生と死の女神
マーヤに挨拶をしたあと、スリヤはすぐに精霊界に戻り、ある存在を探し始めた。スリヤがミルと呼ぶ、上位の精霊だ。彼女ならマーヤのことを詳しく知っているはずだと、スリヤは確信していた。
上位の精霊といっても、力が強いとか長命だという程度の意味で、特に上司部下というわけではない。精霊や神霊は、自由に選んだ相手と、自由な条件で契約をすること以外では、原則として束縛されない存在なのだ。──彼らの存在の根幹を規定するといわれ、尚且つ詳しいことは知られていない、始源契約を除いては。
──ミル姐、一体どこにいるんだい、以前はこのあたりで封印されてたってのに。
スリヤがミルと呼ぶ精霊は、好奇心が旺盛すぎるところがあり、いろいろと実験をするのが趣味で、人間との契約なしで、人間社会にもちょっかいを掛けることが多い存在だった。しかし、人間との契約なしで人間社会に関わることは、始源契約に触れやすいのだ。
しかも理不尽なことに、何をしてはいけないのか、誰もしらない。だから普通、精霊は契約をすることなく人間に関わるのは避けるのだ。
ミルは、二百年ほど前にその禁忌に触れたらしく、大洋の真ん中にある、大陸を遠く離れた孤島に隣接した精霊界で存在を固定されてしまい、動けなくなっていた。五十年ほど前に、自己を確立したばかりのスリヤが闇雲に飛び回っていた時に、たまたま見つけるまで、孤独にただ存在していたらしい。自分より遥かに上位の存在に懇願されるまま、定期的に話し相手を務めることになったのが友誼の始まりである。
地上界、精霊界、というのは特に離れた位置にあるわけではなく、精霊達の認識では同じ空間の別の相のようなものである。もしミルの封印場所が、地上界で人が多いところに隣接していた場合、強い力を持つ人間ならミルを見つけ出すことが可能だ。そうなった場合、封印されているのをいいことに無理な契約をする人間が出る恐れまであったからか、ミルが存在を固定された場所は人間も、精霊すらも普段は寄り付かないところだった。ミルは、人や、精霊の気配すら百年以上も感じなかったと言っていた。それだけに話し相手は殊更に喜ばれ、上級精霊しか知らないような、さまざまな知恵を授けてくれた。おかげでスリヤは百年程度の存在としては大きな力を持つ存在になれた。
その、隔絶された地にいるはずのミルがいない。気配をたどろうにも上位存在の気配をたどるのは困難だ。
……スリヤがそうやって困惑していると、不意に能天気な声が響いた。
『やっほ~。スリヤ、そこにいるの?わたし、今はそこから離れてるから、こっちに来て~』
ミルからの念話だった。どうしてだか封印が解けて、別のところにいるらしい。
──やれやれ、わざわざこんなところまで来たってのに。
スリヤがミルの念話を辿ると、発信源はなんと、ファランク王国の王都だった。
──ふうっ……引き返しますか。
◆ ◆
「あれ~、スリヤ。何その恰好。あなたもついに人間と契約したの~?」
スリヤはまだ、羽の生えた妖精の形をとっていた。地上界での実体化は解いたが、なんとなくこの格好が気に入ったのだ。
「ちょっとこの格好が気に入っただけだよ、ミル姐こそ、なんだいその恰好。どこぞの人間にとっ捕まったのかい」
スリヤの前には、美しい人間の女性の形をとった存在があった。まっすぐに腰のあたりまでのびた髪は艶やかな黒で、形の良い逆三角形の顔には、大きな黒い瞳を擁する切れ長の目と優しげな唇、そしてそれをつなぐようなきれいな鼻が収まっている。
精霊は人と契約を交わした時に契約相手の好みや考え方に応じて外見を決めることが多い。だからそれぞれがお互いを人と契約して姿を固定したのだと思ったのだ。
「これぇ?私のほうは、神格を得ちゃったのよ。」
こともなげにとんでもないことを言い出す。そんなミルにスリヤは驚いて噛みついた。
「神格って……ついこの間まで封印されてたのがいきなり?そんな馬鹿な。二百年前に勝手にどこかの人間転生させてお仕置きされたんじゃなかったの?」
とはいえスリアのよく知るこの精霊はそんなウソをつくような性格ではなかった。
「封印されたけどお、理由も何も誰も教えてくれないわよ。それにこれだって突然で強制的なのよ。」
不満そうに言う。その膨れた顔も、人間の男が見れば魅了されること間違いない。
「なんだかぁ、封印が解けたのを感じたから、年季が開けたかなぁと思ってたのよ~。そしたら、いきなり神格とこの形を持ってここに存在させられたの~。前より自由に動けるけど、禁固の次は強制労働って感じよ~」
緊張感がない話し方なので怒ってるように聞こえない。
「始源契約と、その強制力ってなにも説明してくれないんだねぇ。ミル姐の封印のことを知らなければ、本当に存在するものだとは、わたしだって思ってなかったかも。にしても神格っだって?一体どんな?」
なんか馬鹿げたものをやらされるのかと思って聞いた。半ば愚痴を聞かされる覚悟をしている。
「ええとお。今の私の名前はミストレイヤ、生と死をつかさどる神よ~。」
──えっ?
「……それって、このあたりの人間の信仰で、主神の一柱じゃない?」
「そうよぉ。もう参拝者が多くて多くて~。」
生まれた赤子に祝福を与え、死者に安らぎを与えるとされる女神だ。死後の安寧を願う人々も普段から神殿には捧げものをする。このほんわかとした能天気な存在に勤まるのだろうか。
……そこでようやく、スリヤはミルを探していた理由を思いだした。
「ミストレイヤ、いや、ミル姐でいいよね。聞きたいことがあるんだけど。」
「なぁに~?」
呼び名はミル姐でいいようだ。信者や神官に話しかけるときはもうちょっと威厳出してほしいなと思いつつ、先ほどからの疑問を口にする。
「あの子、マーヤはミル姐が転生させた子でしょ?えーとなんとかって魔術師の娘よ。王都に住んでる」
一瞬、ミルはきょとんとしたが、やがて合点がいったように顔をほころばせて答えた
「あら、マーヤちゃんのこと知ってるのぉ?もしかしてその格好もあの子との契約の結果?」
精霊は人間と契約をすると、契約相手に分かりやすい形に固定される。ミストレイヤの姿も信者の望む姿だ。
「これは好きでやってるだけ。契約はしてないよ。それより、せっかく神格得たってのに、またお仕置きされるよ?」
じゃれ合おうとするミルをいなして、話を続ける。
「もう、連れないなぁ……。転生のことなら大丈夫よぉ、ミストレイヤは転生も司ってるみたいだし。前のミストレイヤも転生は一回、かな?やってるし。なんか、私が前にやったのがね、結果としていいほうに転がったらしくて、そのあとミストレイヤに追加された職分みたいなのよ。……これってずるいと思わない~?それだったらなんで、私は二百年も封印されてたのよお?」
──なるほどね、これも始源契約関連なんだろうな。
「罪は罪で二百年幽閉されて、功績のほうが神様への抜擢なんじゃないの?でさ、そのマーヤのことなんだけど、なんか特殊な力とか使命とか与えたの?」
わざわざ転生させるのだから、させたいことでもあるのだろうと聞いてみる。
「えー、そんなことしたら面白くないじゃない~。適当な魂をもらってきて、良さそうな両親のとこに送り込んだだけだよ。上手くいけばなんかいい影響与えてくれて、人間界が発展するかもしれないけど、だめだったらだめで別にかまわないし~」
期待外れもいいところの回答が返ってきた。
「無責任だねぇ。転生させるだけさせてあとは放置?」
「だって、契約なしに人間界にはそんなに介入できないでしょ?それにあの子の前世ってこの世界の古代文明ですらなくて、わたしも知らないようなこといっぱい知ってるんだよ。そんなの怖くていじれないし、前もそんな感じで放っておいたらうまくいったから、大丈夫だよ。」
「おかしいな、あの子からはなんか変わったものを感じたんだけどねえ。本当に何もやってないのかい?」
ミルがこういうことで嘘をついたりはしないことを知っているのだが、納得がいかないので、再度追求する。すると、ミルがなんだかふんわりと笑いながら、言った。
「わたしも知らないような世界からの転生よ~?何があるかなんてわからないわよ~。なんでそんなところからって? 転生させられる手頃なのが無かったのよね~。」
「なんだか納得いかないねえ。」
「納得いくまでマーヤちゃんとお話ししたり、一緒にいればいいんじゃな~?まだ二歳だし、何者かになるにはまだ時間かかるんじゃないかな」
──二歳と言えば。
「二歳にしては、あの子えらく大人びてたんだけど、転生の影響?」
「そりゃあそうよ~。あの子は自我を確立して生まれてきてるんだし、言葉だって前世で知ってる言葉だったみたいだから。あの子は、子供のころから、あの体で話をすることとかあ、歩くことに慣れる努力してたみたいよ~」
──人間の成長ってのはよく解らないねえ。
「ま、いいや。あの子を転生させて、ミル姐が困った羽目になってはないことと、特別な力を与えてもいないってことはわかったよ。でもねえ、なんだか納得いかないし気になる。しばらくあの子の様子見ることにしようかね」
「あら、じゃぁ適当に報告くれない?私はほかにも見る子たちがいるのよ~。前任が転生させた子たちとか~。そんなに手のかかる子たちじゃないんだけどね~」
ふっと鼻を鳴らしながら、スリヤは答える。
「わかったよ、また適当に話に来る」
「今回みたいに三年も間を空けるのは駄目よお」
ミルの声を背中で聞き流しながら、その場を後にして、マーヤのところへ戻ることにした。同じ王都なので、スリヤにとっては大した距離ではない。そしてマーヤの居場所を探す。
──あ、みつけた。
まだ子供のマーヤは当たり前だが自宅にいた。
その後、マーヤの傍ではひらひらと飛ぶ姿が見られるようになった。その精霊は、薄くて透明な羽と、美しい肢体をもち、キラキラと輝く金髪の小さな女性の姿をしているという。