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ファランクの王都ローランディ。中心にある広大な王城の東門から、東にまっすぐ伸びる街道を挟むように、東西に数マイルにわたって街が広がっている。城門に近い街道沿いには、大商会の商館が建ち並び、街はそれらを中心にして扇状に広がっている。
東ローランディと呼ばれるその地区の下町にライラが移り住み、治療院を営みだしたのは、私が3歳のころで、もうかれこれ3年になる。六歳の誕生日を迎えた今年の夏、私も父と母の了解を得て、治療院でライラの手伝いを始めることにした。
治療院の奥の調剤用の部屋で、私は精神を集中して、イメージとともに力を放つ。
《乾燥》
風と火を組み合わせた魔法を使って、今朝ライラと一緒に採ってきた薬草を乾かしているのだ。
私は東ローランディの城門近くの我が家から、毎朝迎えにくるライラと一緒に、少し離れたライラの店まで通っている。その道すがら、薬草を摘むのが日課になっていて、今乾かしているのは今朝採ってきたものだ。市街を守る城壁の中にも、小さな林や緑地が残っていて、結構な種類の薬草がそこで調達できる。今乾かしたものは、服用すると解熱効果がある。
前世で看護師をやっていたとはいえ、薬草なんかに詳しいわけではない。知っている薬草だって加工された後のものばかりで、地面から生えているものの名前や薬効がわかるわけではない。なので、ライラとの採取のときはノートを欠かせない。
「マーヤ、乾燥できたかしら?」
調剤室を覗きに来たライラが聞いてくる。彼女は治癒以外の魔法は使えないため、普段は天日や陰干しで薬草を乾燥させているが、私がいるときは、魔法での乾燥も利用するようになった。
「今日採ってきた分は乾燥させたわ、ライラ。他のものも乾燥させましょうか?」
一代限りの爵位とはいえ、仮にも貴族の娘が祖母で師匠でもある人に対する口調としてはいただけないが、改まった口調で話すとライラは口をきいてくれなくなるので、すっかり対等に話すようになってしまっている。
「今日の分だけでいいわよ、天日で乾かすものと魔法で乾かすもので効き目に違いが出ないか確認したいから」
この世界の日光にも紫外線が含まれているだろうし、紫外線で薬草が変質して薬効成分ができることもあるのだろう。ライラがそこまで解かっているかどうかは分からないが。
「了解。じゃぁ、今度はすりつぶして混ぜるのをやるね。」
このようにしてライラの治療院では、殆ど薬の調合を手伝いながら勉強する毎日だ。薬の調合や採取は家で勉強しているころからやっていたので、私がやることはそんなに変わらない。しかしライラが治療院を空けられる日数は限りがあるので、家庭教師の形だと、週に一日程度しかとれない。今のように治療院を手伝っているとそれだけで勉強になるため、私の薬草の知識と理解は、ここ数カ月で格段に伸びたと思う。それになにより、下町の町人の生活を垣間見ることができるのがすごく楽しい。
「混ぜるのは急がないわ。リルちゃんが来てるわよ」
リルというのは、治療院近くの宿屋兼酒場の主人の娘で、毎日のパンを焼くための酵母をライラから買っていく。ライラお手製の酵母は、ふんわりとしたおいしいパンを焼くのに欠かせないものらしい。
「うちのパンは貴族さまでもおいしいって言うに違いないわ」
私の父が貴族だとは知らないリルは、私に対して胸を張り、にこにこと笑いながら楽しげに言う。この新たな友誼を大切にしたいため、私はライラの知り合いの娘だということになっている。リルの家の酒場である、”陽だまりの猫”亭は、行商人や町の外に出て魔物を狩ることを仕事にしているハンターと呼ばれる人たちが多く使い、そういった人たちがパンを誉めそやすのだそうだ。
この国では、王宮や貴族の暮らしと町民の暮らしでは格差がある。前世での知識と照らし合わせて、凡その予想はしていたのだが、それはいい方向で裏切られた。確かに明らかな格差もあり、貴族に比べれば不便な生活だったりするのだが、この国では多くの町民が最低限の生活水準は確保されているように思えた。
貴族や王宮では、生活を補助するさまざまな魔法器具が使われていた。たとえば灯りの魔法を使った照明や、水の魔法を使って飲み水を出す器具、洗濯や掃除も魔法を利用した器具の補助がある。だから我が家も使用人を住み込みで雇う必要はないのだ。ただ、大貴族等になれば見栄もあるのか、多くの侍女や使用人を雇っているもののようだ。
一方、町民の生活には魔法の補助がほとんどない。ただたとえば灯りは獣脂を利用したものが一般的にもつかわれているし、安価に流通している。また驚いたことに上下水道も完備している。
もちろん蛇口をひねれば水が出るというものではないのだが、地下に石で囲われた水道があり、王都の北部にある湖から水を引いている。そこを流れる水を井戸のように、木桶と釣瓶でくみ上げるのだ。これを初めて見てそれが井戸だと思ったのだが、ライラが上水道だと教えてくれた。日本の江戸時代にも、また古くにはローマ時代にもこのような上水道の設備があったらしいということを前世で読んだ記憶がある。人間、いつの世にも考えることは似ているのかもしれない。
下水も各所に設けられた公衆の設備からもっと深いところで集約し、町の外に捨てているらしい。治癒者を志す者として、衛生面にかかわる設備は気になる。見学できるかどうか、いつかライラに聞いてみようと思う。
「リルのうちのパンは本当においしいよね。もう他のパンが食べられなくて困ってしまう。」
「これからずうっと、うちのパン食べればいいのよ。お父さんお母さんにも持って帰ってあげられればいいのにねっ」
リルは、私の両親が王都から遠く離れたところに住んでいると思っているらしい。すこし、同情するような口調で言う。
「そんなことをしたら大変よ、その次の日からはいつも食べてるパンが食べられなくなるわ。同じパンだと思えなくなるもの」
実は我が家ではライラの酵母を使って母が同様のパンを焼いているのだが、それを伝える必要はないだろう。
そんなこんなで三十分ほどお喋りをして、リルは酵母を受け取って帰って行った。
──お昼ご飯まで少し時間がある。治療魔法の練習をしてみよう。
ライラに治癒の技を教えてもらいながらも、自然を扱う魔法は独学で父の書斎の本で勉強して、身についてきている。乾燥させることに使ったりもして、かなり慣れているほどだ。
反対に、治癒魔法に関しては、全く使えないままだ。……もしかすると私は治癒魔法が使えないのかもしれない。最近そう思い始めている。