13
翌週、九州から沖縄を回って東京へと戻った貴樹は、羽田空港で天宮やマネージャーたちと別れ、その足で直接彩の自宅へと向かおうと思っていた。事務所に寄る用事もないし、自分の自宅に行く時間も惜しかった。一秒でも早く、彩に会いたかったからだ。
それを言うと、栗原は渋い顔をした。
「え、ダメ……?」
「あのねぇ、貴樹。あんた、自分の状況がわかってるの? 向こうでだって、倒れて点滴打ってもらったんじゃないの! 今日は引きずってでも病院に連れて行くからね!」
栗原に怒鳴られ、貴樹はしゅんとうなだれる。
「で、でも、大丈夫だよ? 点滴打ってもらって楽になったし」
傍から見てもかなり青白い顔をしているくせに、そんなことを言ってみても説得力が乏しい。と言うよりも、皆無だ。その子供じみた言い分に、栗原は呆れ果てたように溜め息をついた。
「……あのね、大丈夫じゃないから言っているんでしょ。あんたはバカだから言わなきゃわからないかもしれないけど、かなり辛いんでしょう? さっき、那覇空港で追っかけを怒鳴りつけそうになってたのは知ってるのよ。あれだって、自分がしんどいからでしょう。自分に余裕がないから、些細なことで苛々するのよ。あんたは追っかけに当たり散らすような真似は普段しないし、いつもだったらあの程度で怒鳴ったりしないのは自分でわかるでしょ」
「でも、俺、今日は用事が」
「恋人? そんなことは後にしなさい」
栗原はぴしゃりと言い放ち、くるりと踵を返した。
そして、待ってましたとばかりにスタンバイしていた天宮に合図をする。
「天宮、そこのバカを取り押さえておいてくれる? 私、駐車場から車を回してくるから」
「はい、了解」
反射的に返事をして、天宮は素早い動きで貴樹の後ろに回りこみ、羽交い絞めにするような形で行動を制限する。いくら運動神経がいいとは言え、あまりの速さに貴樹は逃げる隙もなかった。
「何すんだ!」
「何って、病院行くんですよ」
「裏切り者!」
「人聞きが悪いなぁ。でも、栗ちゃんの意見には俺も賛成だよ。お前、自分でもわかっているんだろ? 思っていたよりも沖縄が暑かったし、昨日のライブだって、見ていてひやひやしたのは俺も同じだ。お前、自分で鏡見てみろよ。尋常じゃないから。とりあえず、栗ちゃんが言う通り、まずは病院に行った方がいい。恋人に会いに行くのは、その後。別に、会いに行ったって俺は怒りゃしないよ。むしろ、ここで逃亡したらぶっ殺す」
「で、でも」
理由は言えない。
それでも、貴樹は焦っていた。早く彩に会わなければ、何もかもが終わってしまうような、そんな気がしていたからだった。
「こんなことを言いたいわけじゃないが、金が動いているんだよ。それに、お前のことを待っている人は、たくさんいる。お前は東城貴樹っていう個人かもしれないけど、REAL MODEの顔でもある。それは、絶対に忘れちゃならないお前の大事な仕事だろう」
「……ごめんなさい」
いつもは茶化した物言いが多い天宮が、いつになく厳しい顔で真剣にそう告げる。事前に栗原から何か言われたのかもしれないとは思ったけれど、栗原に言われるよりも素直に聞ける気がするのは、栗原との距離感よりも天宮との方が近いからだろう。それに、貴樹は天宮のことを尊敬している。いろいろと問題大有りの人だが、その才能だけは本物だと思うからだ。
「わかればいいの、わかれば。どうせ、恋人だって昼間から家にいるとは限らないんだろ?」
それは、確かに天宮の言うとおりだった。
彩には彩の生活があって、それは、貴樹と同じものではない。今日は平日だし、今から訪ねて行ったとしても、彩は仕事に行っていて留守である可能性は高かった。それは、最初からわかっていた。
ただ、一秒でも早く彩に会いたかった。
そのためには、彩の部屋で彼女の帰りを待っていることが、一番確実な手段だから。
それに、少し考えたかった。彩が帰ってくるまでに、REAL MODEの東城貴樹ではなく、ただの東城貴樹に戻って、一人で考えを纏めたかったのだ。
「……わかった。病院へは行くよ。だから、離して。逃げないから」
残るライブは、わずか八本。だからこそ、ここで倒れるわけにはいかない。自分の我儘が、大勢の人に迷惑をかけることになるのは、わかりきっていた。このツアーの成功のために走り回っている大勢のスタッフや、楽しみに待っていてくれるのだろうファン。その全ての期待を裏切るには、『REAL MODEの東城貴樹』が持つ重みは大きすぎた。
だが、それは、公の場に立つ自分を考えている貴樹の理屈だ。単なる東城貴樹の想いは、そんな理屈なんかどうでもいいことだった。東京に戻って来られた以上、彩のことしか考えたくなかった。
彼女に、全てを話さなければならない。そうしないと、彩はいなくなってしまうような気がした。そんな焦りにも似た想いに、頭がおかしくなりそうで。
どこから、何から話せば、わかりやすいのだろう。
ぐるぐると、同じことばかりが頭の中を駆け回る。
たぶん、最初に彩と出会った、あの時の理由からだ。彩と会えたそもそもの発端は、あそこでミーハーなファンに見つかって追い回されたこと。それが、全てのきっかけだったのだから。
最初は、自分のことを知らない存在が物珍しかった。それはすぐに興味に変わって、そこから好意へと発展した。ついでに神とも崇めるミサカダイスケの幼馴染だと知って、テンションも上がった。REAL MODEの東城貴樹の顔を知らない彩がくれる優しさは、そこに裏表がないことを素直に信じられて、それが嬉しかった。
だから、甘えてしまったのだ。それではいけないと頭ではわかっていたのに、言い出す勇気が足りずにそのままにしてしまった。
栗原に引きずられるように病院に行って、それから、彩の自宅へ向かう。薬のせいで頭の奥がぼんやりしているように思ったけれど、そんなことはかまっていられなかった。
案の定、彩は留守だった。
もらっていた合鍵で部屋に入ると、几帳面な彩らしくきちんと整理整頓された空間がそこにある。オタクの例に漏れず大量にものの溢れた自分の部屋とは大違いだ。その中に貴樹という異分子が入り込んでいる証がそこかしこにあって、その事実に嬉しくなった。
貴樹は持っていた荷物を置いて、部屋を見回す。
ふと見れば、部屋に置かれた小さなテーブルには、数枚の便箋が置かれていた。それは、書きかけの手紙のように見える。
悪いと思いながらも覗き込むと、書き出しは『貴樹へ』となっていて、その後は真っ白だった。
何を書こうとしていたのだろう。もしかして、別れ話だろうか。
自分でした想像に暗い気持ちになりながら、フローリングの床に腰を下ろす。彩が帰って来るまでに時間はありそうだし、その間の空白を埋めようと何気なくテレビをつける。考えるためには雑音かもしれないが、無音の空間も耐えられそうもなかったからだった。
しばらくぼんやりと見るとはなしに画面を見ていると、急に自分の顔がアップで映った。しばらく前から流れている、シャンプーのCMだった。
思わず慌ててテレビを消してから、貴樹は溜め息をついた。別に、テレビに映る自分を見て今更はしゃいだり驚いたりはしないが、好んで見ていたいものでもない。
「……寝ようかなぁ」
薬のせいなのか、妙に眠い。身体のだるさよりも、瞼が落ちてきそうなほどの強烈な眠気の方が辛い。この状況で睡魔に勝てと言うのは、少々無理な相談だろう。
眠ってしまっては考えも纏まらない、と思うのに、抗えそうもなかった。
「寝ちゃおう。うん、そうしよう」
貴樹は一人つぶやくと、テレビを消して勝手にベッドにもぐり込む。しばらくすると、規則正しい寝息が聞こえてきた。




