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自宅まで迎えに来たマネージャーの栗原に伴われて、空港に着く。どうせ、既にファンが待ち構えているに違いない。
その相手をしなければならないと思うだけで、寝不足の身には堪える現実だ。体調管理も仕事のうち、と、栗原が怒るから表立って口に出すことはしないが、眠れなかったことは事実だった。
いろいろなことを、考えすぎているのかもしれない。
眠った方がいいとわかってはいても、感情はそれで割り切れるものではない。貴樹が帰る間際に見せた、彩の何か言いたげな表情が、頭から離れない。
彩は、何を言いたかったのだろう。
彩が考えていることがよくわからないのはいつものことだけれど、昨日はいつも以上に考えてしまった。彼女の真意がわからなくて、眠れないほど悩んでしまって、気づいたら朝だったのだ。まさか、泊まって欲しいと想っていたなどとは夢にも思わないのは、貴樹も恋愛経験の少ない奥手の証拠だ。
「はあ~あ」
「何なの、あんたは! 朝から不景気なでっかい溜め息ついて! 今日は、向こうに着いたらすぐにライブなんだからね」
栗原が不機嫌そうにたしなめるのを、笑って受け流す。
「わかってまーす。大丈夫。俺ライブ大好きだもん」
「貴樹くん!」
待ち構えていた追っかけの子が、貴樹を目ざとく見つけて走り寄って来る。デビュー直後から貴樹を追っかけてきてくれている、貴樹も顔を覚えてしまっている古参の追っかけの一人だ。朝からご苦労様なことで、と他人事のように考えてしまう。
「おはようございます!」
「……はい、おはよう」
にっこりと笑って、差し出された手紙とプレゼントらしき小さな包みを受け取る。可愛らしくラッピングされたそれらは、彼女たちの気持ちだ。こうしてプレゼントをもらったり、手紙をくれたりすることは、素直に嬉しい。
天気の話や、流行の服のこと。女の子たちと当たり障りのない会話を交わして、他のメンバーが来るまでの時間をつぶす。
こうしてファンの子と喋るのも、相手が顔見知りにも近い昔からのファンだからだ。売れる前からの貴樹を知っている相手には、少しだけ警戒心も緩む。こうして貴樹のそばまで来て話すことができるのは、昔からのファンがほとんどだ。貴樹自身も彼女たちの名前や顔を把握しているし、これまでに変なことをされたこともない。彼女たちは懸命に貴樹の好みそうな話題を探して話しかけてくれるから、その努力はすごいなと感心してしまうくらいだ。
だが、放っておいて欲しい、と思うこともある。
興味がないこともないが、どうでもいいことを延々と話されても苛々するだけだ。
それに、貴樹のオタク暴露以降、アニメの話題を振って来るファンも増えた。付け焼刃の知識であれこれと喋られても、どう反応すればいいのかわからない。それは違うと突っ込みを入れたらいいのか、それとも、流すべきか。突っ込みを入れたら入れたで熱く語ってしまいそうな自分がいるし、間違っているのをそのままにしておくのも何となく嫌な気がする。
そうなると、聞き流すしかない。
(眠い……)
傍らでファンの子が喋っているのを半分以上聞き流し、貴樹はこみ上げてきそうになった欠伸を噛み殺す。貴樹が予定よりも早く着いてしまったために、来ていないメンバーがいるのだ。それを待っているから、ここから動けない。こんなことなら、もう少し車の中で寝ていればよかった。
「もう、貴樹くんってば、聞いてますか?」
「……え? ごめん、何?」
「あのね、この前のライブで……」
いつの間にか、話は先日の地方ライブの話に移行していたらしい。
少し黙っていてくれないかな、と、内心では思う。
応援してくれるのはありがたいことだと思っているし、彼女たちがいなくては貴樹の仕事は成り立っていないと知っている。それでも、こうも近くでマシンガンのように喋られるのは、かなりウザイ。彼女は追っかけの中ではマナーのいい方で、貴樹も割と気に入っている子だ。いつもならそれほど鬱陶しいと思ったりはしない。
だが、その日の気分で嫌だと思う時だって、ある。要するに、放っておいて欲しかったりするのだ。
「貴樹」
誰か助けてくれないかなーと、思って視線を巡らせていると、少し離れた場所にいた天宮が貴樹に向かって手招きをした。
救いの神登場、と思った。呼ばれたのをいいことに、貴樹は「ごめん、呼ばれた」と軽く断りを入れて、そちらの方へといそいそと移動する。
「助かった、順平ちゃん。ありがたい」
追っかけの女の子たちには聞こえないように小声で言うと、相手はにっこりとした。
「追っかけなんて、適当にあしらっておけよ。お前、そういうとこが不器用だね」
天宮の言葉は一理あるが、貴樹はそこまで割り切れない。
当然、割り切らなければやっていられないのは、わかっているのだけれど。
「だ、だって、せっかく俺のこと好きって言ってくれているのに、邪険にしちゃ可哀想だと思うし、プレゼントくれたらありがとうって言わないとだし」
「それはそれ、だって言ってんの。ファンは大事だけど、自分が体調悪い時にまで、いちいち相手にする必要はないだろ」
苦笑を残しつつも真顔で告げる天宮に、貴樹は目を瞬かせた。寝不足で調子が悪いことを、見抜かれていたらしい。それほど近くにいたわけでもないのに、鋭い。
「……あれ、わかった?」
「まあね。俺を誰だと思ってんの」
「貴樹、あんた、調子が悪いの?」
二人で顔を突き合わせてこそこそと喋っていたはずなのに、地獄耳の栗原は聞き咎めたらしい。
「……あ、いや、その……。ちょっと、寝不足なだけ」
「今日は余裕のないスケジュールだって、最初からわかっているでしょ! 何のために、昨日は早く帰らせたと思っているのよ! また、深夜アニメでも見て興奮してたんでしょ!」
「……だって、眠れなかったし……すみません……」
「いや、アニメ見て興奮じゃないんじゃねーの? 貴樹は恋のお悩み中、だからな。アニメの美少女に萌えるより、そっちで頭いっぱいなんだろ」
他人の恋路は笑い話にしかならないらしく、天宮がげらげら笑いながら言い添える。
「順平ちゃん、ひどい……」
いつものメンバー、いつもの会話。そこに、不協和音が入ることはありえなかった。このメンバーでいることは何よりも楽しくて、素晴らしいことだと思っていた。これだけの人材とめぐり合えたことは、自分にとって一生に一度の幸運だったと思わずにはいられない。このメンバーが揃っていなかったとしたら、今のREAL MODEは成立していないと思っているからだ。
だから、気づかなかった。気づけなかった。
追っかけの子たちと話していたその光景を、物陰から彩が見ていたこと。来ているはずもないと思っていた彩が、その場にいたこと。
そして、そこから少しずつ歯車がずれて行くことを、貴樹はまだ知らずにいた。
実際、ここまでのツアーをやるアーティストにはボディガードがついてるんじゃないかと思いますが。
まあ、でも、それはそれで。