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祖母を呼ぶ。父はそう言って、祖母の部屋の真ん中、ソファーテーブルを挟んで、ソファーと対峙するような位置に、大きな四角い紙を広げ始めた。真ん中に書かれているのは──魔法陣だ。
父の用意したその魔法陣は、何やら真新しいもので、ひと眼見て、昨日あの後に書いたのだと、あの場にいたものならわかる代物だ。魔法陣のなかで、魔法文字──ラテン語で書かれるべき呪文が、エウレニア語で書かれているからだ。新しい知識を早速試したらしい。魔法陣を広げる前にソファーに座らされている私には、何を書いているのか、一目では読み切れない。細かい文字でかなりたくさん書き込まれていて、「呼ぶ」とか「繋ぐ」とか、そんな言葉が多く使われているようだ。
「さあ、マーヤ、お前のおばあちゃんをここに呼ぶよ。」
ここに?呼ぶ?
「おばあたま、ここにくるのでしゅか。」
「来るといってもこの魔法陣からは出てこれないんだけどね」
──それはまるで悪魔召喚の様じゃないでしょうか。
そんなことを思っているうちに、父が何かしたのだろう、魔法陣の上の空気が揺らいで見えてきた。すぐにその揺らぎが消えたかと思えば。魔法陣の真ん中に、椅子に腰かけた女性の姿があった。歳のころは50くらいだろうか。祖母だろうと思うが、以前会ったのはまだ、私の目が開いていなかった時なのだそうで、判別はできない。実際のところ、私は、突然目の前に現れた人におどろいて、それが祖母かどうかなどということに気が回っていなかった。
「おかあさん、こんにちは。お時間をとっていただいてありがとうございます」
「カイル、何を水臭い話し方してるの。私に対してまで貴族みたいな話し方をする気?」
父が少し緊張気味に言っているのを祖母がまぜっかえす。祖母の優しい声に私も少し我に返る。
「さあマーヤ。おばあちゃんに挨拶しなさい」
あわてて、ソファーを降りようとすると、母が私を抱き上げて、祖母の近くまで連れて行ってくれた。
「お義母様。お久しぶりです。わざわざありがとうございます。」
そう挨拶しながら、魔法陣の外で私をおろす。
「マーヤちゃん、挨拶してちょうだい」
「おばあたま、こんにちは。きょうはとおいてょこりょありあとうございまた」
長い文章はまだ噛んでしまう。「今日は遠いところ、ありがとうございました」と言おうとしただけなのだが。
すると祖母は、優しいそうな丸い顔をほころばせた。
「まぁまぁまぁまぁ、なんて可愛らしいんでしょう。それになんてお利口さんなんでしょう。歳は二つになったばかりなのよね。女の子だとしても、成長が早すぎるんじゃないかしら」
最後のほうは独り言のように言っていたので、お返事はせずに会釈だけ返すことにした。そして気になっていることを父に尋ねた。
「てれぽーとなんでしゅか」
「いいえ、転移じゃないわよ、この子はまだ転移は使えないの。これはマーヤちゃんの御祖父ちゃんとお父さんが一緒に考えた魔法で、私の姿を辺境から王都に送ってくれるのよ。転移なんて言葉、よく知ってたわねぇ」
祖母から回答が返ってきた。なるほど、テレビ電話みたいなものなのかな。魔法陣の中の「繋ぐ」とか「呼ぶ」は電話と同じ感覚なのかも。
「母さん、転移は別に僕ができないってわけじゃないだろう、あれは原理的に無理だって言われてる魔法じゃないか」
父が祖母にクレームをつけている。この口調が素なのかな。ちょっと乱暴というより、庶民的な感じだ。
「あら、あなた達はできないって言われてたことも、結構できるようにしてきてたじゃないの。」
「出来る出来ないのレベルがちょっと違うんだよ。」
父が疲れたような声で返している。祖母の言う「あなた達」というのが父と祖父のことだというのは、後で知った。二人でいろいろと新しい工夫を考案しているらしい。
この母子の掛け合いの間、しばらく完全に私と母は置き去りにされていたのだが、祖母の人柄や、父のあまり見ない姿を見られて、なかなかに楽しんでいた。
父がこんなに慌てたような、思い通りにいかなくてもどかしい様な顔をするのは、母を怒らせてしまって、機嫌を取ってるときくらいしか見たことがない。少し可哀想になってきた。
「おばあたま、わたしにまほーをおちえてくれるのでしゅか」
両親のフォローって二歳時のスキルとしてはどうだろうと思うのだが、このまま話が進まないのは困るので、割り込んだ。
「まぁなんて可愛いんでしょう。そうね、マーヤちゃんは治癒の適性があるんだわね。私が知ってる治癒の技は全部教えてあげる。」
「ありがとうございましゅ」
「でもねぇ、そんな他人行儀な話し方じゃ、私はいやだわ。マーヤちゃんも、堅苦しくなぁい?」
祖母が満面の笑みを浮かべながら言う。その眼差しには少し、悪戯を仕掛ける少女の笑顔のようなものが含まれているように見える。その悪戯の対象は、おそらく私ではなくて、祖母の息子、わが父だ。
「お約束しない?私はあなたのことをマーヤと呼ぶから、あなたも私のことをライラって呼ぶの」
父が息を大きく吸い込んだような音が聞こえた。
「はい。ライラ」
祖母の、いやライラの悪乗りに乗っかってしまった。正直なところ、前世での私が死ぬ前にお婆ちゃん呼ばわりされたら気分がよくはなかっただろうから、それと同じくらいの年の女性のことを、おばあちゃんと呼ぶのには少し抵抗があったのだ。
横目で父を見ると、なにか悪いものを飲み込んだような顔で、目を白黒させている。自分の母と娘がファーストネームで呼び合うというのは心臓に悪いかもしれない。そして母はというと、こちらは笑いをこらえ切れないように、赤くなった顔に変な力が入っている。美人が台無しだが、なんだか可愛らしい。
祖母、いやライラは目をきらめかせて、息子にたいして面白そうな視線を向けると、私に向きなおった。楽しそうに声を弾ませて言う。
「マーヤ、あなたって女心がわかってるわ。あとは丁寧語もやめましょうね」
──ライラ、それは男性に言うセリフではない?というより二歳児を形容する言葉ではないのでは。
「私たち、すごく仲良しになれると思うの、ずっとお友達でいましょうね」
「はーい」
頭を抱えてる父の姿が見えていたがあえて無視した。母は、こらえ切れなくなり、声をあげてソファーに座りこんで笑っている。ライラには心臓の病気を治す方法を最初に学ぶべきかも。
こうして、私は祖母と大の仲良しになった。これから週に1度のペースでこうして遠隔でライラの家庭教師を受けることになった。
ライラが去ると、幾分ほっとしたような父と、笑いが収まった母が、一日遅れの誕生日ディナーでお祝いをしてくれた。昨日は二人ともそれどころじゃなかったのだ。そして、例の精霊石はペンダントにしてくれると約束してくれた。
新しく学ぶことになった全く知らない知識に、期待を膨らませながら、その日はぐっすりと眠ったのだった。
父と母は、そのあと二人の間で親交を確かめ合ったようだ。三歳の誕生日を迎える前に、私には新しい家族が増えた。
そして、三歳の誕生日には、両親と生まれたばかりの双子の弟妹、そしてライラが誕生日ディナーの席でお祝いをしてくれた。