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 彩に教えられた自宅の近くまで車で迎えに行って彼女と合流すると、そのまま、目的の場所へと向かった。全く知らない道ではないが、道がわからなくてうろたえるという醜態を晒したくなくて事前にナビにも登録してきたから、無事に目的地付近へと到着する。会場自体に駐車場はなかったから、あらかじめ調べておいた近くのパーキングに停めた。

 雨は朝よりは小降りになっていたが、それでも、傘を差さずに歩けるほどではない。

 誰にも見つからないといいなぁ、と思いつつ、貴樹は車を降りて傘を開いた。

 一応、貴樹は変装になっているのかいないのかもわからない伊達メガネを掛けて、帽子を目深にかぶっている。いつもの緩く編んだ三つ編みを隠すのは無理だが、何もしないよりはマシだ。……たぶん。

 雨が降っているから傘の下まで覗きこむような人間もそれほどいないだろうし、会場に自分を知っている人間がいるとも思えないし、この程度で何とかなるだろう。

「ねえ、あなた、目が悪かったの?」

「いや……えーと、これはオシャレです」

 へらへらと笑って、何でもないことのように装ってそう誤魔化す。

 車の中での会話は、思っていたよりもはずんだ。最初こそ敬語で喋っていたものの、それはすぐに気安い空気に変わった。話題は他愛もないものでしかなかったけれど、そんな当たり前のことがひどく嬉しかった。

 ここまで来ても、彩は本気で貴樹が芸能人であることに気づいていないらしい。それはそれで新鮮で、嬉しくて、このまま知られないままでいたいと思っていたりするのが、本音だ。そして、そんな時間が無粋な誰かの手で壊されることがないといいな、と思う。できる限り目立たないようにしようと決めて、彩と並んで会場へ向かう。

 貴樹の変装の言い訳を、彩は特に疑ってはいないらしい。そのことにほっとしている自分が何だか情けない気がしたけれど、すぐにそんなことはどうでもよくなった。

 会場に着いてイベントの看板を見た途端、貴樹はやたら緊張して来てしまったからだ。

 ここに誘ってくれたのは、彩の方だ。だから、彼女は自分のこの趣味を馬鹿にしてはいないのだろうと思うことはできる。それでも、不安になってしまう。そのうえで早くナマの原画が見たいと気が急いてしまうのも手伝って、挙動不審になってしまったのである。

「どうかした?」

「……いや、緊張して」

 彩が訝しげに尋ねたのに思わず正直に答えると、彼女は驚いたように目を瞬かせる。

「緊張?」

「うん、その……いろいろと」

 もごもごと言い訳をしているうちに、会場入り口まで辿り着く。

 雨のせいなのか、それとも、招待客しか入れないからなのか、それほど人はいない。落ち着け俺、と念仏のように唱えながら傘を閉じて水滴を払っていると、彩がカバンの中から小さなタオルを取り出した。

「これ」

「え?」

「東城くん、服、濡れてる。拭いておいた方がいいと思う。その服、すごく高そうなブランドだし」

「あ……そ、そう見える?」

 実を言うと、今日の服装はスタイリストに選んでもらったものをそのまま着て来ている。要するにズルをしているのだ。それは、自分に自信がないからだ。今の彩の言葉は自分のセンスを褒められているわけではないから喜んでも意味はないのだが、何となく嬉しくなった。

「うん、見える。東城くんって、最初のイメージとかなり違うね」

 彩がそう言い出したので、どきりとして彼女を振り向いた。

「そう、見えるかな」

「うん。前にも言ったけど、最初は、あまりいい印象がなかったし」

「……ごめんなさい」

「まあ、あのことはもういいんだけど。それに、今の方が楽しくて好きだな」

 好きだな、と言われて、貴樹は舞い上がりそうになる。

 彩の言葉はただの好意の表れにしか過ぎないのだとしても、それでも、そう言ってもらえるだけで嬉しかった。

「本当に、イメージがくるくる変わる人だと思うよ」

「そう……なの、かな?」

「最初はどこの馬鹿が来たのかと思ったんだけど……まあ、きちんと話してみれば、さほどでもないよね」

 さほどでもない、という言い方は、よくよく考えてみればそこそこ馬鹿だと言われているようなものに思えるが、貴樹にはそれは些細なことだった。

「そうかな」

「うん。面白いと思うし」

 面白い、というのが、喜んでいいのか悪いのかはわからないが、嫌われているよりはいい。

「面白い……ねぇ」

「私はこういうのにまるで興味がないから、大輔に何を言われても来る気になんてならなかったけど、知らないものを見るのは新鮮だと思うよ」

 会場内をゆっくりと見て歩きながら、展示されているものについて言葉を交わす。

 じっくり見たいのと、彩と喋るのに気を取られそうになるのとで、貴樹の意識は目まぐるしく切り替わる。

 うっかりするとスイッチが入って薀蓄を語ってしまいそうだし、かと言って、黙ったままでいるというのも何だか微妙な空気が漂う。やはり、こういうのは一人で来るべきだと思うが、誘いを断らなかったことを後悔するつもりもない。

 様々な想いが交錯して、貴樹の思考回路はほとんど不審者だ。絵を見たり、隣の彩を見たりと、視線の動きが怪しいこと極まりない。招待客しかいない日でよかった、と言うべきかもしれなかった。

 話を聞いている限り、彩がこの手のものにほとんど興味がないと言うのは、事実らしい。ナマの原画の美麗さに興奮のあまり、舞い上がってべらべらと喋りそうになるのを必死で堪えながら、彩から向けられる質問にひとつひとつ答えて行く。幼馴染だというのに、彼女は彼の仕事の内容をほとんど知らないらしく、それを説明するたびに驚くのを見るのは楽しかった。

 スケジュール的には、このイベントに来ることすら難しかった。今日が空いたのは偶然だったし、空いていたとしても、彩が招待券を持っていなかったら入ることもできない。もし、奇跡的にこのイベントに来ることができていたとしても一人で見ているだけだったのだから、こんなふうに誰かに話してその場の感想を聞いてもらうというのは、またとない機会だった。

 それでも、と疑問に思う。

 何故、彩はこのイベントに誘ってくれたのだろう。

 確かに彩の幼馴染がミサカダイスケだというのは事実なのだろう。興味がないという彩が、このイベントの招待券を持っていることから、それはわかる。だが、だからと言って、それが貴樹を誘う理由にはならない。もちろん、誘われたのは嬉しかったし、こうして彩が楽しんでいるように見えるのも嬉しいのだけれど、その真意がどこにあるのかを思うと不安になる。

(……やっぱり、俺、彩さんのこと好きになっちゃったのかなぁ)

 冷静に考えてみると、自分は彩に恋をしているように、思う。彼女の一言が嬉しくて、彼女の隣に立つことが幸せでたまらない。大体、降って沸いた急なオフに彼女に誘いを入れようとすること自体が、その証拠だ。いつもなら、たまのオフに出かけるなんてことを考えたりはしない。録画アニメの消化か、積みゲームを眺めてニヤニヤするか、そんな程度に決まっている。

 彩との時間を、もっと持ちたい。今の貴樹の状況が、それを許さないのかもしれないとわかっていても。

 それほど混みあっていなかった原画展をゆっくりと見て回ってから、近くにある駅ビルへと食事のために移動した。 

 そこそこに混んでいる駅ビルの中を話しながら歩いていると、彩が気に入っているというブランドショップを見つけた。そこで買い物をしたいという彩に付き合って何点か選び、彩が会計に並んでいる間、貴樹は人の邪魔にならないように店の外に出ようとする。

 その瞬間、入ろうとしてきた制服姿の女の子とぶつかりそうになった。

「あ、すみません」

 咄嗟に謝ると、ぶつかりそうになった女子高生と思しき彼女はうつむいていた顔を上げて、貴樹の顔を見た。その表情に、「あれ?」という驚きが浮かんでいる。

 やばい、と思うのと同時に帽子を引き下げて、表情を隠す。

 だが、彼女は貴樹の顔を見てしまっただろう。目の前の表情が変わったのがわかる。顔を隠したところで、今更だ。

 それでも、いきなり声をかけることには躊躇いがあるらしい。彼女が迷っている隙に、貴樹はさっと身を翻して店の外に出た。

 心臓の鼓動が速くなる。今のはまずい。おそらく、完全にばれた。視界の端に、彼女が遅れてきたらしい連れの少女と、何やらこそこそと耳打ちしあっている様子が窺える。一人では難しくても、二人になったら声をかけてくる可能性は大きい。

 どうしよう、と思う。とにかく、彩に知られる前に何とかしなければならない。

 ちらりと店内へ視線をやれば、会計に手間取っているらしく、彩はこちらに背を向けたままだ。どういう展開になったとしても、今なら彩に知られずに済む。自分一人でなら、どうにでも切り抜けられるはずだった。何か言われたら他人の空似で押し通せばいいし、見つかって声をかけられた時、貴樹はいつもそういう手段で逃げ出していた。オフィシャルで見せている貴樹の雰囲気と、オフの時の貴樹とのギャップがかなりあることから、実はその成功率は高い。追っかけに近いファンにそれは通用しないが、一般人ならそれで通る。

「あの」

 嫌な予感というのは、こういう時に限って当たるものだ。

 二人になって気が大きくなったのか、押し問答をしていた二人の少女が、店の外に出た貴樹の方へ近づいてきて声をかけた。 

「……何」

 意識して声色を変えて、いつもとは違う自分を演出する。こんなことで誤魔化せるかどうかなんてわからないけど、やらないよりはいい。

「あのっ、東城貴樹さんですよね。REAL MODEの」

「違います」

 間髪入れずに、即答する。

 少女たちは顔を見合わせ、更に言い募った。

「え、でも」

「迷惑なんだよね。よく似ているって言われるからさ。君たちみたいに、図々しく声をかけてくるのがたくさんいるし」

「……えっ、あ、あの、ご、ごめんなさい……」

 瞬間、泣きそうになった彼女に、ほんの少しだけ良心が痛んだ。これが、彩と一緒の時でなかったとしたら、もう少し優しく断れたのかもしれない。断らずとも、にっこり笑ってサインの一枚くらい書いてあげて、本当はプライベートの時にこういうことはしないで欲しいんだって、優しく怒って釘を刺して。

 だって、彼女たちは性質の悪い追っかけ行為をしたわけではないし、たまたま見かけて声をかけてしまっただけの、一般の人だと思うから。

 だけど。

 今は、貴樹はそんなふうに思える余裕がなかった。自分でもおかしいと思うくらいに、他人を思いやれる余裕がなくなっていたのだ。

 彩に自分のことを知られたくない。その気持ちだけが先走ってしまって、そのことしか考えられなくなっていた。

 貴樹に冷たくあしらわれて泣きそうになって去っていく二人組を見送っていると、ようやく会計を終えたらしい彩が店から出てきた。

「……どうかしたの? 知り合いでもいた?」

「ううん、別に。人違いされただけ。それよりさ、お腹空かない? 早くご飯食べに行こうよ」

 ここには個室があるような高級なレストランはなかったから、テイクアウトで車の中で食べるか、それとも、移動するか。どっちがいいかなーなんて考えながら、貴樹は戸惑う彩を促して歩き出した。

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