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それは、奇妙で独善的で、押しつけがましい詠だった。
◆ ◆
あなたは今どこにいるのですか
わたしは今ここにいます
あなたが遥か宇宙の彼方にいても
あなたが深き深海の底にいても
あなたをもとめるこの声を届けましょう
知ってください、あなたを愛する者のことを
知ってください、あなたが愛する者のことを
あなたを喚ぶものがここにいます。
愛を鎖にしてあなたをしばり、
鎖は愛となって私をからめ捕るでしょう
鎖が二人をつなぎ合わせるでしょう
滅びが分かつ時まで
◆ ◆
その時スリヤは退屈していた。精霊界に生を受けて100年が経つが、ここ何十年と何も面白いことが無い。地上を眺めて暮らすのにも飽きていた。
もしこのまま、何事もなく時が過ぎていれば、彼女自身が悪鬼と化して、地上に騒乱を起こしていたかもしれない。このまま、何も、面白いことがなかったなら。ふいに、奇妙な喚び声が聞こえてくる。魔力の波動に乗ってくるその声は、うっとおしい、愛情の押しつけのような言葉なのに、感じる魔力は妙に純粋なのだ。
最初、スリヤはちょっと興味を持っただけだった。これは人間が精霊を呼ぶ声だ、契約を求める声だとわかったから。スリヤは契約する気などない。人間との契約はたいてい詰まらないことになるのだ。ただ、ちょっと見てみようと思ったのだ。この声の元はどんな奴なんだろうと。そしてどんな精霊が契約するんだろうかと。
声の元は人間の王都の小さな屋敷にあった。そこに近づいていくと、仲間の精霊の気配が驚くほど濃密だ。あの声にひかれてやってきたものが非常に大勢いるのだろう。ただ、スリヤ以外はみな、まだ彼女に比べれば生まれたばかりといっていい連中で、言葉を解するレベルに達しているものは全くいなかった。意味がわかって、あの詠の元をたどるようなもの好きは彼女だけなのだろう。
──酔狂なのは私だけってことか。
彼女は自嘲気味に苦笑した。その苦笑が、何かの引き金を引いたのか、群がっていた精霊の一部が彼女の存在に気付いてしまった。年若い精霊たちにとって、彼女の存在は強大で、畏怖を抱かせる。気付いた精霊は、たちまち逃げるように姿を消し、それに気づいた他の精霊たちも一斉に消えていった。
──おや、悪いことをしちゃったかな。折角集まってたのにねぇ。まぁ、しょうがないね。ちょっと召喚主の顔だけでもみて、私も退散することにしようかな。
そう思いながら、屋根をすりぬけて、屋敷のなかへ入り、召喚の魔法陣をみつけた。
──ほう、変な詠がはいってるわりには、結構良い魔法陣じゃないか。これは術者も期待出来るねえ。……おや、なんだい魔法陣は借り物かい。
スリヤは、魔法陣が書かれたときの魔法の波動と、自分が惹かれてやってきた魔法の気配が異なるもので有ることに失望した。自分で満足に魔法陣も書けないのにつられたとは、と思いながらも、魔法陣と同じ魔法の気配が近くにいることにも気づく。
──なるほどね、魔術師の親が、自前の魔法陣で子供に守護者を付けようとしたってところか。うん、なかなかいい質の波動を持ってる。ま、うでは悪くないんだろうけど、あの詠で寄ってくるのは、意味の分からない小物ばかりだと思うがね。っと、こっちがあの波動出してた子供か。おやぁ、小さいねぇまだ二歳ってところじゃないか。にしてはしっかりと安定した波動だったけど……
その時、父親らしき魔術師がつぶやいた。
「失敗?でも、マーヤには治癒の力をはっきり感じたぞ、それにあの、濃い気配…」
スリヤは実体化せずにいるため、魔術師であるカイルも存在を感知できないでいる。
──おや、この子の魔法の力は治癒なのか。なかなか珍しいじゃないか。それにこの感じ、ただのお子様じゃなさそうだね。……どれ、ちょっと挨拶してやるか。
スリヤは、実体化して姿を現すことにした。彼女のお気に入りの姿は、若い人間の女性に美しいカゲロウの羽根をつけたものだ。この姿は非常に人間に受けがいいのだ。そして、治癒魔法ということで、悪戯心を出した。古代文明の記録にある、治癒者の服装をしたのだ。もちろん、この場にいる人間がそれを知っていることなど、期待していない。
何の合図もせずに出るのも失礼だろうと、これも悪戯心で部屋いっぱいの光を出してから実体化する。部屋の中にはびっくりした顔の人間が3人。一人は魔術師。そしてその妻らしき女性。そして、その女性に抱きかかえられながらもこちらを眺める、小さな子供。呼び出した魔法の主だ。そしてその子供がつぶやいた言葉に、今度はスリヤが驚くことになる。
「ナースの、はくい……?」
──なんでわかるんだい?この衣装は古代文明が滅んだ時に消えたもんだよ?
「なんだか変な子だねぇ。こんにちは、お邪魔するよ、人間のみなさん」
──問い質すのは挨拶してからでも遅くはないからね。
傍らの魔術師──カイルは、どうにか最初に言葉を発する程度に落ち着いたようだった。
「ご機嫌いかがですか、上級精霊の方。言葉をお話になるほどの方を御喚び出来るような魔法陣ではないはずなのですが、もしかして何か御用でしょうか」
丁寧に話しかけるように気を付けているような口調だ。言葉を話す精霊は、非常に大きな力を持つことが多く、人間が下手な扱いをして激発したら、抑えるにはこの国の宮廷魔術師の総力が必要になるだろう。
スリヤが上級精霊であることを理解し、あの魔法陣がそんな存在を喚ぶことができないことを知っていたことに、スリヤは少し感心した。
「なかなか見る目があるじゃないか。あのひどい詠を書いた本人だとは思えないね。」
カイルがうろたえながら応えを返してくる。
「あれは、精霊に愛を訴えかけて、受け入れてくれる精霊をよぶものだと伝えられているのですが……もしや間違っているのでしょうか。」
「ふふ、ああ、ひどいもんだよ。ちょっと耳をふさぎたくなる」
スリヤが残酷な答えを返すと、カイルはますますうろたえてしまう。
「しかし、私も妻もあれで守護者を喚んでいるのですが」
「あれで、きちんと守護者が呼べたのは、あんたらの魔法の波動がなかなか魅力的だったからだろうね。あの詠はなんというか、思いが暴走した人間の妄言を並べたものにしか思えなかったよ。そのおかげで、単純にあんたらの波動に惹かれるだけの、若い精霊が喚べたんだろう。意味が分かる連中は気持ち悪くて寄ってこないさ。」
そういうと、へこみ始めた魔術師に精霊を呼ぶのに特別な言語は必要なく日常語でも大丈夫だ、なんてことを教えてやる。そしてその傍ら、意識を子供に向ける。
『なんで私の着てる服のこと、知ってるんだい、お嬢ちゃん』
念話を受けたのは初めてなのだろう、その子は目を白黒させながら、それでも同じように心の中で念じて返事を返してきた。
『あなた、だれ……?』
『ほう、念話で返すとはね。私はあんたの正面にいる精霊だよ。』
『妖精さん?』
妖精、とつぶやいた子供の心の中に、今のスリヤと同じような格好をしたものたちが、空に舞う映像が浮かんだことを感じ、スリヤは驚く。
『私のようなものに、以前あったことがあるのか?』
『いいえ。昔、本で読んだだけ。』
『本で?そんな本がお嬢ちゃんの読める範囲にあるなんて不思議だな。この服を知っていたり、私の格好と同じものを見たことがあるようだし、なかなか面白い。おまえ、いったい何者だ?』
『えーと、マーヤよ。マーヤ=アストリウス』
『ふーん。』
『……』
『こんな時にとっさに名前をいってごまかすとは、まったく驚くべき子供だ。まだ二歳くらいだろ。ま、それだけ頭がいいと、いきなりは私のことも信用は出来んだろうな。』
マーヤとの念話の傍らに続けていた、カイルとの会話は、「あとは自分で考えろ」で切り上げた。そして、声に出して宣言する。
「こっちのお嬢ちゃん、マーヤは気に入ったよ。私がしばらく遊び相手になってやろう」
マーヤが驚く。念話ではそんなに友好的じゃなかったのだ。
「あそび、あいて・・・?でも、おなまえもしらない…」
ようやく、そうとだけ抗弁する。
「おっと失礼した、私のことはスリヤと呼んでくれ。どこでも呼べばわかるようにあとで印をつけよう」
マーヤは不安そうに魔法陣の文字を眺めながら、確認する。
「えと、お友達になるってこと?」
──その詠、お嬢ちゃんは読めてるようだね。それに縛られる関係を嫌がってるのがはっきりわかる。ますます面白い。
そう思いながら回答を返す。
「ああ、お友達だ。その魔方陣の束縛は受けてないから、一生というわけではないが、とりあえずは私が飽きるまでは、お友達だ」
この不遜な物言いの自称友達に、マーヤにっこり笑いかけてきた。魔法で縛ったお友達なんてまっぴらだし、出会ってすぐに一生一緒にいるなんて決断はできるものじゃない、そんな大人びた思考をスリヤは感じる。
マーヤにしてみれば相手が母の守護者のような物言わぬ精霊ならともかく、おしゃべりする精霊にたいしてだとちょっと失礼な気がしているのだ。
「うん。じゃぁよろしくね、スリヤ」
「ああ、よろしくな、マーヤ」
スリヤは再度カイルのほうを向いて言う。
「マーヤの守護者は、まだ選ばないように。私が見極めてあげる。」
そしてまた、マーヤに向き直り、サーヤが抱くマーヤに羽ばたいて近づき、頭頂部に口づけをする。
「これで印はついた。お前がどこにいても私にはわかるから、会いたくなったら呼んでおくれ、マーヤ。」
そしてマーヤとサーヤからはなれると、
「また来るよ」
といって姿を消した。