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 その、翌日のこと。

 貴樹は、事務所で次のツアーについての打ち合わせをしていた。ツアーについて回るサポート・メンバーとの最終的な打ち合わせや、総合プロデューサーである天宮も交えての最終確認など、やることは山のようにあった。

 ツアーの日程は、もう随分と前から決まっていたことで、チケットはファンクラブ内だけでほぼ完売状態と聞いている。一般発売がこれから行われる場所もあるらしいが、それで手にすることのできる人数は限られているらしい。

 本格的なリハーサルに入るまでにはまだ時間があるが、既に秒読み段階と言ってもいい。今日の打ち合わせは、何度目と数えるのもわからないくらいに積み重ねられてきた話し合いのひとつだった。

 それぞれに意見を出し合い、ライブの細かい点を打ち合わせて行く。それは濃密な時間で、ライブという空間が好きな貴樹にとっては楽しいものだった。

 すると、突然。

 話し合いの中でメインとなっているはずだった天宮が、急に言葉を止めた。

「……どうしたの、順平ちゃん」

 いきなり止まった会話の流れにきょとんとして、貴樹が顔を上げて天宮に問いかける。天宮は意地悪そうに少しだけ唇の端を上げて薄く笑い、意味ありげに隣と目配せを交わす。

「な、何だよ、感じ悪いな!」

 ムッとした貴樹が抗議の声を上げるのを聞き流して、天宮は机に頬杖をついた。

「……貴樹さぁ、今日、妙にテンション高くない?」

「へ? え、そう?」

「昨日、撮影の後、挨拶もそこそこにすっ飛んで帰ったって、栗ちゃんに聞いたんだけどさ。それと、関係ありますかね?」

 栗ちゃんというのは、貴樹のマネージャーである。栗原和子くりはらかずこというのが彼女の本名だが、ここでは誰もその名で呼ぶことはない。メンバーの中では、栗ちゃんで通用する。いや、今の問題はそんなことではなかった。

 余計なことを喋りやがって、と思いつつも貴樹が栗原をにらみつけると、彼女は無関係だとでも言いたげに視線をそらした。

 この裏切り者、と、貴樹は内心悲鳴を上げつつ、頭の中で目まぐるしく言い訳を考える。天宮が何を考えているのか、何をしようとしているのか、推し量れないほど付き合いが短いわけでもないのだ。

 そんな貴樹の心の内を知ってか知らずか(おそらくは後者だ)、天宮はやけに楽しそうな満面の笑みを浮かべた。彼がこういう表情をする時に何が起こるのかは、大抵決まっている。ここにいるメンバーのうちの誰かが、彼の吊るし上げを食らうのである。そして、そのターゲットは高確率で貴樹だと決まっていた。

 今日の犠牲も、どうやらそこで決定らしい。

「……そっ、そそそそれは、何の関係もな……」

 そんな言い訳をするだけ無駄だと思いつつも、貴樹は何とか回避しようと無駄な抵抗を試みる。

 いつになく裏返った声音と妙につっかえた物言いとで、何かありますと宣言しているようなものだ。案の定、天宮はにたりと笑みを深めた。

「っつーか、貴樹、お前、俺さまに隠し事をしてもいいとでも思ってんの?」

「……や、思ってないですけど……」

「んじゃ、吐け。キリキリと吐け。今すぐにな。その、妙に高いテンションの理由は何だ?」

「嫌だ。言わない」

 貴樹はそう言いきって、言ってたまるかとばかりに天宮の視線から逃れてそっぽを向いた。

 女に手が早くて飽きるのも早い、という評判のこのプロデューサーに、彩の存在を知られてなるものか、と思ったのだ。

 たとえば、彩が貴樹の恋人であったとしても、それを横からかっさらって行くようなえげつない真似は、とりあえず、この男に関してはありえないだろうと思っている。その程度の信頼関係は築いているし、天宮だってそんなことでこのプロジェクトに亀裂を入れるようなことはしないはずだ。だが、それをネタにしてねちっこくしつっこくからかわれるであろうことは必須であり、それだけは避けたかった。

 ……いや、もはや、この話題が出た時点で遅いとも思わなくはないのだけれど。

 天宮の笑みは、既に玩具を見つけた時のそれを大差ない。

「……その笑い方、怖いんですけど」

「そうか? 俺は笑顔が素敵ですとよく言われるんだがな?」

「あんたの笑顔は胡散臭いですよ!」

「ほう、東城貴樹くん、君はプロデューサーさまに逆らうのかね?」

「逆らうとか、そういうんじゃなくて、俺はあんたの玩具じゃないっての!」

「順平ちゃん、貴樹の携帯は確保しましたよ。履歴もばっちり残ってます」

 別の方向から、別の声がとんでもないことを言っているのが聞こえ、貴樹は驚いてそちらを振り向いた。

「あああああ!! お、俺の携帯!!」

 打ち合わせの最中に携帯が鳴っては困る、と律儀に考えて、ご丁寧に電源まで切って自分から離れた場所に置いたカバンに入れておいたのがまずかった。貴樹が天宮との会話に意識を奪われている間に、それを聞いたメンバーの一人が勝手にカバンから携帯を取り出し、電源を入れた挙げ句、履歴をチェックしようとしている瞬間だった。

「返せよ!」

 焦って飛びつくようにして、その手から携帯を奪い取る。

 にやにやする相手を睨みつけて、携帯を胸元に抱え込んだ。

 持ち主に無断で携帯を手にしていたのは、ツアーのサポート・メンバーであるギタリストの沢口彰さわぐちあきらだ。彼は貴樹に奪い返されたのが心外であったらしく、やけに不満そうな顔で貴樹を見据えた。

 心外なのはこっちの方だ、と、貴樹は心の中で愚痴る。

 このメンバーは気心も知れているし、大好きだ。しかし、人をからかうことを何よりも楽しんでいる天宮の下では、貴樹のヒエラルキーは一番下だ。世間的に見れば、メイン・ヴォーカルである貴樹がこのプロジェクトを引っ張っているように見えているのかもしれないが、実際は逆である。貴樹は天宮の体のいい玩具と化していることが多いのだ。

 そんな天宮の号令があれば、貴樹のプライバシーなどどこ吹く風となる。油断も隙もないとは、正にこのことだった。

 大体、貴樹の感覚からすれば、今は真剣な仕事中なのだ。だから、携帯の電源も切っていたし、そういうふざけたことはしてはならないと思っている。なのに、天宮にかかれば真剣さなどあっという間にどこかに吹き飛んでしまう。根が真面目でバカ正直な貴樹は、そのたびに天宮の餌食である。

 ここの連中に正論を説いてみたって意味がない。そんなことは、今までの経験で嫌と言うほどわかっているはずなのに、つい反論を試みる。

「な、なんで、人の携帯を勝手に見るんだよ! それに、今は打ち合わせ中じゃないか!」

「関係ないだろ。気になるから見るんだよ。可愛い貴樹くんが色気づいたのかと思うと、俺としては心配で夜も眠れないね。前の彼女にこっぴどく振られたの、忘れたわけじゃないだろ?」

 天宮がそう言うと、沢口が同意するように大きくうなずいた。

「そうそう、いきなり出て行っちゃったんだよねぇ。同棲までしてたのにさ。貴樹、あの後、かなり落ち込んでたじゃないか」

「あー、そうだったそうだった。REAL MODEの東城貴樹に用はないんだっけ? ひどいこと言うよねぇ」

 頼みもしないのに、人の古傷を抉るようなことをほざき、にやにやと笑う天宮。どっちがひどいんだ、あんたが鬼だと思うが、天宮のことを嫌いになれるわけではない。口ではこんなことを言ってはいるが、あの時、貴樹のことを誰よりも心配して憤慨してくれたのは、天宮だからだ。

 それでも、時折、殺意が芽生えることに違いはない。彼のことは好きだし、好きと言うよりもむしろ尊敬に近い目で見ているのだが、こういう時は本気で憎らしい。

 この人たちの前で気を抜けば、何をされるかわかったものではない、と、貴樹は思っている。それでも、性懲りもなく毎度ターゲットにされてしまうのは、貴樹がこのメンバーを信頼していて無意識に気を抜いてしまっているからなのだろう。

 貴樹は憮然として元の席に戻り、がたんと大きな音を立てて椅子に引いた。そこにいた全員の視線が一斉に貴樹に集中したが、それを払いのけるように口を開く。

「時間、あり余っているわけじゃないんでしょ。打ち合わせ、続けませんか」

 表情を崩さずに、貴樹はそう言う。

 だが、その瞬間に返ってきたのは、まるで責任転嫁のような台詞だ。

「いや、俺も、打ち合わせを続けたいのは同意なんだけどさ。何しろ、昨日のことが気になっちゃってねぇ」

「そ、それは俺のせいじゃないですよね!?」

「うーん、貴樹のせいかもなぁ?」

 そんな天宮の楽しそうな声を無視して座ろうとして腰を落としかけたところを、いきなり音もなく近づいてきた相手に羽交い絞めにされる。そっちに気を取られた隙に、脇から天宮が手を伸ばして貴樹の携帯を奪い取った。

「……さて」

「さて、じゃねえだろっ! 俺のプライバシーは無視か!?」

「なーに寝言を言ってんの。俺たちは、純粋に貴樹を心配してるんだよ? さー、沢くん、俺がチェックしている間、そのアホ犬押さえといて」

「アホ犬って言うなぁ!」

「どうせ、履歴を消すとか、ロックをかけるとか、そういう真似はしていないんだろ。可愛いね、貴樹は」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ貴樹を横目に、天宮は携帯を楽しそうに開く。今ほど、きちんとロックを掛ける習慣を持っていなかったことを悔やんだことはない。貴樹の身体を拘束する沢口の力は強く、振りほどけない。じたばたと暴れても、拘束する腕の力が緩むことはなかった。無駄だとわかってはいても、暴れるのをやめることはできなかったけれど。

 今後は、ちゃんと暗証番号つきでロックをかけるべきだ。でないと、次にはメールを見られるどころか、周囲に転送されてばら撒かれてしまいそうだ。

「最新のメールの送信先……へぇ、女か?」

「返せってば!」

「貴樹が最初から素直にこれを渡せば、俺たちだって乱暴なことはしないんだよ?」

 まるで、今の状況は貴樹が悪いかのような言い草である。天宮のこういう態度は今に始まったことではないが、毎度玩具にされる貴樹にしてみればたまったものではない。

「そ、それって俺のせいなの?」

 無駄な抗議を、さっきから何度繰り返しているだろう。貴樹はそう思いながらも、なけなしの抵抗を試みる。ここで屈してしまっては、次からは更なる玩具扱いが待っているに決まっているのだ。

「大体さ、昨日の時点で警戒しないわけ? 普段は身なりにろくに気も使わない、たまにお前どこのオタクだよってな格好をしている貴樹が、だよ。昨日に限って、撮影の後にメイクも直さず、衣装さんに揃えてもらった服をそのまま引き取って帰るってのがおかしいことくらい、バカでもわかるだろっての。その理由を邪推したくなるのは、人として当然だろ? どうせ、女絡みだろ。ああん?」

「順平ちゃんに関係ないだろ! 昨日は、たまたまそういう気分で」

「たまたま、そういう気分? やっちゃんにお願いしたんでしょ。これから出かけるから、いい印象を与えるメイクをして、って」

 安野のヤツ、そんなことまでこいつに喋ったのか!

 貴樹は、内緒にしておいてくれと頼んだはずの秘密が、既に全く機能していないことに気づいて、うなだれた。

 やっちゃんこと安野泰司やすのたいじは、貴樹のヘアメイク担当のスタッフだ。彼がいるからこそ、REAL MODEの東城貴樹のメイン・ヴィジュアルが完成しているのだと言っても、過言ではない。彼の存在は欠かせないし、だからこそ、彼の技術には絶対の信頼を置いている。

 だから、昨日。

 撮影の合間の控え室で、貴樹はこっそりと安野に頼んだのだ。少しでも彩に好印象を与えたいと思ったけれど、自分でそういう演出をすることにまるで自信がなかったから、つい手近にいるプロに頼んでしまった。とは言え、安野は身内も同然のスタッフである。遠からず天宮には知られるだろうとは思ってはいたが、昨日の今日とは早すぎる。

 それでも、それを甘受して天宮の言いなりになっているほど、貴樹も気弱ではいられない。

「強情になるのは、感心しないなぁ、貴樹くん? そんなふうに力いっぱい否定されちゃうとさ、余計に詮索したくなるのが人間ってもんなんだよねぇ」

 その理屈は確かに正しいのかもしれないが、甚だ自分本位であるとしか思えない。

 と、その時。

「いい加減にしなさいよ、あんたたち!」

 それまで黙ったままで事の成り行きを見守っていたマネージャーの栗原が、たまりかねたように叫んだ。

「今は、何の時間かしらねぇ、天宮? 打ち合わせの時間だったような気がするのは、私の勘違いかしら? すぐに悪ふざけは終わるかと思っていたけど、いつになったら脱線は修正されるの! どうして、あんたたちはそうもいい加減かなぁ!?」

「そんなこと言ってるけどさ、栗ちゃん。昨日の夜、一番知りたそうにしてそわそわしてたの、自分だってわかってる? 明日、貴樹吊るし上げようぜーって息巻いてたのも栗ちゃんだし。何と言っても、栗ちゃんがREAL MODEの東城貴樹のイメージを作り上げたんだし」

「確かにね、私が気にしているのは事実よ。でも、東城くんの恋愛沙汰よりも、今はツアーの最終打ち合わせの方が大事でしょ? REAL MODE初挑戦の全県ツアー、しかも、半年で六十本近いライブをこなさなきゃならない。くだらない騒ぎを起こして打ち合わせの進行を邪魔するなら、たとえ天宮でも許さないからね」

「うわぁ、栗ちゃんこわーい。まあ、そう言われたら仕方ないね。真面目にお仕事に戻りましょー!」

「それから、東城くん」

「……はい」

「別に、うちは恋愛を禁止してないわ。でも、今の自分の立場を考えて行動するのを忘れないでね。体調管理も、イメージを保つことも、あなたの大事な仕事よ」

「わかってます」

「はい、じゃあ、続けるわよ!」

 至極尤もなマネージャーのとりなしには納得したのか、天宮も真面目な表情に戻って椅子に座り、それぞれに意見を出し合って話し合いが再開される。一瞬前までふざけたことをしていても、こうして即座に切り替えができるところが天宮のすごいところであり、このメンバーの尊敬できる部分だ。

 そんな気心の知れたメンバーの熱の籠もった議論を眺めながら、貴樹は間近に迫りつつある次のツアーに思いを巡らせる。

(ツアーか……)

 REAL MODEは、もうすぐデビュー五周年を迎えようとしている。

 これまでにも全国ツアーを回ったことはあるが、今回ほど大掛かりなツアーは初めての試みだった。各地のアリーナクラスでの二日間公演を含む、全五十八本の大規模な全県ツアー。今現在の売り上げと集客数があるからこそ、チャレンジできるものだ。今まで以上に緊張するし、打ち合わせも真剣に取り組まざるを得ないことはわかっている。

 でも。

 どうしても、気になる。引っ掛かってしまう。

 それは、もちろん彩のことだった。

 結局、貴樹は自分がどんな仕事をしているのかということを話すことができなかった。せっかく得ることのできた、REAL MODEの東城貴樹というイメージを知らない友だち。初めて、自分から誘って親しくなってみたいと思った女性。

 言えるはずが、なかった。いや、言おうとは思ったけれど、言えないまま終わってしまった。

 彩から仕事を聞かれて、「フリーでいろいろ」などと曖昧に答えたくらいで、それでは全く答えにはなっていない。フリーで働いているという意味では間違いではないかもしれないが、限りなく嘘に近い答えであることは自覚している。

 たぶん、自分は、彩に惹かれ始めている。きっと、そうだと思っている。

 そうでなければ、食事になんて誘ったりしない。それは、充分すぎるほどに理解しているし、だからこそ、知られたくないとも思ったのだ。彩にだけは、そんなフィルターを通して自分を見て欲しくなかった。素の自分を、知って欲しかった。

「……ダメだ、ありゃ。頭がお花畑じゃね?」

 天宮の呆れた声が、溜め息に重なる。

 明後日の方向を見て溜め息をつく貴樹を見て、天宮は肩をすくめた。


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