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 そこから少しだけ時を戻して、六時半を回る、ほんの五分ほど前。

 ライブの開始時間を控え、貴樹は身体をほぐすように動かした。軽いストレッチで身体の緊張をやわらげるようにしながら、いろいろなことに考えを巡らせる。これから始まるライブのこと、それから、彩のことを。

 喉の調子は、まだ絶好調とは行かない。

 万全とは言えないが、それでも、一時期の辛さに比べたらたいしたことではない。今日のステージを満足の行く結果に終わらせる分には問題ないはずだ。薬で誤魔化すことをしなくても、充分に動ける。ツアー最終日であり、三日連続公演の三日目だから疲労は残っているけれど、これが最後だと思うとこの辛かった半年の生活も名残惜しくもなるのだから、不思議なものだ。

 だが、いつもよりも緊張していることは事実だった。

 緊張のせいか、妙に指先が冷えている気がする。両手をこすり合わせて温めていると、ギターの沢口がにやにやしながら話しかけてきた。

「どうした、貴樹。いつになく緊張しているのか?」

 からかいの混じったそれに、貴樹は一瞬押し黙る。

 いつになく緊張していることは自分でもわかっていて、それが、会場に来ている彩の存在のせいだということも、わかっていた。

「うん、すっごいしてる」

「お前、舞台度胸だけはあるのになぁ。どうせ、そんな緊張なんかライブが始まったら吹っ飛ぶだろ。いつものように全力で突っ走って、気がついたら舞台袖でぶっ倒れているってパターン。ま、俺らもその方がやりがいあって楽しいけどね。しおれたお前なんぞつまらん」

「……来ている、から」

「何?」

「彼女。きっと、来ている」

「へえ」

 と、沢口は驚いたように声を上げた。

 貴樹のある意味での純愛話は既にこのメンバー内では有名なものになっていて、沢口も大体の事情は把握している。驚いたものの、興味深そうに聞き返してきた。

「ついに、話したわけか?」

「……言ってないけど」

「はあ?」

 貴樹の答えに、沢口は目をまるくした。

「これが、俺のライブだってことは言ってない。俺が、REAL MODEのヴォーカルだってことも。言ってないけど……ここに来てって言って、チケットだけ渡して来た。俺が一番大切にしている場所だから、それを共有して欲しいって。さっき、栗ちゃんに座席を確認して来てもらったんだけど、来ているみたい。……あー、もう、俺、今にも心臓が口から飛び出そうな気分なんだけど」

「……お前、やっぱりアホだろう。思い切りすぎだ。来てくれなかったらどうするつもりだったんだ」

「彩は来るよ」

 根拠もなくそういいきれば、沢口は本気で感心したらしい。ほお、と声を上げて、更にニヤニヤした。

「お前の純愛話はいつ聞いても面白いね」

「俺はさ、何も知らないまま決めて欲しくなかったんだ。ライブの俺を見ないで、判断して欲しくなかった。ライブの俺を見てから、決めて欲しかった。俺のライブを見て、俺が命懸けてる場所を見て、それでも彩が俺と付き合えないっていう結論を出すなら、嫌だけど諦める覚悟もできる。……でも」

 と、貴樹は口角を上げ、ぐっと親指を突き出した。

「自信はある。俺のライブ見て惚れないなんて、女じゃないだろ」

「……ホント、ライブになると人が変わるな、お前は。いつものアホなオタクはどこに消えるんだか」

 貴樹の自身満々の強気な台詞に、沢口は苦笑して肩をすくめた。

「ま、俺としては、一応、うまく行くことを祈っているよ」

「……さんきゅ」

 そこで、ちょうどスタッフが呼びに来た。

「客電落とします! スタンバイをお願いします!」

 スタッフの背後に、天宮がいる。その表情を見て、貴樹は深呼吸をした。

「……わかりました、行きます」

 貴樹はうなずいて立ち上がり、別の方向へ行こうとしていた沢口を見る。そして、スタッフの背後に立つ天宮に向かって沢口にしたように親指を立てて見せた。

「大丈夫、絶対、彩は俺のこともっと好きになるから。何しろ、今日のライブは、REAL MODE史上最高のライブになるんだからな!」

「……その無駄な自信はどこから来るのか、教えて欲しいね」

 天宮の苦笑と共に吐き出された言葉に見送られ、所定の位置へと向かう。

 本当は、自信なんてあるわけじゃない。

 不安だらけで、今だって心臓が爆発しそうだ。

 けれど、それは今日のライブに限ったことではないし、いつだって不安はある。そして、不安になっているのは貴樹だけではない。

 いつも、ライブが始まる前に考える、様々な想い。今日のそれはいつもとは少し違う。

 REAL MODEの東城貴樹としての自分も、ただの東城貴樹も、全部、同じ。だから、彩には全てを知ってもらいたい。ようやく、そう思えるようになった気がした。

 何故なら、貴樹は、そうして歌うことしかできないからだ。歌うことで何かを得ようとしている自分を否定することは、不可能だから。

 だから、全てを見せようと思う。言葉で説明するのではなく、実際に見てもらいたい。理解して欲しい。そして、自分の全ては歌にして返す。彩だけにではなくて、この会場にいる全ての人と、自分の歌を聴いてくれる全ての人に。

 ライブの開始を告げる、カウント・ダウンが始まる。

 所定の位置に立ち、深呼吸をして、目を閉じる。ゆっくりと、その瞬間を待った。

 そして、カウントがゼロを刻む。

 貴樹は深く息を吸って、そして、力の限りに叫ぶ。

「Welcome to REAL MODE!!」

 歓声が、聞こえる。至福の時間が始まる。

 客席と交差する、視線。絡み合う一瞬の眼差しに、答えを見つけた気がした。


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