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「順平ちゃん」

「あー?」

 しきりにパソコン作業をしていた天宮は、貴樹の呼びかけに反応してめんどくさそうに顔を上げた。

 ツアーのリハーサル中である。都内のスタジオを借りて、ステージ上での動きや音の打ち合わせを行う。ちょうどお昼時になったので、他のメンバーは連れ立って食事に出かけていた。

 急ぎの仕事が残っているということで休憩時間をずらした天宮と、何となく一緒に出そびれてしまった貴樹だけが、人気がなくなって静まり返ったスタジオに残っていた。

 天宮は作業を中断して貴樹の方へ向き直り、首を傾げる。

「何か用か?」

 貴樹が手にしているのは、もうすぐ始まるツアーの日程表だ。ぎっちりと書き込まれたそのスケジュールは、最初に見たときには眩暈がしたものだ。今は見慣れてしまったが、それでも、これをこなすことを考えると不安を覚えることも事実である。

「用っていうわけじゃないんだけど……。俺、ツアー行きたくないなぁって……」

「はあ?」

 天宮はすっとんきょうな声を張り上げ、右手で口に運ぼうとしていたコーヒーカップを取り落としそうになる。慌ててそれを両手で支え、今度は落とさないように怖々と傍らへ置いてから立ち上がると、いじけたように床に座り込んでいる貴樹の方へと足早に近づいてきた。貴樹を見下ろしてじろじろと眺めやってから、どういう意味なのかはわからない溜め息をつく。

「そりゃあ、また、とんでもないことを言い出したな、貴樹。ライブ大好きで、スイッチ入ると周囲も見えなくなって酸欠になるまで走り回っちまうお前が、どこをどうしたらツアーに行きたくないとか言い出すんだ? 天変地異の前触れか?」

「……その言い方はひどい」

 貴樹の控えめな抗議など、天宮は聞く耳を持っていない。

天宮にとっては、貴樹の戯言などただの我儘にしか過ぎない。それをいちいち聞いていたら、身がもたない。そうでなければ、過密スケジュールの貴樹と共に動く総合プロデューサーなど、こなしていられないだろう。

「本気で言ってるのか?」

「……本気って言うか……そういう気分、ってだけ、だけど」

「気分は困るなぁ。チケットは完売してるんだが?」

 天宮の台詞は随分と空々しい。何を考えているのか、その表情からはわかりづらかった。

「……で、理由は?」

「好きな人が、できて」

「うん? それで?」

 にこにことして続きを促しながらも、その実、天宮の目は全く笑っていない。

 とんでもないことを言い出した貴樹を警戒しているのは、明らかだ。とは言え、天宮のことだ。ついでに、貴樹のその理由を聞いてからかう材料にしようとしているのも、想像の範囲内である。

「ツアーとか行っちゃったら、会えなくなるかなーって……思って。それで……その、嫌かなーとか……」

 歯切れ悪くぼそぼそと言い訳をする貴樹に、天宮は目をまるくした。

「そんなの、仕方ないだろ。それがお前の仕事なんだから。そう言ってわかってくれないような彼女とのお付き合いは、俺はお勧めしないね。そんな程度で別れるだの何だのという騒動になるんだったら、最初からやめとけっての。大体、お前、前の彼女で懲りたんじゃないのかよ?」

「いや、その……えっと、知らない、から」

「は? 知らないって、何を」

「だから……その、俺がテレビに出てたりとか、REAL MODEの東城貴樹だとか、そういうの……全然、知らない人で。たぶん、俺のことはフリーターか何かだと思っているんじゃないかなぁ」

 天宮は一瞬絶句し、それから、感心したようにつぶやいた。

「そういう奇特な人種って、いるんだな」

「順平ちゃん、自分を基準に考えるのやめなよ。皆が皆、順平ちゃんみたいに家にいる時はテレビつけっぱなし、っていう生活をしてないと思うよ。俺だって、普段はテレビなんか見ないし。俺が見るのはアニメだけだし、うちの液晶はアニメとゲームしか映さないもん……」

「お前こそ、その基準はおかしいぞ。それから、もん、とか言うな。気持ち悪い」

 天宮の突っ込みをスルーして、貴樹はぼんやりと先を続けた。

「こういう仕事してるから、別にテレビを見なくたってある程度のことはわかっているけど、考えてみたら、テレビを見ないでも平気で生活している人間って結構いると思うよ。俺だって、自分が関わっていなきゃろくに知らないって言えるし。だってさ、考えてみてよ、順平ちゃん。俺がテレビに出る時って、REAL MODEの……って形容詞がつくわけでしょ。興味がなければ、俺の名前なんか覚えてないと思うんだよね。REAL MODEっていう名前は知っているかもしれないけど、ただそれだけだ。興味がない人にとっては、REAL MODEがバンドじゃなくて製作集団の総称で、実質的に表に出ているのは俺だけしかいない、他のメンバーはほぼ裏方に徹しているんだってこと、どうだっていいことでしょ?」

「まあ、それは確かにそうなんだが」

 と、天宮は溜め息をつく。

「別に、テレビじゃなくたって、お前の露出はそこかしこにあるだろうが」

 雑誌だとか、CMだとか。

 それでも、知らない人は知らないでいられるのだということを、貴樹は彩と会って初めて実感した。きっと、興味がないから、見ていたとしても記憶には残っていないのだろう。そういうこともあるのだと、言われてみればわからなくもなかった。

 自分だって、好きなアニメの声優が誰なのかは把握していても、CMに出ているタレントが誰だということまではきちんと把握していないのだから。

「んー、でも、俺、自分がそうだからわかるけど、興味がないってことは記憶に残らないってことなんだと思う。あの人は、テレビとか全然見ないみたいだし、すごくまじめな人みたいだから、俺みたいなちゃらちゃらした外見のオトコなんか、テレビで見たとしても記憶からデリートされてるんじゃないかなぁ」

「……で?」

「で、って何?」

「どうして、そういう相手と知り合うようなことがあったわけ?」

「えーと、そのぅ……」

 そもそも、最初から相談をもちかける相手が間違っている。

 しかし、誰に相談することもできず、考えすぎてもはや思考回路が纏まっていない貴樹は、最も警戒するべき人物の一人に話をしていることに気づいていない。天宮に話せば最後、メンバー内に全てをばらされて吊るし上げの対象にされかねないことくらい、経験でわかりそうなものなのに。

 それは、貴樹が無意識に天宮を信頼していると捉えられなくもなかったが、そうではなかった。

 貴樹には、相談しているつもりはまるでなかった。ただ、もやもやと抱えている気持ちを吐き出したかった、それだけだった。

 もつれてしまっている、思考の糸。それを解す手がかりを見つけるために、ただ、とりとめもなくこのことを喋っていたい。そんな心境だったのだ。

「その気持ちはわからなくもないけど、それで、お前はどうしたいんだ」

 貴樹が一通り喋るのを聞き終えた天宮は、呆れたように口を挟む。

「どうしたいって……え?」

「ツアー、中止にしたいのか? そこまで責任感のないことを言い出すつもりか? それとも、その彼女と別れたいってのか? お前の話は支離滅裂だが、話を聞いている限りはその二択しかないだろ」

「そういうわけじゃ……ない。大体、そんなの、選べるもんじゃないし」

「じゃあ、どうするんだ?」

「どうするって言われても……」

 いや、そもそも、付き合ってもいなければ、好きだと言ってもいない。前提条件が全然違うのだが、そこまで言う必要はない。

「今、貴樹が言っているのは、そういう二択をしなきゃならない、っていうふうに聞こえるぞ。選びたくないなら、そういう極論に走る必要はないだろ」

「だって……」

「だって、じゃねえだろ。別に、俺はお前がどんな彼女を作ろうと、それが常識の範囲内なら止めるつもりはないね。俺はお前が簡単に今の自分を放り出すような小さい器の奴だとは思ってないし、そういうお前について来れないような女なら、正直言って、今のお前には不要だとは思ってる。ただな、俺はREAL MODEのプロデューサーだから、お前も含めた全員で作り上げた〝東城貴樹〟っていう偶像を壊すつもりなら、それは、全力で止める」

「……」

 貴樹は答えられずに、天宮から視線をそらす。

「今、お前にとって一番大切なものは何だ? 目の前にあるツアーじゃないのか。それを成功させるために、お前はどれだけの努力をしてきた? お前が今やるべきことは、ツアーをこなすことだろ。それ以外のことは、何かが起きてから考えろ」

「順平ちゃん……」

「何だ、答えられないのか? まさか、前の彼女みたいに捨てられたらどうしよう、とか、そんな純情一直線なことでも考えているわけか?」

 図星を指され、貴樹はぐっと言葉に詰まっテうつむいた。

 自分で純情なのかどうかなんてことは、考えたことはない。だが、その一件が貴樹の中で尾を引いていることは事実で、それは天宮も知っている。

 以前に、付き合っていた恋人。こうしてデビューする前からの付き合いで、ひとつ年下だった。彼女となら、もしかしたら、いずれは結婚するのかもしれないと、当時はぼんやりながらも考えていた。

 けれど。

 思いがけずデビューのチャンスに恵まれて、それが上手く軌道に乗ってREAL MODEの知名度が高まるにつれて、彼女といられる時間は必然的に減って行った。自分の想いとは逆に、彼女との距離は加速的に離れて行った。そして、それはREAL MODEとしてもとても大事な時期で、貴樹には私生活を省みてどうにかする余裕はないも同然だった。

 そして、彼女は出て行った。一言も言わず、手紙すら残さずに。

 ツアーで地方に出かけて家に帰ると、部屋の中には誰もいなかった。数年間共に暮らして、築き上げてきたはずの彼女との居場所は、何もない寒々しい空間に変わっていた。

 郵送されて来た、見覚えのある彼女の文字で宛名の書かれた封筒。そこに入っていた部屋の鍵。ただ、それだけのさよなら。

 彼女のことが、好きだった。会えない時間があっても、それまでに積み重ねたものが何とかしてくれると、そう思っていた。それが間違っていることに気づいたのは、彼女が出て行って一人ぼっちになってからだったのだ。

 後になって、共通の友人から彼女の言葉を聞いた。

 彼女は、REAL MODEの貴樹には用はない、そう言っていたと。

 歌っている貴樹が好きなのだと、だからよかったねと、デビューを喜んでくれた。最初はあまりうまく行かなかったけれど、ふとしたきっかけで売れたことを喜んでくれたのは、仕事が増えるたびにはしゃいでくれたのは、全てが嘘だったのかもしれないと思い知らされた。たとえ、その時には本当の気持ちだったのだとしても、冷めてしまえばそれだけの残酷な言葉を吐けるのだと、そう思ってしまった。そして、何も知らない友人の無責任な伝言は貴樹を追い詰めた。

 怖い。

 思い出せば今でも切なくなるあの日の想いは、この瞬間にも心の奥に残っているのだから。

「……たぶん、順平ちゃんが思っているようなことは、違うと思う。でも、俺は」

「でもな、貴樹。どっちにしたって、お前がREAL MODEの東城貴樹である以上、いずれは避けて通れないだろうが。先に事情を話しておけば、必要以上にこじれることもなくなる。ツアーに出なきゃならないのは、この先だって同じなんだぞ。全部話して、それでも別れるだの何だのという話になるんだったら、そんな女はやめとけ。お前にはふさわしくない」

「でもさ……順平ちゃん」

「何だ」

「今の順平ちゃんの話は、ひとつ、間違えてる」

「はあ?」

 何が間違いだ、と、天宮は貴樹を睨む。

「実を言うと……その、まだ、付き合ってもいないんだよね……」

「……お前は、中学生か何かか……? ツアーに行きたくないだの何だのって騒ぐ前に、やるべきことがあるだろう!」

 とっとと告白して来い、悩むのはそれからで充分だ! と、天宮は貴樹の背中に容赦のない蹴りを入れた。

「……言われなくてもわかってます……」

 そして、貴樹の『恋の話』は。

 当然のことながら、その日のうちに天宮によってメンバー全員に面白おかしく語られることとなった。やはり、話す相手を間違っていたとしか思えない貴樹の行動であった。

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