯えられると期待に応えないわけにはいかないな」
「ぎゃー!ちょっと、何もしないと言ったよね」
「…言っただけだな」
「最低だなお前!」
笑顔でこちらに近づいてくるクロムから、ゆっくりと後ずさる。ちなみに全部小声である。夜中だし、中で王太子が寝てるんでね。本当ならもっと大声で叫んでやりたい。最低だなーだなーだなー…ってやまびこ的なものが起こるくらい叫んでやりたい。
「何?一昨日からなんなのなんで急にいじめるの?」
「いじめてはいない」
「いじめっこはみんなそう言うんですうう!」
「…近づいてるだけだろう」
「ええー」
「いざと言う時すぐに対応できる距離にいないとな」
「いや、大丈夫だよ。自分の身は自分で守れるよ」
「…それは知ってる」
「ですよね!それどころか王太子も守れるわー守れちゃうわー」
「…マリーは、面白いな」
「それ、褒めてる?もしそうならありがとう」
「君を見ていると飽きないよ」
「見てる分には良いんだよ。触らないでね」
「…そうだな…だが、もう少しで任務も終るし」
「もう少しってほどでは…3日後のパレードが本番だよ」
「…はあ」
「なに?」
「…なんでもない」
「そう…ならいいんですよ…ついでにもう少し離れてください」
「却下」
諦めて、私は外に警戒を戻した。クロムがじっとこちらを見ているので、右耳にちりちりと痛いくらいの視線を感じる。いやー、見てる分には良いっていいましたけどね?そんなに見なくてもよくない?外とかほら見とかないと、なんか来るかもしれないじゃない。まあ大抵のことは他の感覚でカバーできるけど、やっぱり視覚は偉大じゃない。
「あの…外、見ないの?」
「見てる。たまにな」
「やる気出してこうよ」
「…ああ。だがまあ…相手が動くとしたら、パレードだろう」
「まあそうだけど。でも、裏をかいて気が緩んでる今、ここにくるかもよ」
「…そうだな。警戒は怠らないでおこう」
「うん、じゃあちゃんと外を見ようよ」
「…君が言ったんだろう、見てる分には構わないと」
「言いましたけど…えー…でもこれはおかしいだろ…」
「…そうだな。じゃあ、1度触れさせてくれたら、見るのはやめよう」
「はあ!?えっ…やだキモーい」
「…ふっ、どうする?」
「何その余裕余計キモい!っていうかクロムね、きみはわかってないみたいだけど、普通ね、女性には軽々しく触れてからかったりしてはいけないのだよ」
「…嫌がられたことはないがな」
「嫌がってんじゃないですか現在進行形で」
「ああ、まあ」
「そりゃあ、私はモブ顔ですけど…でも一応女性なんだよ…プレイボーイはお呼びではないタイプのね」
「ふうん…どういうのが、お呼びなんだ?」
「どなたもお呼びではないです」
「…ジョンは?」
「ジョンは割とお呼びですね。今すぐ助けに来てくれないか…ぐふっ」
ぎゅうううっと、音がしそうなほどきつく抱きしめられて、思わず私は変なうめき声をあげた。
「かはっ…し、しぬ」
「…マリー」
名前を呼んで、少しだけ力を緩められる。むせながら涙目で顔を上げると、クロムが困ったような顔でこちらをじっと見ていた。困っているのはあいにく私の方である。
「…すまない。つい、カッとなって」
「つい、で殺人はもっともよくないパターンだ!」
「すまない、本当に」
「はあ…」
何こいつ。力加減について本気で反省しているようなのだが、離す様子はまるでない。私で遊ぶのもいい加減にしてほしいものだ。しかし、さっきのがまるでハグというよりは攻撃か拷問だったので、一昨日よりは若干恥ずかしくなく、少し腹は立ちつつも落ち着いた気分でクロムを見上げることが出来た。
「もういいよ。じゃあ、離して」
「…」
見上げた顔は、こちらをじっと穴が開きそうなほど見つめていた。それだけで何も言わない。何も言わず、だんだん、近くなって――うわあ!?
「ぎゃあ!」
私が慌ててクロムを押しのけようとしたのと、空気を割く音にクロムが私を抱えたまま床に伏せるのは同時だった。ぱしん、とごく小さな着弾音。慌てて即座に警戒態勢を取る。印を結んで、強化魔術を自分に掛ける。視線だけで周囲を確認すると、クロムの立っていたすぐ後ろの壁に、軽く小さい銃弾が突き刺さっていた。
「これは…エトワール207型?」
「……」
エトワール207型は、セント・エトワールで開発された特殊銃弾だ。発射音も着弾音も反動も小さいが、威力は低い。貫通力がないのでその場に刺さって残りやすいのと、非常に小型なので小さな隙間に入るのが利点だ。モンスターの甲殻の隙間を狙って弱点をついたり、毒を仕込んで使うことはある。
「なんでこんな型の銃弾を…」
周囲に敵の気配はない。それに、こんな銃弾ではここでは何もできない。警告か何かのつもりか?私は眉を寄せるが、クロムはふうとため息を吐くだけだった。
「…警告だろう」
「うーん、一応王太子に」
知らせるべきか、という言葉は続かなかった。どん、っと音がして、私たちが今立っているバルコニーに、人影が飛び降りたからだ。警戒すべき気配ではなかった。恐らく、強化魔術を使用して脚力を上げて、あとは風魔術を使うか何とかしてここに飛び降りてきたのだろう。私もクロムも立ち上がる。
「ジョン」
「お前、何してんだ」
「…君には関係ないだろう」
ジョンは私の声にこたえず、クロムに駆け寄ると、胸元を掴む。クロムもジョンにキツイ視線を向けた。あれ?何やってんのこの人たちは。今は喧嘩している場合ではない。私は周囲に油断なく目を配りながら、それをたしなめる。
「ジョン、落ち着いて。今、被弾したんだ」
「知ってるよ!俺が撃ったんだから」
えっ?
「…はああ!?バカなの?死ぬの?」
「おまっ…お前な、俺が撃たなかったらどうなったと思ってんの?」
「えっ…いや、敵居ないよね?なに寝ぼけてるの君は」
「はああああ!?お前こそバカなの!?死ぬの!?」
「ちょっ、うるさいよ、声もっと抑えて」
「っ…何、何なの?マリーさああ…お前、もうちょっとなんかこう、焦るべき」
「え?」
「え?じゃねーよ!何ホイホイ抱かれてキスまでされそうになってんの!?」
「はっ…!そうだった!すっかり忘れてた!」
「もおおおお!」
そうだった!被弾の衝撃ですっかり忘れていたけど、クロムの顔が近づいてきて焦って逃げようとしたところだったんだった。忘れていた。
「焦ってたわ、さっきは」
「あっそう…それを、持続させた方がいんじゃない」
「…別にどちらでもいいだろう」
「クロムさあああ、もう、いい加減にして」
「ほんとだよ。何考えてんだよお前」
「…何を考えてるか、ね。言っていいのか?」
「いやいやもういい。とにかくね、私をからかって遊ぶのはやめてほしい。任務中だし」
「全くだ。お前たち全然見張ってないじゃねーか」
「…分かった」
渋々といったようすで頷くクロムの隣で、ジョンは呆れた顔をしている。
「ま、とりあえずマリーは俺と配置換えだな。あそこの西塔にあがっとけ。ライフル置いてあるから」
「了解」
強化魔術をかけて、風魔術の印を組む。あそこらへんまで飛べば、あとはいけるだろう、と大体の目測を付けて、私はバルコニーから飛び上がった。




